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炭と化したパピルスの巻物を解読! 遺跡パトロールから文書解読まで、AIを用いた考古学研究の最前線

最先端技術のAIが、紀元前の都市遺跡に残された膨大な文書の解読を加速させている。US版ARTnewsでは、最新デジタル特集号「AIとアートの世界」のために、AIの代表的技術である機械学習や画像処理などのツールが考古学にどんな具体的成果をもたらしているか、2000年前の炭化した巻物の解読に挑む「ヴェスヴィオ・チャレンジ」の関係者に取材した。

Artwork: Daniela Hritcu for ARTnews

炭の塊になった巻物の「バーチャル開封」に挑戦

約300年前、古代ローマで栄えたヘルクラネウムの遺跡からパピルスの巻物1785巻が発掘された。考古学者たちがそれを見つけたのは、後に「パピルス荘」として知られるようになった大邸宅だ。ポンペイにほど近く、ヴェスヴィオ山のふもとからおよそ18キロメートルの距離にあるヘルクラネウムは、ローマ時代に何千人ものエリート市民が居を構えた海岸沿いの保養地だった。

ポンペイよりも保存状態が良かったヘルクラネウムの遺跡には、家々の調度品や豪華なフレスコ画のほか、建物の上階や木製バルコニーなどが無傷のまま残っていた。だが、1752年に発見されたパピルスの巻物は炭化していたため、長らく判読不能とされていた。

しかし、近年急速に進化しているAI技術によってそれが一変する。

AI技術が一般の人々の耳目を集めるようになったのはここ数年だが、ヘルクラネウムのパピルスに関する画期的発見につながる技術が生まれたのは20年近く前のことだ。それは、コンピュータ科学者のブレント・シールズが、「損傷がひどく、開くことすらできない巻物」をなんとか解読したいと執念を燃やすようになったのがきっかけだった。

シールズは、自分を駆り立てたのは「果たして今もそこに文章が残されているのか」という疑問だったと語る。それが原動力となり、3Dの断層撮影画像で古代の巻物の表面を仮想的にマッピングし、最終的に判読することに成功した。

数多くの巻物を保管する書庫があったことからパピルス荘と呼ばれる邸宅は、ユリウス・カエサルの義父、ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスが所有していた。ほかに例のない規模の古典文書の書庫から発掘された巻物には、古代ギリシャ・ローマの著名な学者による重要な哲学書や文学書が含まれると見られており、現在はオックスフォードのボドリアン図書館やフランス学士院、ロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館など、主要な研究機関や展示施設に収蔵されている。

イタリアのナポリ国立図書館が所蔵するヘルクラネウム・パピルス(2019年撮影)。Photo: Antonio Masiello/Getty Images

2005年、ケンタッキー州レキシントンにあるケンタッキー大学の教授だったシールズは、世界各地の文化施設に所蔵されている著名な文書のデジタル化やデジタル修復が始まったことを知る。そこで彼は、機械学習やAI、コンピュータビジョンなど自分の専門分野のツールを用いて、ヘルクラネウムの巻物を「バーチャル開封」できないかと考え始めた。

4年にわたる研究で実際に使うことのできるプロトタイプを完成させたシールズは、フランス学士院と交渉し、院内で作業することを条件に巻物を分析する許可を得る。だが、さまざまな技術的制約のため、最初の試みでは満足のいく結果は得られなかった。スキャンした画像の解像度はそれほど高くなく、その一方で大容量の画像データを処理できるコンピュータがなかったからだ。データがあまりにも巨大なため、巻物の画像を一度に見ることができなかった当時を振り返ってシールズはこう語る。

「最初のスキャン作業から戻ってきたとき、全データを読み込めるほどのメモリを持つコンピュータがありませんでした。クラウドコンピューティングが発達した今では、大容量のメモリを持つシステムにデータをアップロードすることができますが」

いくつかの成果は得られたものの、当時の技術ではシールズが思い描いていた「バーチャル開封」を実現するには至らなかった。しかし、2015年頃になると高解像度のトモグラフィ(X線を使った特殊な断層撮影)カメラが開発され、それを利用した専門家たちは、ヘルクラネウムのパピルスに文字が残っているとの結論に至る。

文書解読の進展につながった「ヴェスヴィオ・チャレンジ」

一方、シールズが率いるチームは、別のプロジェクトにも関わっていた。彼らはイスラエルの死海西岸で発見されたエン・ゲディ文書を、X線トモグラフィとコンピュータビジョンを用いた新しい技術で分析。巻物を開くことなく、ユダヤ・キリスト教の重要なテキストであるレビ記の文章が書かれていることを発見した。

シールズたちは、これと同じ技術を使ってヘルクラネウムの遺跡から出土した巻物を分析し、そこにテキストが残っていることまでは突き止めた。しかし、文字を書くのに使用されたインクの成分は炭素で、焼けたパピルスと性質が近いためにX線技術で読み取ることは難しい。そこで、これを判読しやすくするためAIを使ってインク部分を強調する方法を試みることが決まった。これが、「ヴェスヴィオ・チャレンジ」として知られるコンテストの設立につながる。

ここで補足しておくと、こうしたスキャンや画像処理といった技術の進歩に加え、保存修復の方法が進化したことにも注目すべきだろう。アムステルダム国立美術館の「夜警作戦」の例に見られるように、最近の修復プロジェクトでは美術館が貴重な美術品や工芸品に先端技術を用いた実験的な分析を許可するようになっているが、その背景には保存修復技術の向上がある。しかし、シールズが実験を開始した当初は、所蔵品のスキャンを許可する文化施設を探すのは簡単ではなかった。

イタリア・ヘルクラネウムのパピルス荘にある「ネプチューンとアンフィトリテのモザイクの家」の内部(2003年撮影)。Photo: Eric VANDEVILLE/Gamma-Rapho via Getty Images

2022年秋、シールズの業績を知ったGitHubの元CEO、ナット・フリードマンが研究をさらに推進するために公開コンテストを行ってはどうかと提案。当初シールズは躊躇していたが、研究資金の調達に失敗した後にこの提案を受け入れた。

「ヴェスヴィオ・チャレンジ」と名付けられたコンテスト設立のため、フリードマンはAI分野で共に投資を行っていた起業家のダニエル・グロスと12万5000ドル(直近の為替レートで約1800万円、以下同)を共同出資。さらに、シリコンバレーの投資家やソーシャルメディアを通じて100万ドル(約1億4500万円)の資金が集まった。

コンテスト参加者の目標は、シールズが公開したソフトウェアと高解像度のスキャン画像を使って機械学習モデルを作り、炭化したパピルスのテキスト部分を判別することとされた。そして、これまでいくつかのゴールを設定し、それぞれの勝者に賞金を授与している。2023年7月に終了したラウンドは、パピルスに含まれるインクを検出するAI技術の改良を競うもので、数千人の中から選ばれた10人の勝者に10万ドル(約1460万円)の賞金が分配された。また、2023年のグランプリは「年末までに各140文字以上の文章を4つ解読せよ」というチャレンジで、賞金は85万ドル(約1億2400万円)。なお、このコンテストでは参加者が互いの研究を活用できるよう、各ラウンドの研究成果やコード、分析方法が公開されている。

文書の解読にAIがもたらしたブレークスルー

昨年10月、このチャレンジに画期的な進展が見られた。アメリカの物理学者で起業家のケイシー・ハンドマーが、ギリシャ文字のスキャン画像にひび割れた泥のようなテクスチャーがあることに気づいたのだ。ネブラスカ大学リンカーン校のコンピューターサイエンス学部生のルーク・ファリターは、これを利用して機械学習アルゴリズムをトレーニングし、porphyras(紫)という単語を識別。この発見で個人賞を受賞した。その後、ベルリンを拠点とする博士課程の大学院生ユセフ・ネーダーがこのテキストを捉えた画像の鮮明化に成功している。

グランプリでは最終的に18件の応募があり、審査員が応募者のコードを検討したのち12件がパピルス研究者で構成される審査委員会に提出された。委員会がテキストを書き起こし、読みやすさを評価した結果、4つの文章の少なくとも85パーセントを判読するという入賞基準を満たしたのは、ファリターとネーダー、そしてスイス連邦工科大学チューリッヒ校ロボット工学科の学生ジュリアン・シリガーが組んだチームだけだった。彼らには70万ドル(約1億円)の賞金が贈られている。

このとき解読された文章は、音楽やケイパーの味、紫色について論じたもので、感覚と快楽に関する哲学書の一部だった。初めて存在が明らかになったこの書には、古代の哲学者・作家のセネカやプルタルコスの文章に登場するフルート奏者、クセノファントスに関すると思われる記述もあった。

ネーダーは、「チームの中で古代ギリシャ文字を読める者はいなかったが、巻物に隠されていたテキストを繰り返し見ているうちにその細部まで詳しくなった」と振り返る。

「判読する過程で、文字をなぞってインクの部分を浮き上がらせた白黒画像を作成しました。その作業を通して、私はそれを書いた書記の筆跡や、どのように文字を書き始めたのかなど、クセが分かるようになったのです。高解像度の(スキャン)画像を見れば、文字を書き始めたポイントや、どのように筆を運んでいたのかをインクの濃淡から知ることができます」

ヴェスヴィオ・チャレンジを画期的な取り組みだと評価するヘルクラネウム保存プロジェクトの考古学者、ドメニコ・カマルドはメール取材にこう答えている。

「ナポリ国立図書館のヘルクラネウム・パピルス・ワークショップの研究者たちが、ヘルクラネウムの巻物を解読するために何十年もの間、多大な努力をしてきたことを私はよく知っています。それだけに、黒焦げの巻物を広げることなく、つまり破損の危険を犯さずに、AIが文字を読み取り、単語を判読し、最終的には文章全体を再構築したことに驚かされました」

「PHerc.Paris. 4」と呼ばれる巻物(フランス学士院所蔵)に記されたテキスト。2000年の時を経て初めて人の目に触れた。Courtesy Vesuvius Challenge

ヴェスヴィオ・チャレンジの2024年のゴールは、年末までにスキャンされた4巻のパピルスの少なくとも90パーセントを解読することだ。シールズによれば、最終的な目標は、この技術のスピードと精度を向上させながら解読する巻物の数を増やすことだという。

「それぞれの発見は、どれも研究を前進させる可能性を秘めています。いつ大発見があるか分かりません。ヘルクラネウムの文書が研究者を刺激するのは、パピルスの一巻一巻に大きな発見につながる可能性があることです」

シールズが言うように、ヘルクラネウムの巻物はどれも、これまで知られていなかった文学や歴史書の可能性がある。その一方で、それがまだ発掘されていない膨大な蔵書のほんの一部にすぎないということも重要だ。シールズは、ヴェスヴィオ・チャレンジがもたらした新発見が発掘調査のさらなる前進につながることを期待している。ヘルクラネウム遺跡はまだ多くの区画が手つかずで、書庫の主要部分も特定されていない。灰の下には、さらに何千もの巻物が埋もれているかもしれないのだ。

さらに、ヴェスヴィオ・チャレンジで開発された新しい技術は、ほかの文書の解読にも応用できるのではないかと注目されている。2023年のグランプリを獲得したネーダーはこう説明する。

「ベルリンで進行中のプロジェクトでエジプトの巻物の解読にも関わっているのですが、そこでも有望な成果を得られています。ヘルクラネウムのモデルを通して得られたパピルスやインクについての知見が、エジプトの巻物にも応用できるのです」

「人間が残した文章があるからAIが役に立つ」

AIは人間の創造性や雇用にとっての脅威だと感じる人もいる。だが、考古学分野の研究者たちは、AIは基本的には有益なツールで、さまざまな場面で役立てることができると考え始めている。

実際、考古学の調査研究ではすでに、これまで未発見だった遺跡の位置の特定や識別などにAIが活用されている。測量で得られた地形などのデータと機械学習を組み合わせることで、効率的な調査ができるのだ。たとえば、レーザー光を用いたリモートセンシング技術LiDAR(ライダー)による調査で、メキシコの鬱蒼とした熱帯林の中に隠れていたマヤ時代の建造物やピラミッドが発見された。また、ギザにある古代エジプトの墓地では、これまで知られていなかったL字型の構造物が地中探査技術で発見された例もある。さらに、この分野におけるAI活用は研究だけに留まらない。たとえば、ポンペイの考古学公園では、遺跡を盗難から守るためのパトロールに、AIを組み込んだ犬型ロボットが導入されている。

20年以上にわたって研究を続けてきたシールズはこう語る。

「人類が残してきたデータがあるからこそ、AIが威力を発揮するのです。人文科学と先端技術のインターフェースとしてAIが役立てられているのは、とても興味深いことだと思います。大規模な言語モデルを構築するためには人間が書いた膨大な数のテキストが必要ですが、これは偶然ではありません。人間の文章には、人間であることの本質が捉えられているのです。そのような相互作用こそ、次に探求すべきフロンティアとなるでしょう」(翻訳:野澤朋代)

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