映画『ウェルカム トゥ ダリ』を精神科医・名越康文がレビュー。ダリ夫妻の歪な関係を徹底分析!

2023年9月に日本上陸予定の映画『ウェルカム トゥ ダリ』。YouTubeで映画・アニメ・ゲームなどの登場人物を心理学的に解説する精神科医、名越康文に、ダリの不可思議な言動や身体性、妻・ガラとの特異な関係など、映画に登場する人物たちの精神心理に関する分析を聞いた。

中央がベン・キングズレーが演じるサルバドール・ダリ、写真右がバルバラ・スコヴァが演じる妻のガラ。Photo: © 2022 SIR REEL LIMITED

ダリの身体的特徴を精神分析すると?

──まずは率直に映画をご覧になって、いかがでしたか?

本物のダリなんじゃないか、と思うほど主演のベン・キングズレーの演技が際立っており、映画が始まって数分間は、ダリ本人がでている記録映像を見ているような気分でした。彼の演技のすごいところは、ダリの外見だけでなく、身体性までそっくりなところ。体全体がひきつっていて、大きな目をさらに見開いて、常に怒っているように口をギュッと閉じている。

──ダリのそうした身体的特徴には、精神医学的にみて、どのような背景があると考えられますか?

精神医学的に考えると2つの要素が混在して表出していると考えられます。1つ目は神経症患者に見られる症状の一部で、他人と対面した時に緊張してしまい、意図したことと違う身体性がでてしまうというものです。映画の中でも、後の妻ガラと初めて会った時に、脈絡なく大笑いして笑い転げてしまった、若かりし頃のダリの様子が描かれていましたね。

私は長年、神経症の患者さんを見てきましたが、映画で描かれたほど大胆に、対面した際に緊張して笑ってしまう方を実際に診療したことはありません。ただ、人づてに聞いたことはあります。程度の差こそあるものの、他人や社会と対面した際に、意図に反した動作をしてしまう、という症状は実際にありますね。

こうした症状の原因を辿っていくと、幼少期に体験した親や身近な人との関係性、孤独、深い心の傷などにぶつかることが多いと感じます。人はごく一部の他者からの態度でも、それを広く一般化して認識してしまう傾向があります。例えば、幼少期に親からコミュニケーションを拒絶された人は、「社会全体がこういうものなんだ」と思ってしまいがちです。そこから、社会全体への恐怖や怒りが生まれ、身体にも影響を与えてしまうんです。ダリにも、若いうちになんらかのトラウマ経験があって、「笑い」の症状がでてしまっていたのかもしれません。

エズラ・ミラーが演じる若かりし頃のダリ。Photo: © 2022 SIR REEL LIMITED

2つ目は、ちょっと奇妙に思われるかも知れませんが、ダリの特異な行動やその創作の源になっているエネルギーを、一種の憑依現象として捉える可能性です。いわゆる超自然的な存在や霊魂が体に憑依し、啓示が降りたり、精神を支配されたりする現象ですね。なぜ憑依との関連を私が想起するのかというと、ダリの大きく見開いた目、痙攣しているような緊張した体、引き攣ったような口元は、憑依現象が起きている時の人の身体に起きる現象に酷似しているからです。

ダリとガラの奇妙な関係性

──ダリとガラの関係は特殊に見えます。お互い自由なようで、お互いがどこかで依存関係にあるように見えました。

例えば劇中では、ガラが浮気相手の駆け出しの俳優に城をプレゼントしたり、ダリが毎晩のようにパーティーを開催しているのを黙認するシーンが描かれています。彼らはスケールが大きいために特殊なように見えますが、持ちつ持たれつの関係だと考えられます。実はこういった持ちつ持たれつの関係は、一般の夫婦関係などでもよくあります。職業柄、このような人間臭い話はよく聞きますが、人間の心理は単一ではなく、多面的なもので、1つの面だけでは割り切れないことが常です。密接な人間関係の中では、常に「依存と裏切り」が繰り返されています。ダリとガラの「人間臭さ」の部分は、映画の中で特に端的に効果的に表現されています。

──映画のワンシーンでは、ガラに怒鳴られることによって、創作意欲を湧かせるダリの様子が描かれていました。これはどのように解釈しますか?

怒鳴られるまで、ダリは作品を作ることができなかった。そこから、ダリがガラに依存しているようにも見えますが、ダリ自身も「あなたが作品を作らないと、お金がなくなってしまう!」とガラから怒鳴られることで、彼女がたとえ若い男に浮気していたとしても、ある部分では「自分に依存してくれている」つまり頼りにされていると感じることができ、創作意欲に繋がったという解釈は可能であると思います。それまでダリはガラの浮気を黙認しているようでしたが、内心は不安だったんでしょう。それが、怒鳴られることによって「自分を必要としてくれているんだ」という認識が生まれた。いわゆるマゾヒズムですね。

超自然の母、ガラ

──ダリの作品についてはどのような印象をお持ちですか?

有名な時計が溶ける《記憶の固執(柔らかい時計、あるいは流れ去る時間)》(1931)はやはり傑作だと感じますね。映画の中でもカマンベールチーズが溶けている様子からインスピレーションを得る様子が描かれていました。他にも、ガラを聖女のように描いた《ポルト・リガトの聖母》(1950)は、よりダリの個人的な思想が感じられて、映画のようにガラを神聖化していたんだと感じますし、自分を幼子にしてガラの膝上に描いているあたりが、「超自然の母である、ガラから自分は創作エネルギーをもらっているんだ!」というダリの強い実感のようにも見えます(*1)。


*1 絵画中央の人物のモデルについては諸説あり。

──映画の後半でダリ夫妻は故郷であるスペインのポルト・リガトに帰り、海辺の自然の中でひっそりと暮らしますが、ニューヨークでの派手な暮らしと比べて、深層心理的にはどちらがダリの本当の姿だったのでしょうか?

難しい質問ですね。どちらもダリ自身だったのではないでしょうか。だれしも都会で刺激を受ける時間と、田舎で自然に浸る時間が必要だと思いますね。ただし、天才はそのスケールが非常に大きい。私は平安時代の僧侶・空海に長年興味を持っているのですが、彼は朝廷でも活躍し、東寺という立派な建造物を嵯峨天皇から下賜されていたり、日本各地で温泉を発掘したりと人間業を超えた活躍でしたけれども、晩年は高野山に籠ったきりでひたすら拝んでおられました。歴史的な宗教家を引き合いに出して良いのかはわかりませんが、どんな天才でも外界からの要請や刺激によって活動する時期と、もうそのような刺激を必要としない時期があるような気がします。映画の後半で描かれているダリも、晩年は一種の内的熟成にエネルギーが割かれる時期が到来していた、という解釈が可能であるのかも知れません。

映画『ウェルカム トゥ ダリ』予告編。
映画『ウェルカム トゥ ダリ』

監督:メアリー・ハロン
脚本:ジョン・C・ウォルシュ
公開日:9月1日〜
上映劇場:ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開

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