自然に還っていく過程で立ち現れる美しさを捉えたい──安永正臣が「つくる」理由

大阪産業大学で前衛陶芸集団「走泥社」の星野暁に師事し、現在、三重県伊賀市を拠点に独自の技法で陶芸作品の制作に勤しむ安永正臣。ノナカヒル・ギャラリーによる安永の個展「MASAOMI YASUNAGA : EMPTY VESSEL」が開催中の東京・原宿にあるギャラリーで、陶芸に注ぐ思いを聞いた。

それは、時空を超えて現代に帰ってきた遺物のようでもあるし、磨かれるのをじっと待つ原石のようでもある──安永正臣の作品は、触れたとたんに壊れてしまいそうな儚さと、自然の脅威をくぐり抜けてきたような強さとともに、そこに静かに存在している。

作品は全て、本来は「装飾」のために用いられる釉薬を独自の調合で粘土状にした素材(「配合は企業秘密です」と安永は笑う)を手捻りで造形し、土や砂で周囲を固めて焼成してから、発掘作業のようなプロセスを経て完成される。そう聞くと、安永はまるで錬金術師のようであり、考古学者のようでもある。

1982年に電力会社の技術者の父と敬虔なクリスチャンの母のもと大阪で生まれた安永は、17歳のときにオープンキャンパスで訪れた大阪産業大学で、前衛陶芸集団「走泥社」の星野暁の作品に出会い、「その異様さに」衝撃を受けて陶芸家を志すようになった。自身の表現を模索する過程で釉薬の「変容」に魅せられた安永は、様々な試行錯誤を経て、10年ほど前に本来であればかたちを持たないこの素材をどうにか造形するための独自の技術を確立した。その後、2015年に子どもを授かったことをきっかけに、自身のうつわに「生命の容れ物」としての意味を見出すようになる。現在は、大学卒業後から拠点を構える三重県伊賀市で制作に励みながら、国内外で精力的に作品を発表している。

安永作品に見る作為と無作為、人工と自然の関係性について、穏やかな関西弁で静かに語る安永に話を聞いた。

──そもそも、釉薬を装飾としてではなく造形の素材として使おうと思われたのは?

釉薬に興味を持ったのは、20年以上前の学生のころです。陶芸を始めた当初は、土で一般的な手びねりなどの技術を用いて作品制作をしていました。窯に入れると釉薬が溶けていって、色やテクスチャーが変容していく──土の造形とは異なる「釉薬の変容」に魅了されていきました。当時はまだ、釉薬で造形することは叶わなかったのですが、10年ほど前から、やはりどうしても釉薬が主体の表現に挑戦してみたいと思い、手のひらに収まるほどの小さな器から実験を始めたんです。様々な試行錯誤の中で、現在の技法が確立されていきました。

──具体的には、どうすれば釉薬で造形するということが可能なのでしょう?

釉薬に別の素材を混ぜ合わせることで、粘度を高めて粘土状にします。それを手捻りで造形するのですが、焼成すると溶け崩れてしまうので、そうならないように、作品を土や砂の中に埋め固めてから焼成するんです。窯から出したあとは、まるで発掘作業のような感じで、周囲の土や砂を取り除いていきます。

──だから作品によっては、おそらくこれは作家の意図でつけられたわけではなさそうな石などが表面にくっついていたりするんですね。作品を拝見すると、作家の意図と偶然性の境界がどこにあるのか知りたくなって、思わず見入ってしまいます。

中には造形の段階から埋めている石なども含まれますが、型崩れを起こさないために用いた石や砂が焼成中に溶けた釉薬にくっついてしまうこともあるんです。つまり、ぼくの意志で作品の中に存在しているものと、そうじゃないものが混在している。ただ、型として用いる土や砂、石は、例えば作品の下の方は細かく、上に行くほど大きい粒度のものにするなど、ぼくがコントロールしているので、そういう意味では、意図と偶然性のせめぎ合いということかもしれません。

──作意と無作為、人工と自然。それをコントロールするというよりは、それらが出合ったときに起きる化学反応を、安永さんご自身が楽しんでいる感じがします。

過去に所属ギャラリーのノナカヒルで「石拾いからの発見」という個展を行ったのですが、それは、自然物を人工的に操作したとき、果たして自分が求める表現が生まれるのかどうかという実験と検証の展覧会でした。そんなふうに、ぼくの表現は、人工物と自然物が混ざり合うことで成立するものであるとはいえ、どこか自分の中では、焼き上がって「作品化」したものは、もはや自然物に感じるんです。

──釉薬という素材を人工的に造形して、焼成し、強度を得てついに「作品」となった途端に、また自然にかえっていく。人間のもがきと脆さにもどこかつながる気がします。

僕自身、脆さのようなものに惹かれます。人工物が自然にかえっていく過程で現れる美しさのようなものに魅せられるんです。釉薬が溶けていく現象も、大きく見るとそこに含まれる気がします。

──作家活動とはすなわち人工的な行為。その帰結が自然にかえるということには矛盾がありますが、それがかえって面白いですね。

どこかでぼくは、人工的行為は自分の表現にとって邪魔なのかもしれないとも感じています。人間が関与していない方がいいけれど、完全な自然物を再現したいわけでもない。あくまで何かしらの意志を持った造形物であることが、ぼくにとって重要なのだと思います。だから、真新しくピカピカした作品をつくることは望んでいません。自然に戻っていく過程で立ち現れるもののよさを捉えたいんだと思います。

──自然に還っていく過程、という言葉は確かに安永さんの作品をよりよく説明してくれると感じましたが、一方で、表面が滑らかな作品も制作されています。

確かにそう言われると、滑らかなものは異質に見えるかもしれませんが、実はぼくの中では、どちらも等しい存在なんです。表面が整えられた作品を人工や自然という文脈でどう捉えたらいいんだろうと考えてみると、たぶん、川の石が長い時間の中で磨かれて、すべすべになるような感じなんだと思います。それを人工的にやっている。その意味では、ゴツゴツした作品も、いつか自然に晒されて、すべすべした表面になっているかもしれない。もしかすると、ぼくは作品を石のように捉えていて、創作活動というのは川に行って石を選ぶという行為に近いのかもしれません。

──そうなると、作品と非作品の境界はどこにあるのでしょう?

石がどれも等しい存在であるように、どんな作品も失敗作にはならないです。窯から出てきたそのときに作品として完成しているものもあれば、未熟なぼくが作品としての価値に気づけていないものもあります。でも、それらをずっと残しておいて、いくつかの時間をまたいで別々の破片を融合させ、作品として完成を目指し直すこともあります。

──「うつわ」は、大切なものを守る存在だと表現されています。安永さんの作品は物理的な強度を備えているとはいえ、大切なものを守り抜くには、どこかにいつも儚さを内包しているように感じます。ハードとソフトの関係性に対する考えがそこに現れているような気がするというと大袈裟でしょうか?

そうですね(笑)。僕はとくにハードとソフトの関係性について考えているわけではないし、社会に対して、何か問題提起をしたいという思いをもって制作しているわけでもありません。単純に、自分が美しいと感じるものを他者と共有しあえたら、という思いでやっています。

ただ、守護の願いを「うつわ」に込めるという考えの背景には、振り返ると、二つの出来事があります。一つは、祖母が亡くなり火葬場で祖母の遺骨が目の前に現れたとき、陶芸家であるぼく自身が祖母のためにできることがないだろうかと考えたんです。そこで祖母の遺骨や遺灰を釉薬に混ぜて小さな壺をつくり、「祖母を共有する」という感覚で、親戚たちに贈りました。

もう一つは、自分に子どもができたこと。子どもを守りたいという思いを物理的な存在に転化できないかと考えた結果、魂のいれもの、という感覚で制作しはじめた動物をモチーフにした作品につながりました。

こうした経験から、自分がうつわをつくる理由について向き合うようになったように思います。大切なものを守るためのいれものなんだ、ということがわかってから、少しずつ霞が晴れて、目に見えない大事なものが見えるようになってきました。今もまだ確信はありませんが、以前よりも自分の作品に対して納得できるようになったと思います。

──工芸とアートの境界を意識されることはあるのでしょうか。

かつてはあまり意識したことはありませんでしたが、同時代の作家である桑田拓郎さんが現代アートシーンで活躍しているのを見ると、両者の境界が曖昧になっているんだなと感じて励まされます。ぼく自身、5年前にノナカヒル・ギャラリーに所属したことで現代アーティストとして見てもらえるようになりました。工芸は技術が先にあって、その先に表現が生まれると理解しています。一方のアートは、まず視点やコンセプトが重要で、それを表現するための技術がある。僕は技術ありきでスタートしているので、工芸家的なアプローチかもしれませんが、ぼくなりの解釈で独自の技術を探求していく中で表現が生まれている、つくることを通じて、自分では捉えきれていなかった考えや思いを紐解いていっているのだと思います。

MASAOMI YASUNAGA : EMPTY VESSEL by NonakaHill
会期:開催中〜6月16日(日)
会場:Gallery 85.4(東京都渋谷区神宮前2丁目6−7 神宮前ファッションビル 1階)
時間:12:00 - 19:00

Photos: Shintaro Yoshimatsu Text & Edit: Maya Nago

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