“富の再分配”に挑むアーティストたち。アートは社会を変えるのか
アートオークションで過去最高額が更新されたというニュースが、しばしば世間を賑わせる。しかし、何十億円、何百億円という目がくらむような金額の作品は、経済格差の拡大を象徴するものでもある。こうした現状を改善しようと、富の再配分に取り組むアーティストたちがいる。それは、どのような方法で行われているのだろうか。
2012年、エドヴァルド・ムンクの《叫び》が、オークションで1億2000万ドルで落札された。この時、ジャーナリストのアダム・デビッドソンは、ニューヨーク・タイムズ紙に次のように書いている。「アートマーケットは、超富裕層が辿る運命の分身のようだ。所得や富の分配がより公平な状態であるべきと考える投資家は、アートではなく、通信や鉄鋼のような経済全体とともに成長する分野に投資すればいい。だが、超富裕層が他を圧倒する勢いで成長し続けると思うなら、アートを超える投資先はないだろう」
この10年を振り返ってみると、言うまでもなく世界は所得や富の分配の公平性を取り戻してはいない。そして、アートに投資した人たちの多くは大きな儲けを得ている。17年には、レオナルド・ダ・ヴィンチのものとされた絵画が5億ドル近い値段で落札された。コロナ禍の影響もほんの一瞬のことで、ロックダウンでアートマーケットは停滞することはなく、かえってリベンジ消費に沸いている。新進作家の絵画は、オークションで数万ドルから一気に十万ドルの大台に乗ることも珍しくなく、22年3月にはマグリット作品に8000万ドルの値が付いている。
美術評論家や多くのアーティストにとって、莫大な富が身近に存在することは計り知れない苦悩の源となっている。さらに悪いことに、アートの世界で動いている巨額な金の出所は、よくて曖昧で、多くの場合、明らかに汚れているのだ。ここ数年は、アート界の出資者に対する抗議活動がたびたび起きている。イスラエルの武器商人やジェフリー・エプスタインの取り巻き、催涙ガス製造企業などとアート関連機関とのつながりが次々と問題視され、関係者にとっては数ある毒の中からどれを飲むかという、究極の選択を迫られているような感じだった。
アーティストのアグニェシュカ・クラントが電話取材で語ってくれたのだが、結局のところ、新自由主義の社会では「文化の後援を可能にするのは余剰資金で、それは搾取によって作られる」のだ。より良い世界を大胆な方法で思い描く手段であるはずのアートが、しばしば投資や脱税の道具として使われる。進歩主義の立場をとる私たちも、このパラドックスの中でぎこちなく立ち回らざるを得ないのが現実だ。
一部のアーティストは、さまざまな助成金や大学からの支援を受けることで、この厄介な問題を回避しようとする。幾重もの官僚主義のレイヤーを間に挟むことで、富の源泉から距離を置き、その汚さの度合いを薄めようと願って。だが、最近では、このシステムをうまく使おうと考えるアーティストも多い。所得格差に依存し、それを後押しするアートマーケットを利用しながら、格差の問題を解決しようというわけだ。
その方法は、大まかに言って次の4つに分類できる。まずは、作品を売って得た利益のうち一定の割合を困窮している人々に寄付する方法。次に、特定のコミュニティを支援する非営利団体を立ち上げ、作品販売による資金をそこにつぎ込む方法。また、作品販売で得た利益を、世界におけるアート資金の偏りを正すために使っているアーティストもいる。異色なのは、従来の所有権の形式とは異なる複雑な契約による作品を制作し、賠償を促すという方法だ。しかし、この中に正解はあるのだろうか。
アグニェシュカ・クラント《Conversions #2(変換 #2)》(2020)銅板に液晶インク、ペルチェ素子、Arduino(オープンソース・ハードウェア)、カスタム・プログラミング、トランジスタ。約150 × 93cm Photo Randy Dodson/Courtesy Fine Arts Museums of San Francisco and Tanya Bonakdar Gallery, New York and Los Angeles
前出のアグニェシュカ・クラントは、ニューヨーク在住のポーランド人アーティストで、集合知に関する作品を制作しているが、自身の活動を「再分配のための装置」だと考えている。彼女は、生命体、政治集団、テクノロジーなど、相互の結びつきと集合性によって成り立っている存在を扱うことが多い。たとえば、シロアリのコロニーに巣を作らせて、それを彫刻として発表したシリーズ「A.A.I.(Artificial Artificial Intelligence)(A.A.I.〈人工的な人工知能〉)」(2014〜)もそうだ。
作品の価格を決定する時は、ギャラリーと相談しながら、一定の割合を個人や団体に寄付する仕組みを設けている。もちろん、彼女自身も制作費や生活費は必要だ。他の多くのアーティストと同様、クラントは無名でもなければ巨匠でもないが、キャリアを重ねるにつれ、少しずつではあるが確実に寄付の割合を増やしている。
アグニェシュカ・クラント《A.A.I. (Artificial Artificial Intelligence)(A.A.I.〈人工的な人工知能〉)》(2015)着色した砂と金、クリスタルを材料にした白蟻の巣。約81 × 61 × 61cm Photo Sebastiano Pellion di Persano/Courtesy Tanya Bonakdar Gallery, New York and Los Angeles, and Fortes D’Aloia & Gabriel, São Paulo and Rio de Janeiro
クラントが寄付をする相手は、何らかの形で彼女の作品の共同制作者となっている場合が多い。たとえば、アマゾンが運営するクラウドソーシング・サービス「アマゾン・メカニカル・ターク」はサイトに登録した匿名のワーカーが仕事を請け負うというシステムだが、こうしたデジタル環境のフリーランス労働者の多くは、グローバルサウス(*1)に住んでいる。時給の中央値はわずか2ドルだが、クラントが利用する時には、サイトのチップ機能を使って仕事の受託者に大きなボーナスを上乗せしている。
クラントは、プログラマーや加工業者と協働しながら液晶の壁面作品「Conversions(変換)」シリーズ(2020)を制作している。その抽象的なイメージは、ある抗議運動団体のソーシャルメディアのアカウントからアルゴリズムによってデータを取得し、判読できないよう加工して生成したものだ。供給されたデータをもとに、液晶の裏側にある発熱体がイメージのパターンを生成。熱量が変動したりパネル内を移動したりすることによって、パターンは変化していく。
これは、特定の政治運動を支持するものでも、それについて物語るものでもない。クラントが「フリーズ」誌に寄せたエッセイの中で書いているように、「エネルギーから情報、そして資本への変換」を示しているのだ。それも、まさに文字通りの意味で。クラントは、活動団体のエネルギー(行動)を、実際のエネルギー(熱)とぜいたく品(アート)に変える。そして、その売り上げの何パーセントかを、作品に用いられるデータの供給元である団体に還元している。
クラントは、所得格差をテーマとした作品を作るだけでは「十分ではない」と感じている。これは、富の再分配に関わるアーティストたちからよく聞くフレーズでもある。その一方で、彼女は自分を「アクティビスムとしてのアートの敵」だとも語っている。これは、2000年代に盛り上がった、アートが物理的な変化をもたらせると主張する社会運動を意識した発言だ。実際のところ、アートが目に見える形で社会を変えることは、ほとんどない。アートにできるのは、長期的なスパンで人々の心のありようや文化を変えていくこと。これは、目に見える進歩の前兆となる重要な仕事だ。
ロサンゼルスを拠点とするアーティスト、ローレン・ホールジーは、「アフロ・フューチャー・ナウ」と呼ばれるものに強い関心を抱いている。それは、アフロフューチャリズム(*2)とは異なるものだ。理想的な未来と今ここにある現実の間の緊張感が、彼女の関心の源になっている。
ホールジーのインスタレーションは、自らが住むサウス・ロサンゼルス(旧サウス・セントラル)に見られる黒人特有のスタイルを反映した、ネオンカラーの手描き看板の組み合わせで構成されている。彼女は作品の中で、再開発で消えつつある味わい深い街の風景をアーカイブしながら、この地域の創造性と活気を称えている。彼女の言葉を借りれば、この地区を「ファンク化」し、無味乾燥な客観性ではなく、マキシマリスト(*3)の情熱を持って風景を記録しているのだ。
*3 ミニマリストの逆で、好きなものを過剰なほど収集する人。
ホールジーは、地元からインスピレーションを得ると同時に、地域の人々に夢を与えたいとも考えている。20年にデビッド・コルダンスキー・ギャラリーで開催された個展には、「310-632-0577まで電話を」と手書きされただけの、損害賠償請求の広告があった。彼女は、この展覧会に出展した作品の一部を有色人種だけに売ると決めており、売り上げは自身が設立したコミュニティセンター、Summaeverythang(サマエブリサング)の運営資金に充てている。
ローレン・ホールジーが主宰する団体Summaeverythang(サマエブリサング)の食糧配給センター(サウス・ロサンゼルス) Photo Jeff McLane/Courtesy David Kordansky Gallery, Los Angeles
「黒人がメディアや政府に依存するのは、絶望的で、ばかばかしく、幼稚で、侮辱的だ」。ノーベル文学賞作家のトニ・モリスンが1975年の講演で述べたこの言葉を、ホールジーはインタビューの中でたびたび引用している。その講演を「200回くらい聞いた」というホールジーは、誰かが自分のコミュニティを助けてくれるのを待ってはいない。20年の春から、彼女は食べるのに困っている人が大勢いるサウス・ロサンゼルス地区で、新鮮な野菜と温かい食事を提供するための取り組みを始めた。寄付を募り、自らも出資しながら、チームを組織し、貯蔵や包装の設備から冷蔵トラックまでのインフラを整備している。経費は毎月数万ドルにのぼる。
ホールジーがギャラリー(デビッド・コルダンスキー)に所属した目的は、コミュニティ支援の活動資金づくりのためだという。つまり、アートマーケットを道具として捉えているのだ。彼女はオンラインメディア、クリエイティブ・インディペンデントの記事の中で、ギャラリーは「作品の商品化」を助けてくれると語っている。「自分が望んでいる規模でやるには、他に方法はないでしょう。造形に関すること以外で彫刻を作る原動力になっているのは、コミュニティセンターの資金調達の機会を少しでも増やすことなんです」
こうした相互扶助の精神は彼女の幼少期から培われてきたものだが、アートマーケットとのつながりで、さらに大きなスケールで展開できるようになった。教会のコミュニティで育った彼女は、そこで共有されていた「我々による我々のための(for us by us)」という助け合いの精神に突き動かされている。会計士として働きながら、地域の若者が落ちこぼれて犯罪組織に入らないよう勉強の面倒を見ていたという父親の影響も大きい。ホールジーは、地域の看護師や教師たちの仕事には常に敬意を払っているが、彼らが使える金銭的なリソースが大きくないことも知っている。
コロナ禍には、理想的で根本的な解決策が現れるのを待たずに行動を起こし、ユーチューブの動画を見たり、知人のネットワークを駆使したりして、人々に食べ物を配るための仕組みを見よう見まねで作り上げた。彼女の作品のコレクターでもあるロサンゼルスのレストランオーナー、ヴィニー・ドトロには、農産物バイヤーを紹介してもらっている。
Summaeverythangをオープンしたとき、ホールジーはインスタグラムに「私はフードアドボカシー(食糧問題における政策提言)の専門家ではないので、このミッションに賛同し、一緒に働きたいとか助言をしたいという人がいたら、ぜひ連絡してほしい」と投稿した。彼女は、あくまでもこの仕事を構造的な問題に対する応急処置だと捉え、自分がその分野の専門家であると主張しているわけではない。そこにあるのは、じっとしているよりは何か行動を起こす方がいい、という考え方だ。
アートは私たちに、サウス・ロサンゼルスの街並みのようにカラフルで、ファンキーで、ユートピア的な未来を思い描くよう促すことができる。だが、その未来が到来するまでの間、何をすべきなのか。ホールジーのように、私たちも自分自身に問いかけなければならない。
こうしたアーティストには、アートを単なる金儲けの道具と捉え、利益の最大化ばかりを狙うニヒリスティックな考え方をする人はいない。そうではなく、長期的な夢を描くことと、目の前の現実的なニーズに応えることを、同じプロジェクトの中で実現しようとしている。たとえば、ホールジーのSummaeverythangは、食糧問題だけに特化しているわけではなく、アーティストのための制作場所や録音スタジオの開設も計画している。彼女は、サウス・ロサンゼルスのファンキーな心意気を守り、さらに豊かにするために、できる限りのことをしようとしているのだ。
これと同じように、イブラヒム・マハマは作品販売で得た収益を、自分が拠点を置くガーナで、美術館の支援に充てている。最近は、植民地時代に略奪されたアフリカの美術品を本国へ返却するよう求める動きが広がっている。その一方、新自由主義が世界を覆う中、アフリカの現代アート作品のほとんどが、欧米の美術館や個人コレクションに収まっているとマハマは指摘し、「そこに資本が蓄積されているからだ」と述べている。
ロンドンの大手ギャラリー、ホワイトキューブに所属するマハマは、アーティストとしての活動で得た収益をもとに、19年にガーナのタマレにサバンナ現代アートセンターを設立。展示スペースのほか、アーティスト・イン・レジデンスのための設備もある。彼の目的は、アフリカの現代アートをアフリカ大陸に残すことだ。20年には、遊び場や庭園、アトリエ、録音や映像編集の設備を備えたレッドクレイというスペースもオープンさせている。
イブラヒム・マハマ《AHA》(2017)金属タグ、石炭用麻袋。約285 × 440cm Photo Ben Westoby/Courtesy White Cube
クラントやホールジーと同様、マハマの作品は彼の慈善活動を理解する鍵になる。制作活動は、彼が問題について考え抜き、潜在的な解決策に至るための手段なのだ。マハマは、1960年代に試みられ、失敗に終わったユートピア的な建築プロジェクトにしばしば立ち戻る。頻繁にモチーフとして登場するのが、建設途中で放棄されたカカオ用のサイロだ。当時、独立したばかりのガーナの活動家たちは、経済的自立のためのインフラを整備しようとしていた。独自の建物やシステムを建設することで、自らの将来を切り開きたいと考えたのだ。
だが、よく知られているように、国際通貨基金や世界銀行による制約だらけの融資で、こうしたプロジェクトの遂行は困難になった。マハマを魅了するのは、これら未完のユートピアプロジェクトに凝縮されている、希望と失敗の弁証法だ。建設途中のサイロは今も存在し、さまざまな可能性を秘めている。そうした理想と現実の狭間に、彼は身を置いている。
マハマの最も有名な作品は、再利用された麻袋をつなぎ合わせて建物全体を覆い隠すインスタレーションだ。このシリーズは、2015年のヴェネチア・ビエンナーレと17年のドクメンタにも登場している。また、19年には、ニューヨークを象徴するロックフェラーセンターのコンコースに並ぶ万国旗をトレードマークの麻袋に置き換え、世界の調和という夢想をはぎ取って国際的な不平等を示してみせた。
作品で使われるのは、ガーナの市場で使われていたカカオの袋を再利用したものだ。バングラデシュで製造され、世界中に商品を輸送するために使われる麻袋は、グローバル市場とそこに内在するあらゆる不平等を表している。彼は、自分の作品から得られる収益の大部分を、袋を初めて入手した地元の共同体に還元している。常に、捨てられたものに新たな命を吹き込もうとしているマハマは、「復活・再生」という概念を軸に活動を展開していると言う。
ちなみに、この記事では、復活・再生(resurrection)、賠償(reparation)、再分配(redistribution)といった言葉が頻出する。これらの単語の「re」という接頭語は、資源(resource)は本来あるべき場所に戻される(return)べきだという、この記事で取り上げたアーティストたちの信念を表していると言えるだろう。
イブラヒム・マハマのインスタレーション、《Nyhavn’s Kpalang(ニューハウンの皮膚)》(2014–16)。コペンハーゲンの美術館、クンストハル・シャルロッテンボルグを麻袋で包んでいる Photo Ibrahim Mahama/Courtesy White Cube
レッドクレイとサバンナ現代アートセンターが力を注いでいるのは、地域住民の雇用と子どもたちの教育だ。マハマは、ガーナの人々の批判的思考を培うためには、芸術分野への資金援助が重要だと強く主張する。
彼もまた、問題解決のためにはアートだけでは「十分ではない」という考えに同意している。しかし、物質的なニーズにだけ応えればいいわけではないとも言う。ガーナのテレビ番組の中では次のように語っている。「芸術家は基本的に思想家です。普通とは違う考え方をして、普通とは違うやり方をする人たちなんです」。マハマは、アートを人々が新たな自由を探求するための手段だと捉えるとともに、自分自身に与えられた自由には責任が伴っていると考えている。
ガーナのタマレにある、サバンナ現代アートセンターで開催された展覧会「Galle Winston Kofi Dawson: In Pursuit of Something Beautiful,Perhaps .....(ガレ・ウィンストン・コフィ・ドーソン:求めているのは多分美しいもの)」(2019)を鑑賞する生徒たち Photo Ibrahim Mahama/Courtesy White Cube
たとえそれを芸術活動の目的として掲げていなくても、個人的に慈善活動に取り組んでいるアーティストは多い。だが、マハマ、クラント、ホールジーの3人(その他、グアダルーペ・マラヴィジャ、コンスタンティナ・ザヴィツァノス、ジェシー・クライムズ、シアスター・ゲイツ、ジェシー・ダーリン、ラミ・ジョージなど)は、商品としての側面がますます強まっているアートの目的について、実存的な問いを投げかける。マハマ、クラント、ホールジーは、理想的な社会状況が実現することや、構造的な問題の解決策が出てくることを、じっと待っているべきではないと主張しているのだ。
これとは違うアプローチを取るのが、コンセプチュアル・アーティストのキャメロン・ローランドだ。ニューヨークに拠点を置く彼の関心は、再分配ではなく賠償にある。彼は作品を販売せず、代わりに長期リースで貸し出している。16年には、ニューヨークの文化施設、アーティスツ・スペースでの展覧会の予算を使って保険会社エトナの株を1万ドル近く購入した。今は医療保険を扱う同社には、かつて奴隷保険を販売していた歴史がある。
ローランドが設立した「Reparations Purpose Trust(賠償目的信託)」は、現在もエトナの株を保有している。そして、連邦政府が(奴隷の子孫たちに)賠償金を支払うと決めた時、保有する株が流動化され、(賠償手続きを行う政府機関に)寄付される。いわば、企業が個人の寄付に上乗せするマッチング寄付のようなものだ。また、政府と企業の双方に対し、人々がその行動に注目しながら待っている事実を突きつけるものでもある。
彼はブラウン大学が主催した20年のオンライン講演会で次のように問いかけている。「奴隷制と植民地政策の要が所有や財産という制度であったならば、賠償の方法として富の再分配以外のことが考えられるだろうか?」
程度の差こそあれ、マハマ、クラント、ホールジーのケースは、制度の廃止を目指すのではなく、制度と協働するものだ。これとは対照的に、ローランドは責任を厳しく追求し、企業や政治権力に賠償を要求する。何よりも、彼の提案は、世の中の仕組みを現状のまま受け入れないよう私たちに訴えかけ、改善の可能性があることを教えてくれる。
ローランドの野心的な試みに感服しつつ、自らの収入を困窮者支援に注ぎ込んでいるアーティストにも同じように心を動かされる。差し迫ったニーズに応えながら、並行して長期的な夢を育み、理想と現実の二者択一ではなく、そのバランスを取ろうとする姿勢は素晴らしい。
こうしたアーティストの誠実さには、説得力がある。自分は無力だと訴えたり、世の中の矛盾を見て見ぬふりをしたりしないからだ。果たして、アート界のさまざまな組織や機関は、彼らについていけるだろうか?(翻訳:野澤朋代)
※本記事は、Art in Americaに2022年5月5日に掲載されました。元記事はこちら。