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  • 2024.06.06

訃報:フルクサスのメンバーで前衛芸術家のベンジャミン・ヴォーティエが死去。妻が急死したわずか数時間後

フルクサス運動に参加し、示唆に富んだ言葉を描いた作品で知られるフランスのアーティスト、「ベン」ことベンジャミン・ヴォーティエが6月5日、88歳で亡くなった。

フランス・ブロワで展示された《言葉の壁》(1995)の前に立つベンジャミン・ヴォーティエ。Photo: Jean-Francois Monier/AFP Via Getty Images

芸術を日常に持ち込んだアーティスト

「ベン」の名で知られるアーティスト、ベンジャミン・ヴォーティエは、彼の妻が脳卒中で急死した数時間後の6月5日午前中にフランス・ニースの自宅で死亡しているのが発見された。ニース警察によると遺体には銃創があり、死因を特定するための捜査が行われている。ガーディアン紙によると、ベンの家族は「ベンは妻なしでは生きていけないと感じ、数時間後に自宅で亡くなった」と語っているという。

ベンは、1960年代にフルクサス運動に参加し、高尚な芸術と日常の境界を曖昧にする活動を行ったことでも知られている。また、彼は生涯にわたって、丸みを帯びた文字で「Vivre avec son temps(時代と共に生きる)」「Soyons philosophe(哲学的になろう)」などの示唆に富んだ言葉を描いた作品を制作した。中でも黒地に白文字で描いた代表的なシリーズはフランスの文具メーカー、クオバディスと30年近くコラボレーションをしており、フランスの学生にはなじみ深い存在となっている。

ベンジャミン・ヴォーティエは1935年、イタリアのナポリに生まれた。幼い頃に両親が離婚し、母親とともにエジプトとスイスに移り住んだ後、ニースに定住。学校での成績が振るわなかったベンを案じた母親は、彼に地元の書店での仕事を紹介した。彼はそこで英語の翻訳を手伝いながら、アートの魅力に触れていった。ベンは美術学校には通わず、気に入った本の一部を切り取り、家でコラージュするようになり、1953年には、初めて言葉を描いた作品を制作した。

1958年、ベンはニースにレコードやカメラを扱う「Le magasin de Ben(ベンの店)」をオープンした。すぐに地元在住のイヴ・クラインやマルシャル・レイズといったフランスのアヴァンギャルドのメンバーに知られるようになり、店は彼らの溜まり場となり、展示の場になった。

1962年には、創始者のジョージ・マチューナスを通じてフルクサス運動を知る。「死んだ芸術、模造芸術、人工芸術、抽象芸術、幻想芸術、数学的芸術の世界を一掃せよ」というフルクサスの理念に激しく共感したベンは運動に参加。1963年にニースでフルクサスフェスティバルを開催し、ナム・ジュン・パイクやベンジャミン・パターソンといったアーティストを招いてライブパフォーマンスを行った。当時のベンは、パフォーマンスを舞台から生活そのものに持ち込むことを目的とした「トータル・シアター」という独自のコンセプトを持っていた。だが彼のパフォーマンスは厄介な悪ふざけに近いものがあり、劇場にはモリエールの戯曲を上演すると信じ込ませ、上演時にはピアノを叩き壊し、会場を紙で埋め尽くしたこともあった。

「Le magasin de Ben(ベンの店)」の店舗はポンピドゥー・センターに買い取られ、常設展示されている。Photo: Alain Jocard/AFP Via Getty Images

彼が描いたのは常に「本物」だった

1960年代から70年代にかけては、意図的に粗野なパフォーマンス・アートを行ったことでも知られる。ある作品は、壺の中で排尿し、その壺をアート作品として展示するというもので、また別の作品は、ベンが繰り返し壁に頭をぶつけるというものだった。これらのある意味「ありふれた行為」を芸術として受け止めなければならなかった観客は困惑した。

批評家たちは、特に80年代以降に制作されたベンの挑発的な作品に必ずしも好意的ではなかった。2010年にフランスのリヨン現代美術館で開催された大規模なベンの回顧展について、クイン・ラティマーは「これら全て、芸術なのか? そうであったとしても、その全てが展示されるべきものではない」と酷評している

だが、ベンの作品は国内のみならず国際的にも評価されており、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やパリのポンピドゥー・センター、シドニーのニューサウスウェールズ州立美術館、アムステルダムのステデライク美術館など、世界有数のプライベート・コレクションやパブリック・コレクションに収蔵されている。

いま、多くがベンの突然の死に驚き、悼んでいる。フランスの文化大臣ラチダ・ダティは、X(旧ツイッター)の投稿の中で、彼を 「伝説 」と呼び、こう続けている。「我々は自由な精神を持つ彼を喪いひどく恋しく思うだろう。しかし、彼の芸術はこれからも世界中で輝き続けるだろう 」

また、ベンが所属するパリとブリュッセルのギャラリー、Galerie Daniel Templonのオーナー、ダニエル・テンプロンは、「ベンは卓越したプレゼンターであり、討論者であり、常に熱狂的で分析力に優れ、類まれな知性の持ち主だった。彼はあらゆるテーマについて書いた。それは公正であったり、残酷であったり、感傷的であったりしたが、常に本質的で、何百人もの芸術家に影響を与えた。我々は偉大な芸術家の一人を失った」とインスタグラムに投稿した。(翻訳:編集部)

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