オーストラリア館代表作家の復帰は実現せず。パトロンは支援打ち切りを決定、複数の関係者が辞任
2026年ヴェネチア・ビエンナーレのオーストラリア館代表作家とキュレーターが選出からまもなく降板させられたことを受け、国内ではアーティストらが復帰を求める署名運動を行なっていたが、二人の復帰は実現しないことが明らかになった。

2026年のヴェネチア・ビエンナーレ、オーストラリア館の代表作家に選出されたハーレド・サブサビが、選出から数日後の2月13日深夜(現地時間)に降板させられたことを受け、国内のアーティストが復帰を求める署名運動を行なっていたが、同芸術祭に復帰しないことが明らかになった。サブサビは今月初旬にキュレーターのマイケル・ダゴスティーノとともに同国の代表から降板させられ、その賛否をめぐって物議を醸していた。
二人の降板を最終決定したのは、オーストラリア館の主催団体であるクリエイティブ・オーストラリアの会長、ロバート・モーガンとエグゼクティブ・ディレクターのエイドリアン・コレット。クリエイティブ・オーストラリアは同国政府の主要な芸術諮問機関であり、昨年アーチー・ムーアの《kith and kin》で金獅子賞を受賞したオーストラリア館を監督している。
クリエイティブ・オーストラリアは降板を発表した当初、声明を通じてこう説明していた。
「2026年の選考結果に関する分裂的な議論は、オーストラリアの芸術界を支持している国民にとって受け入れがたいリスクをもたらし、芸術と創造性を通じてオーストラリア国民を団結させるという私たちの目的が損なわれる可能性があります」
今回の騒動は、ヒズボラ指導者ハッサン・ナスララに焦点を当てたサブサビの2007年のビデオインスタレーション《You》に対して、オーストラリアの有力紙ザ・オーストラリアンが批判したことが発端となった。同紙は、サブサビをオーストラリアの代表作家として選んだことは「人種差別への創造的アプローチ」であると表現していた。
サバスビは、レバノン北西部のトリポリに生まれ、レバノン内戦中の1977年にオーストラリアに移住した。イスラム教やアラブ人のアイデンティティ、そして、オーストラリアという国において彼らに向けられるステレオタイプを題材に作品を制作しているサバスビは、オーストラリア館の代表作家に選出された際にガーディアン紙にこう語っている。
「正直いうと、私はこれまで4回応募していますが、時代の流れや私の出自を理由に代表作家に選ばれることはないだろうと思っていました」
サブサビの降板騒動を受けてクリエイティブ・オーストラリアでは、ビジュアル・アーツ部門の責任者であるミカラ・タイや、理事で画家・彫刻家のリンディ・リーなど、複数の辞任者が出ている。
オーストラリア館の最終選考に残った5つの芸術チームは、2月14日に発表した共同声明を通じて、サブサビとダゴスティーノの解任を「オーストラリアの芸術家たちがもつ善意や、苦闘の末に勝ち得た芸術的独立性、言論の自由、そして民主主義国家の繁栄に重要な役割を果たす道徳的勇気とは正反対の行為」と非難した。オーストラリア国立芸術協会は、サブサビの復帰を求める声明のなかで次のように述べた。「政府による専門家パネルの選考プロセスへの介入は、独立性の原則そのものを脅かすものだ」
また、昨年の代表作家であるアーチー・ムーアとキュレーターのエリー・バットローズは2月19日付けのアートレビューに掲載された声明の中で、クリエイティブ・オーストラリアに対し、「クリエイティブ・オーストラリアの意思決定プロセスの透明性」を確保するよう呼びかけ、あらためて決定の撤回を求めた。
声明ではさらに、「決定の撤回は、メディア(ザ・オーストラリアン)や上院の質疑応答の場で、アーティストの誠実性に対して政治的動機による疑問が投げかけられたタイミングと一致している」と指摘している。上院の質疑応答の場では、オーストラリア議会の手続きの一環として議員が政府を公に追及できる。
ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーをかつて務めたパトロンのサイモン・モルダントも、オーストラリア館への支援打ち切りとオーストラリアの国際大使の辞任を決めた。モルダントはガーディアン紙の取材に対し、こう語っている。「この決定によって、今日はオーストラリアと芸術にとって、非常に暗い1日となりました」(翻訳:編集部)
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