六本木ヒルズの蜘蛛の彫刻で知られるルイーズ・ブルジョワ 知られざる絵画に描かれた"女と家"
ルイーズ・ブルジョワ(1911-2010)といえば、代表作の蜘蛛の彫刻《ママン》、口を開けている人形のような像、檻を用いた数々の立体作品が思い浮かぶだろう。しかし、ブルジョワが描いた絵については、ほとんど知られていない。
現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)で、ブルジョワの絵画作品を取り上げた小規模な回顧展が開催されている(8月7日まで)。この展覧会を企画したメトロポリタン美術館のアソシエイトキュレーター、クレア・デイビスによると、埋もれた存在であるブルジョワの絵画作品には彫刻作品の謎を解く鍵が隠されているかもしれないという。
「驚いたのは、ブルジョワの支援者や長年の友人でさえ、絵画作品のことをあまり知らなかったことです」とデイビスは語る。ブルジョワは1949年に絵を描くのをやめ、彫刻に専念するようになった。回顧展では、それまでの11年間に制作した約100点の絵画作品を見ることができる。
展示作品は、その名が知られ始めていた時期、いわばキャリアの第一段階のものだ。その多くは、故郷のパリからニューヨークに移住したばかりの頃に制作され、家族を残してきたことへの強い罪悪感と、新しい生活からくるストレスが反映されている。
《Femme Maison(女の家)》(1946-47) © The Easton Foundation / VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York - Photo © The Metropolitan Museum of Art and the Easton Foundation
デイビスは、「ブルジョワはちょうど家庭を築き始めたところで、同時に長年の切磋琢磨の末、1人のアーティストとして本領を発揮するようになった時期でもありました」と説明する。デイビスによれば、夫の美術史家、ロバート・ゴールドウォーターは妻の仕事に理解はあったものの、やはり当時の女性に求められていた典型的な家事の負担は避けられなかった。
心配性のブルジョワにとっては、息子たちのことも気がかりだった。その切実な気持ちが表現されているのが《Red Night(赤い夜)》(1945-47)だ。赤く渦巻く海に浮かぶベッドの中で3人の息子たちと身を寄せ合う自画像で、母子で危険な目に遭う悪夢を繰り返し見ていたことが制作のきっかけになった。
ブルジョワは、母性や家庭の暗い側面を描いた作品で知られる。蜘蛛の彫刻は、抑圧的な家庭にあった自身の母親の強さを表現しているが、このテーマは初期の絵画作品にルーツがある。たとえば「ファム・メゾン」(1946-47)のシリーズでは、女性の身体と家の形が一体化し、頭は家の階段に吸い込まれてしまっている。
1948年の無題の作品では、建物の中庭が暗く赤い空間として表現され、子宮へと続く膣の内側を暗示しているようだ。屋上の煙突と謎の人物が醸し出す雰囲気は、楽しげでもあり、怒り出しそうでもある。この絵は、ブルジョワが屋上で彫刻の制作を始めたころに描かれた。新しいアトリエだった屋上の開放感は、足元の家に呪われているようにも、そこに根をおろしているようにも見える。
こうした家や建物の描写の背景には、ブルジョワの物理的な空間に対する関心が隠されていた。デイビスはリサーチの過程で、彼女がニューヨークで絵画を制作していた頃に、独自の学問的探究を始めていたことを知ったという。
「メトロポリタン美術館の版画や素描部門を頻繁に訪れ、ルネサンス時代の建築図面の透視図法に関する論文を読んでいたことが分かりました。過去の人々がカンバスの上で空間をどうイメージしていたのかに強い関心があったのです」
そのうち、ブルジョワは絵を描くことを完全にやめてしまった。デイビスも理由はわからないと語る。「その後、いっさい絵画を描くことはありませんでした。紙にペンで描くことはあっても、1949年を最後に絵筆を取ることはなかったのです。なぜ? と思わずにはいられません。私は答えが得られると期待して回顧展を企画したのですが、いま確信しているのは、結局はっきりした答えはないということです」(翻訳:清水玲奈)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年5月23日に掲載されました。元記事はこちら。