「モダンアートは役立たず」と語ったアメリカの偉大なるストーリーテラー、トーマス・ハート・ベントン作品がアート・バーゼル・マイアミ・ビーチに!
12月4日、アメリカの近現代作家を扱うニューヨークのギャラリー、ショールコフ・ギャラリーは、20世紀アメリカ美術を代表する画家、トーマス・ハート・ベントン(1889-1975)の委託組織と世界的な独占契約を結んだことを発表した。
アメリカ・ミズーリ州に生まれたトーマス・ハート・ベントンは、「地域主義芸術運動(リージョナリズム)」の代表的な画家として認識されている。「地域主義芸術運動」は1930年代初頭に生まれたムーブメントで、同運動の画家たちは、アメリカ中西部の農村や田舎町のリアルな風景や、そこで働く労働者たちの姿を主題に作品を制作した。40年代に地域主義芸術運動が終息すると、ベントンはカンザスシティ美術大学で教職を得て、そこの生徒だったジャクソン・ポロックと師弟関係を築いた。ベントンはモダニスト、抽象主義者として評価されていたにもかかわらず、ヨーロッパの近代美術を激しく非難したことでも知られる。
そのベントン作品の保存を担う委託組織と、ニューヨークのトライベッカに移転したばかりのショールコフ・ギャラリーがこの度、世界的な独占契約を結んだ。2023年12月8日から12月10日まで開催されるアート・バーゼル・マイアミ・ビーチのショールコフ・ギャラリーのブースでは、そのお披露目として、画家としてキャリアを築き始めた1925年から晩年の1973年にかけて制作された6点の絵画が展示される。
ギャラリーの創設者であるアンドリュー・ショールコフは、今回の独占契約は「30年来の念願だった」と興奮気味に語る。
「ベントンがアメリカの偉大なストーリーテラーの一人であることは誰もが知っており、その物語性のある絵画は、常に多くのファンを魅了してきました。 彼は長い間、《アメリカン・ゴシック》(1930)で知られるグラント・ウッドと同様に、地域主義芸術運動の代表的作家という型にはめられ続けてきました。残念なことに、彼がニューヨークとパリの両方で1910年から1920年にかけて抽象主義とモダニズムの発展を目の当たりにした偉大なアメリカ人モダニストの1人であることは、あまり知られていないのです」
同じく20世紀のアメリカで活躍したエドワード・ホッパー(1882-1967)のように、ベントンの絵画は、まるで20世紀初頭の映画のスチール写真のようだ。そこには、現代においては当たり前となった便利なものに汚されていない、荒々しい手つかずのアメリカが描き出されている。
ベントンは、7歳年上のホッパー同様、1910年代にパリで学び、セザンヌから派生したモダニズムの抽象派に夢中になった。しかしベントンは、後のキャリアを決定づけた具象的な作品のために、その作風を捨てたのだ。ニューヨーク・タイムズ紙によると、ベントンは1951年に出版した自伝の中で、モダンアートは「神経症的な緊張を解き放つ以外には、何の役にも立たない」と語っている。
アートバーゼル・マイアミ・ビーチのショールコフ・ギャラリーのブースに展示される作品からは、ギャラリーの今後の方向性が伝わってくる。同ギャラリーは2024年に、ベントンがアメリカ西部──ニューメキシコ、ユタ、アリゾナ、ワイオミング、コロラド──を旅して制作したシリーズに光を当てる展覧会を開催予定だ。このシリーズは、「ハートランド・イン・アメリカ絵画」とショールコフが呼ぶベントンの代表的な作品群に比べるとあまり知られていないものの、非常にベントンらしい映画的な作品だ。
そのうちの一つ、《Wyoming Landscape(ワイオミングの風景)》(1967)は、10.5 x 19.5インチ(約26.6cm x 49.5cm)と小品だが、小ささを全く感じさせない雄大さがあり、若きベントンがパリで吸収した原理──風景の広大さを表現する色面──を包含している。ベントンはモダン・アートを毛嫌いしていたが、本作を見ると、抽象の原則が彼の実践の中にまだ存在していたことがわかる。前出の自伝の中でベントンは、「一般に信じられていることに反して、地域主義芸術運動は抽象的な形態に反対するものではなかった。ただ、抽象的なフォルムの一部にアメリカ的な意味を込めようとしただけだ」と語っている。
今後、ショールコフはベントンの絵画や紙作品をプライマリーマーケット(一次市場)に出すことができる。「絵画、壁画の習作、そして実に興味深いドローイングもあります。そのほとんどが、過去35~40年の間、見ることもできなかった作品です」
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