カリスマ的作家マシュー・バーニーの新作は、アメリカンフットボールを題材にした残酷な衝撃作

現代アートを代表するカリスマ的な作家、マシュー・バーニーが新しい映像作品を発表した。バーニーはなぜアメリカンフットボールを題材に選んだのか、人間同士のフィジカルなぶつかり合いを通して描かれるものは何かを考察する。

マシュー・バーニー《セカンダリー》(2023)の展示風景。Photo: Dario Lasagni/©Matthew Barney/Courtesy of the artist and Gladstone Gallery

ボールが登場しないアメリカンフットボールを描く

アメリカンフットボールの選手が引退する平均年齢は35歳前後と言われている。その年齢を20年ほど超えている現在50代半ばのアーティスト、マシュー・バーニーが、今プロに混じってプレーすれば大怪我をするかもしれない。その危険性をまざまざと見せつけているのが、最近発表された新作ビデオ・インスタレーション《セカンダリー》だ。そこでは、髭に白いものが混じるバーニーがオークランド・レイダーズのユニフォームを着て、見えない何かにぶつかって地面の上に転がり、痛みに耐えているような演技をしている。

このとき、バーニーはヘルメットからプラスチックのパッドを引っ張り出して外側に貼り付けている。試合中なら大怪我につながりかねないが、彼は実際にはプレーしていない。《セカンダリー》では、画面にボールが登場することは一度もないのだ。

頭を守るその防具は、バーニーが演じる実在の人物、レイダーズのクォーターバックだったケン・ステイブラーを守りきれなかった。ステイブラーは、引退後何年も経ってから頭部への外傷によって引き起こされる慢性外傷性脳症(Chronic Traumatic Encephalopathy)だと診断された。略してCTEと呼ばれるこの疾患に罹るフットボール選手は、昨今ますます増えている。フットボールは、暴力的で身体へのダメージを伴う危険なスポーツだ。にもかかわらず、他の何百万人ものアメリカ人と同様、バーニーはそれを観戦せずにはいられない。なぜそうなのか、彼はその理由を知りたいと考えた。

ロングアイランドシティにあるバーニーのスタジオで6月25日まで公開されている《セカンダリー》は、その問いに対する彼の壮大な答えだ。会場に設置された複数のスクリーンに映像が流れるこのインスタレーションは、マッチョで思わせぶりな映像作品で知られるアーティストが、またいつものような作品を作ったと簡単に片付けてしまうこともできるだろう。しかし、バーニーのマチズモに辟易としている人たちでさえも魅了してしまうような、催眠的な力がこの作品にはある。

バーニーは《セカンダリー》で、90年代に彼を一躍有名にした作品に登場する要素(粘着質な物質、シュルレアリスム風の儀式、エロティックなボディホラーなど)を再び取り入れている。それと同時に今の社会状況を反映して、スペクタクルとしての死に焦点を当てている。この作品は、かつてのスタイルへの堂々たる回帰であり、氷のような彼の視線がこれほどパーソナルに感じられたことはない。

大作《クレマスター・サイクル》との共通点

60分の映像作品《セカンダリー》は、最後まで見ることをお勧めする。その中では体液が飛び散り、猛々しいフットボール選手が雄叫びを上げ、筋骨隆々の肉体が捻れたり回転したりする。そして、床に掘られた溝が徐々に泥水で満たされていく。この部分は、彼が2014年にニューヨークで発表した大作《リバー・オブ・ファンダメント》を思い起こさせる。5時間にも及ぶこの作品には、大量の排泄物と吐瀉物が何度も登場していたからだ。

これと比べると《セカンダリー》はずっと清潔だ。映像作品の中で登場人物たちが動き回るフィールドには、鮮やかな赤の人工芝風のカーペットが敷かれている。この舞台装置は展示中もバーニーのスタジオにそのまま残されており、来場者はその上でくつろぐことができる。まるでNFLのスタジアムのような空間の中央には、試合会場を見下ろすように巨大なスクリーンが吊り下げられている。

カーペットの中央にある楕円に細長い長方形を重ねたマークは、バーニーの作品ではお馴染みのシンボルで、特に性的発達段階をテーマにした有名な5部作の映像作品《クレマスター・サイクル》(1994-2003)に繰り返し登場したものだ。今回の作品《セカンダリー》でバーニーは、いろんな意味で過去に立ち返ろうとしている。

マシュー・バーニー《セカンダリー》(2023)のスチル写真。Photo: Jon O’Sullivan/©Matthew Barney

5部作の中で《セカンダリー》と最も大きな共通点があるのが、フットボール場と2機のグッドイヤーの飛行船の中でエレガントなバレエが演じられる《クレマスター 1》だ。笑顔で脚を大きく上下させるラインダンサーたちが登場し、ジョナサン・ベプラーの音楽が1930年代のハリウッドミュージカルを彷彿とさせる《クレマスター 1》には、明るく軽やかな雰囲気がある。それに比べ《セカンダリー》のトーンは陰鬱だ。同じくベプラーが手がけたサウンドトラックは耳障りなノイズのようで、カタカタと何かがぶつかり合う音やブーンという不吉な音が鳴り響いている。音楽が鳴っていないときは激しい息遣いと叫び声が聞こえる。

《セカンダリー》と同様、《クレマスター 1》にも高校時代にフットボール部の選手だったバーニーの経験が活かされている。(スポーツ特待生として)80年代にイェール大学に入学した彼はプロの選手を目指していたが、学部生の頃に進路を変更。医学部に入ったものの、最終的には美術に専攻を変えている。結局フットボールは、アーティスト気質の彼を満足させられなかったのだろう。バーニーは卒業制作として、スパイクシューズとハーネスだけを身につけて体育館に入り、後に《クレマスター・サイクル》の中で繰り返し登場するシンボルの形をしたワセリンの塊の上を動き回るパフォーマンスを演じた。

耐え難い残酷さを感じさせるクライマックス

《セカンダリー》でバーニーは、十代の頃に頭を離れなかったある事件を取り上げている。1978年にテレビ中継されていた試合の中で、ニューイングランド・ペイトリオッツのワイドレシーバー、ダリル・スティングリーが、レイダーズのディフェンスバックのジャック・テイタムから激しいヒットを受け、麻痺が残る大怪我をしたのだ。《セカンダリー》を見ていくうちに、そのときのプレーが再現されるのだということが明らかになっていく。

マシュー・バーニー《セカンダリー》(2023)のスチル写真。Photo: Jon O’Sullivan/©Matthew Barney

一切セリフのないこの作品は、クライマックスに向けて次第に緊張感が高まっていく。試合当日のお祭り騒ぎ、キックオフ前の準備作業、そして運命のクォーター(*1)へと場面が進むが、その間、恐ろしい死の予感がずっと漂っている。それを強調するかのように現れるのが、ビートルジュースに扮したパフォーマーだ。1988年のティム・バートンの映画の中に出てくるこの幽霊は、亡くなったフットボール選手たちの霊を動かしていた。


*1 フットボールの試合の時間区分。1試合は15分ずつ4つのクォーターに分けられている。

《セカンダリー》の大部分は、前衛的なダンスと準備運動の中間のような動きで構成されている。テイタム(ブレイキンのダンサー、ラファエル・ザビエルが躍動感たっぷりに演じている)は、ハーネスにつながれ、前後に大きく体を振っている。この振り付けは、筋肉を鍛えるためのエクササイズを思い起こさせる。しかし、この運動を過度に繰り返したり、間違った方法で行ったりすると、かえって体を壊してしまう。

終盤で、テイタムとスティングリー(この作品で振り付けを担当したデヴィッド・トムソンが演じている)は、繰り返し胸をぶつけ合う。このとき2人は、肋骨のような形の柔らかいプラスチック製のシートを挟んで衝突しているが、最後だけこれが陶器に変わる。カメラはこの塊が地面に落ちて砕け散るところに寄っていき、スローモーションで捉える。壊れてしまう前のテイタムの体が、いかにたくましく引き締まっていたかを示す鋭いメタファーだ。

この痛ましいビデオ・インスタレーションは緊迫感に満ちている。それは、時を刻むタイマーが頻繁に映し出されるからだけではない。キャストの多くは非白人で、2人の男性(*2)の接触は耐え難いほど残酷なものに感じられるのだ。抽象的なこの作品では、骨が折れる音は暗示されるだけだ。しかし、黒人の死に関する映像がソーシャルメディア上に溢れている今の時代には、その瞬間を生々しく想像できてしまう。


*2 テイタムとスティングリーはどちらも黒人
マシュー・バーニー《セカンダリー》(2023)のスチル写真。Photo: Julieta Cervantes/©Matthew Barney

《セカンダリー》の核心的メッセージは何か

この映像作品でもう1つ注目すべきなのは、女性は審判として登場するだけで脇役的な位置付けにあるということだ。バーニーの批判者たちにとって、このジェンダーバランスの偏りは明らかなマイナスとして映るに違いない。彼らは、バーニーがフェミニストアートのアイデアを取り入れながら、家父長制を礼賛するような作品を作っていると批判してきたが、それも無理はない。彼が手がけた最も有名な作品男根的なイメージがふんだんに盛り込まれているからだ。特に睾丸の位置を制御する筋肉から名付けられた《クレマスター・サイクル》ではそれが顕著だ。《セカンダリー》も、たくましい男らしさを誇示した作品のように思えるが、見ていくうちに、そこではもっと破壊的なことが起こっていることに気づく。

この作品の一番の見せ場は、アメリカ先住民族のチリカウア・アパッチとイスレタ・プエブロの血を引く、ツースピリットの(*3)ソプラノ歌手、ジャクリン・デシドンが国歌を歌うシーンだ。羽飾りのある黒いコートを着たデシドンは、フットボールの試合で「星条旗」が歌われる場面で登場する。しかし、愛国的な歌詞を歌い上げる代わりに、彼女は叫び声、嗚咽(おえつ)、オペラのような唱法を織り交ぜていく。そして「爆弾!」と、この映像作品の中で唯一聞き取れる言葉を何度も口にする。その後、VIP席からこのパフォーマンスを見ていたレイダーズのオーナー、アル・デービス(トーマス・コパッチ)を睨みつけ、その険しい顔を見て笑う。


*3 典型的な男性や女性とは異なるアイデンティティを持つ人、男女どちらの性別にも当てはまらない人を指すアメリカ先住民の言葉。

ここにこそ、《セカンダリー》の核心がある。それは、背景や立場が大きく異なる人間同士の緊迫したぶつかり合いだ。バーニーは、この対決をアメリカの縮図として提示し、私たちに「目をそらしてはいけない」と語りかけているようだ。(翻訳:野澤朋代)

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