アートとファッションの蜜月はこれからも続くのか? 草間 × LVなどの事例からその未来を考える
近年、ラグジュアリーファッションの世界では、アートとのコラボレーションプロジェクトが引きも切らない。こうした蜜月関係の深化を、さまざまな事例を振り返りつつ、背景にある環境変化を含めて考察する。
LVMHは「カルチャーブランド」を宣言
2年前、ルイ・ヴィトンと草間彌生のコラボレーションを企画したLVMHグループの幹部、デルフィーヌ・アルノーは、「このブランドが今後提示していくカルチャー戦略の新たな青写真を描く」と、その意図を語った。それまで何度もアーティストとコラボしてきたルイ・ヴィトンにとっても、これは新たな地平を切り開く試みだった。クリエイティブディレクターのフェルディナンド・ヴェルデリの指揮で行われた広告キャンペーンは、複数のプラットフォームをまたぐグローバルなオーディエンスに向けて草間を紹介し、「世界をドットで覆いたい」という彼女の長年の願いを叶えた。
このコラボレーションでは、ルイ・ヴィトンの限定アイテムに施された草間のトレードマークであるドット、ビルボード広告、そして水玉で彩られたデジタルコンテンツに至るまで、あらゆる面でこの94歳のアーティストの作家性が賛美された。パリのヴァンドーム広場にあるメゾン・ルイ・ヴィトン・ヴァンドームのショーウィンドウでは草間そっくりのヒューマノイドロボットがドットを描き、シャンゼリゼの本店屋上には彼女の姿を模した巨大な人形が設置された。
このコラボレーションが実現する少し前、デルフィーヌの父でLVMHの会長兼CEOのベルナール・アルノーは、ルイ・ヴィトンは単なる高級ファッションブランドではなく「カルチャーブランド」だと宣言していた。この発言は、アートとファッションの関係性における歴史的な転換点を示していると言えそうだ。
グローバル企業が大々的にカルチャー分野へ参入する事例は、LVMHに限った話ではない。9月には、LVMHと双璧をなすファッション・コングロマリット、ケリングの会長兼CEOであるフランソワ・ピノーの一族が運営する投資会社のアルテミスが、クリエイティブ・アーティスツ・エージェンシー(*1)の過半数株式取得を発表した(アルテミスはグッチ、バレンシアガ、アレキサンダー・マックイーンなどの高級ブランドの株式を保有)。こうしてクリエイティブ産業の巨大企業がコングロマリット化することで、未来の「才能あるクリエイター像」の幅が拡大しつつある。
*1 俳優や映画監督、ミュージシャン、スポーツ選手などをクライアントに持つ、アメリカの大手タレントエージェンシー。
複雑化し多様化するストーリーテリング
これまでアートとファッションの交流は、文化的に優位な前者と認知度で勝る後者が、それぞれの強みを活かせる商業的行為と見なされてきた。しかし今日では、双方のプラットフォームもオーディエンスも、以前とは様変わりしている。世界中の多様な人々が幅広くアクセスでき、アルゴリズムによって形成される視聴空間がますます進化する中で、アートもファッションも、かつてのように希少性を特徴とするものではなくなり、フラット化が進みつつある。今では両分野で活躍し、複数の肩書を持つ多才なクリエイターも珍しい存在ではない。
「オーディエンス」や「消費者」という言葉も、もはや美術館やギャラリー、高級ブランドの店舗に足を運ぶ少数の愛好家だけを指すものではなくなった。ストリーミングの爆発的成長でファッションやアートのオーディエンスが拡大するにつれ、業界関係者は新たな状況への対応を迫られている。中でも、野心的なビジュアルを使ったストーリーテリング戦略は、カルチャー的要素を付加したり、幅広いリーチを獲得したりするために不可欠なツールとなった。そして、依然としてリアルでの体験が重要ではあるものの、視聴やエンゲージメントはますます細分化された複数のコミュニケーションメディア間で連動するようになっている。私たちは今、さまざまな分野が融合した境界線のない世界の中で創造し、活動し、消費している。そして、この新しい潮流の先頭に立っているのが、クリエイティブディレクターや写真家たちなのだ。
アートとファッションの融合を率いるのは誰?
複数の分野でマルチに活躍するクリエイターの先駆けは、かつてカニエ・ウェストのクリエイティブディレクターを務め、自身のブランド、Off-White™️でその実力をラグジュアリー業界に知らしめた故ヴァージル・アブローだ。2018年から早すぎる死を迎えた21年まで、ルイ・ヴィトン初の黒人クリエイティブ・ディレクターとしてメンズラインを率い、多大な影響力を発揮しながら次々と既成概念を覆していった。そして、ストリートウェアの高級メンズウェア化に極めて重要な役割を果たした実績を武器に、LVMH内で新進クリエイターが活躍するための基盤を構築している。
アブローは仕事の基盤や過程、権限などを後輩たちと共有し、デザイナーとアーティストの境界線を曖昧にしながら(本人はデザイナーを名乗ることに違和感を抱いていた)、持続可能性や文化的な参入障壁といった大きな問題をファッション業界に突きつけた。2019年にシカゴ現代美術館(MCA)で開催された彼の展覧会「Figures of Speech」は、カルチャーの持つ力を見事に捉えたもので、同館の入場者数を24パーセントも増加させている。
一方、ラグジュアリー分野のファッション・メゾンを率いる人物の肩書きを「ファッションデザイナー」から「クリエイティブディレクター」へと転換させたのがカール・ラガーフェルドだ。2019年に死去するまで、フェンディ(1965年〜)とシャネル(1983年〜)の「顔」として采配を振るった彼は、単なるデザイナーに留まらず、一種の興行主としてこれらのブランドに新たな文化的存在感を与えた。彼の並外れたショーマンシップが発揮された好例が、北京オリンピックに先立って2000年の歴史を持つ万里の長城を舞台に開かれた、フェンディの2008年春夏コレクションのランウェイショーだ。
また、マーク・ジェイコブスは、ルイ・ヴィトンのアーティスティックディレクター時代(1997-2014)に、ラグジュアリーファッション分野におけるアートコラボレーションの水準を大きく引き上げることに貢献。彼が企画したジェフ・クーンズやリチャード・プリンスといったアーティストとのコラボレーションはどれも成果を出し、中でも2006年にスタートさせたルイ・ヴィトンと草間彌生との関係は、その後も長く続いている。
2003年には日本アート界のスーパースター、村上隆と共に高級レザーグッズの「モノグラム・マルチカラー」コレクションを発表して大成功を収めた。このコレクションでは、村上のポップな色彩とお馴染みのモチーフが、長い歴史を持つルイ・ヴィトンのモノグラムと融合している。2007年秋から翌年にかけ、ロサンゼルス現代美術館(MOCA)で開催された村上の個展が体現していた「スーパーフラット」の哲学には、ハンドバッグのデザインと絵画のコンセプトが文化的に等価だというポストモダニズム的な視点がある。
この展覧会の最大の目玉となったのは、同展のために制作された限定アイテム、ルイ・ヴィトンMOCAコレクションが並ぶ村上×ルイ・ヴィトンのショップだ。美術館の展覧会を商売の場にしたことで批評家たちの神経を逆撫でしたこの企画以降、アートとコマーシャリズムの境界はますます曖昧になっていった。同時にこの展覧会は、クリエイティブディレクターがいかに大きな影響力を持ち得るのかを示す先例にもなっている。
ラグジュアリーブランドのアート活用に先鞭をつけたファッション誌
現代のファッション分野において、ブランドのコンセプトがどのように人々に伝えられてきたのかを振り返ってみると、雑誌や広告分野のアートディレクターに今のクリエイティブディレクターが持つ役割の雛形を見ることができる。雑誌や広告のコンセプトを視覚化するアートディレクターの仕事を踏襲しつつ、クリエイティブディレクターはより広範なビジュアル戦略やコミュニケーション戦略を担うようになっていった。
現在活躍しているクリエイティブディレクターたちには、1997年から2000年までヴォーグ・オム・インターナショナルのアートディレクターを務めたフィル・ビッカーの影響が感じられる。彼は、ジュディス・ジョイ・ロス、ラリー・サルタン、サミュエル・フォッソ、ジョエル・マイヤーウィッツなど、ファッションを専門としないアートフォトグラファーにエディトリアルプロジェクトを依頼した。彼らの中には商業誌で撮り下ろしの仕事をするのは初めてだという者もいたが、ビッカーは作家が持つ独自のビジョンとユニークな視点が雑誌の文脈でも活きるよう細心の注意を払い、アートとファッションの真にクリエイティブなコラボレーションが成立するための基盤を整えた。(編注:その源流に、1992年にパリで創刊され、ヴォルフガング・ティルマンスやユルゲン・テラーらを起用したアンチ・ファッション的な実験的態度でファッションをアートの文脈に乗せた『PURPLE』誌があることも忘れてはいけない。)
同じ頃、1993年にデニス・フリードマンがWマガジンの新装版を刊行し、その10年後には同誌で毎年恒例の企画となる「アート特集」をスタートさせた。ビッカーの言葉を借りれば、アートがファッションよりもファッショナブルだった時代に、フリードマンはファッションとアートの関係を探る場を作ったのだ。
フリードマンの信念は、ファッションのような新しい文脈でアーティストが活動できるようサポートすることで、新しいアイデアが生まれるというものだ。2011年から17年までバーニーズ・ニューヨークのクリエイティブディレクターを務めた彼は、この高級デパートのウィンドウディスプレイ制作をアーティストに依頼。彼の手がけた特別プロジェクトは、2019年に経営破綻した伝説的百貨店の有終の美を飾るものとなった。
2017年に披露されたフリードマンによる最後のウィンドウインスタレーションの1つでは、ルイーズ・ブルジョワのソフトスカルプチャーと川久保玲の彫刻のようなユニークな服が組み合わされていた。このプロジェクトはブルジョワが設立したNPOのイーストン財団と彼女の資産管理団体の協力を得て実現している。こうしたプロジェクトによってショーウィンドウは、道ゆく人々の目を楽しませつつ従来にはない視点について考えさせるギャラリーに早変わりし、卓越したクリエイター同士の予期せぬ出会いが生まれるダイナミックな節点となったと言える。
フリードマンとビッカーが切り拓いたアーティストとのコラボレーションキャンペーンという手法は、ビジュアル戦略という新たな次元を加えて今も続いている。だが、いくつものプラットフォームを行き来するオーディエンスのビジュアルリテラシーがますます高まる中、さらなる工夫と洗練が求められるようになった。
プラダのクリエイティブディレクターを務めるフェルディナンド・ヴェルデリは、2020年のリゾート・コレクションの広告キャンペーンに、ファッションフォトグラファーのドリュー・ヴィッカーズとストリートスナップで有名な日本人写真家の北島敬三を起用し、多層的なプロジェクトを展開した。プラダは2人が撮影した写真とブランドのロゴを印刷した紙を、アジアやアメリカ、ヨーロッパの花屋に花束用の包装紙として配布。このアイデアは、「日常使いできる」ラグジュアリーファッションとして親しまれてきたプラダのブランドイメージを活かしたものだ。
この包装紙でラッピングされた花束とプラダの新作アイテムを組み合わせたシンプルな写真や、プラダのブーケを持つモデルを撮影したストリートスナップ風の写真は、雑誌やビルボード、オンラインなどの広告キャンペーンに使われた。だが、最も効果的だったのは、プラダの包装紙に包まれた花束を実際に街で見かけた人々が撮影し、ソーシャルメディアに次々と投稿された写真だった。このアプローチは、日本のストリートウェアにルーツを持つ、数量限定の「ドロップモデル」というマーケティング戦略にヒントを得ている。
インスタグラムが商業性と芸術性の両立に果たした役割
広告キャンペーンでインスタグラムが重視されるようになった昨今、常に前面に打ち出されるのがアーティストの作家性とそれに付随する文化資本だ。最近では、実験的な作風で知られる写真家のルーカス・ブレイロックが、ミュウミュウの2022年秋冬コレクションのインスタグラムキャンペーンを手がけている。彼はこのプロジェクトのために、アナログ写真とデジタル写真のテクニックを組み合わせたカラフルで幻惑的な独特のスタイルで、同ブランドのアクセサリーを取り入れたビジュアルを制作した。
ブレイロックに声をかけたのは、ビー・グッド・スタジオ(広告の企画・制作やブランディング、デザインなどを手がけるアメリカのプロダクション)の創設者で、クリエイティブディレクターのリナ・クツォフスカヤだ。2018年から21年にかけてルイ・ヴィトンのメンズ部門を率いたアブローと多くの仕事を共にした彼女は、セレブを起用し、潤沢な予算をかけて制作されるラグジュアリーブランドの広告キャンペーンのほか、アーティストスタジオとの仕事もしている。
プラダの依頼を受けてブレイロックが制作した一連のビジュアルは、ファッションブランドから依頼された作品がアーティスト自身の仕事の一部に無理なく組み込まれ得ることを示している。魂を売り渡したと思われたり、自らの作家性に傷がつくのではないかと心配したりという、今となっては時代遅れの懸念に囚われる必要はないのだ。実際、ミュウミュウの商品と視覚的言語は、ブレイロックが作り上げてきた独自の世界観に素材として違和感なく溶け込んでいる。この仕事は、彼の芸術性を損なっていないばかりか、むしろ彼の作品に新たな文脈とオーディエンスを与えたと言えるだろう。
この10年間で、ファッション写真とポートレート分野でトップの座に急速に上り詰めた数少ない若手の1人がタイラー・ミッチェルだ。ビジュアルストーリーの優れた語り手で、黒人のクリエイターとセレブリティの記録者としても重要な役割を果たしてきた彼は、商業的な仕事と作家活動を大きく区別していない。彼が最近撮影したサルヴァトーレ・フェラガモの2023年秋冬コレクションの広告キャンペーンは、同ブランドのクリエイティブディレクター兼デザイナーに就任したマクシミリアン・デイヴィスのデビューコレクションを紹介するものだった。
ミッチェルは、ボッティチェリやピエロ・デッラ・フランチェスカなどのルネサンス絵画を背景として使い、フェラガモが本拠地とするトスカーナ州フィレンツェにあるウフィツィ美術館のバックヤードを思わせる写真を撮った。気品あふれる写真の中では、モデルたちのポーズや構図のディテールの1つ1つが、細部に象徴的な意味が込められたルネサンス絵画のような雰囲気を醸し出している。いくつかの写真ではミッチェル本人がカメラと一緒に写り込んでおり、写真家としての存在感をアピールしている。
気鋭アーティストらのキャンペーン起用
今の時代、アーティストがファッション分野で仕事をする際には、自らが1つのブランドだという意識を持って制作に臨む。そして、もはやアーティストとコラボレーションしていない高級ファッションブランドは存在しないと言っていい。最近のランウェイでの事例をいくつか挙げてみよう。まず、バレンシアガの2019年春夏コレクションでは、クリエイティブディレクターのデムナ・ヴァザリアがメディア・アーティストのジョン・ラフマンとLEDスクリーンのトンネルを作り、そこにデジタルレンダリングされた合成画像やシグナルを映し出してコレクションのフィーリングとコンセプトを伝えた。
また、ラフ・シモンズはディオールのウィメンズ部門のクリエイティブディレクターに就任して初となる2012年のコレクションで、現代アーティストのスターリング・ルビーの絵画に見られる形と色彩をオートクチュールのファブリックとフォルムに見事に変換してみせた。シモンズとルビーの付き合いは長く、一緒に仕事をし始めてから20年になるという。
スペインのラグジュアリー・メゾン、ロエベのクリエイティブディレクターを務めるジョナサン・アンダーソンも、アーティストとの協業を重視している。2023-24年秋冬コレクションでは、紙吹雪をキューブ状に固めたララ・ファヴァレットによる彫刻が置かれていたが、接着剤やフレームを使っていないその作品は、モデルたちがランウェイを歩いているうちに徐々に崩れて形を変えていった。
一方、アフリカ系アメリカ人アーティストのミカリーン・トーマスは、ディオールの2023年春夏コレクションにインスピレーションを与えたジョセフィン・ベイカーなど12人の有色人種の女性たちの写真でフォトコラージュを制作。巨大な布にプリントされたコラージュの上に、チャナキア・スクール・オブ・クラフト(女性のエンパワーメントと伝統工芸の継承のためにムンバイに設立された職業訓練NPO)出身の職人たちが刺繍を施した作品がランウェイを飾った。
さらに、ルイ・ヴィトンのメンズ部門でファレル・ウィリアムスがデビューを飾った2024年春夏コレクションの中には、アメリカの黒人画家ヘンリー・テイラーの肖像画を刺繍で再現したスーツやデニムのアイテムが含まれている。これらが披露された歴史的なランウェイショーは、今年6月にパリのポンヌフを舞台に開催され、2000人ほどのパリ・ファッションウィークのゲストと推定10億人のオンライン視聴者がその様子を見守った。
メディア革新の加速とコラボレーションの価値
サブスクリプションサービスやライブストリーミングの時代となった今、こうしたコラボレーションがこれからどう進化していくのか気になるところだが、まだ将来を見通すのは難しい。2022年には、シンガーソングライターのリアーナが手がけるサブスク制のランジェリーブランド、サヴェージ×フェンティがライブショッピングを初開催した。これは、最新コレクションを身にまとったラップデュオ、シティ・ガールズのライブが同ブランドのウェブサイトでライブ配信され、視聴者は彼女たちが着用しているアイテムをリアルタイムで購入することができるというイベントだ。
これまでラグジュアリーファッションの世界は、Eコマースから生まれたこのようなメディアイノベーションを積極的に取り入れてこなかった。この分野における中核的な価値が希少性と独占性であることを考えれば、それは当然のことかもしない。特にファストファッション的な手法から距離を置き、持続可能性を掲げている今はなおさらそうだろう。
今後を展望するのは難しいが、1つだけはっきりしていることがある。ファッションには、私たちが何者であるのか、どこから来たのか、そしてどんな未来を夢見ているのかを示す大きな力があるということだ。2023年は、ファッション業界とイメージ作りを担う産業双方の未来にとって大きな節目となった。どちらの業界にも、メディア環境の進化、そしてクリエイティブと経営の両面におけるリーダーシップの絶え間ない新陳代謝が作り出す振り子のようなダイナミズムがある。このダイナミズムには良し悪しがあるが、それでもアートとファッションの共創はこれからも、新たな可能性と文化的アイデアが芽吹く肥沃な大地であり続けるだろう。(翻訳:野澤朋代)
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