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アメリカ最古の墓の謎を考古学者らが解明。墓石はどこから来て、誰のために建てられた?

アメリカでこれまで見つかっている中で最も古い墓碑の謎が解き明かされた。考古学研究者グループによると、イギリスでナイトの称号を受けた人物が象嵌されていたと見られる黒石灰岩の墓碑は、複雑な交易ルートを経てアメリカに運ばれたという。

黒石灰岩の墓碑(写真は横位置)。Photo: The International Journal of Historical Archaeology

9月上旬に発表された新しい研究結果で、アメリカ最古とされる墓碑の来歴が明らかになった。考古学研究者グループによると、材料となった黒石灰岩はおそらくベルギーで採取され、1627年に現在のバージニア州ジェームズタウンで墓碑として建てられたと考えられる。ジェームズタウンはイギリスが北アメリカで初めて入植に成功した永続的な植民地で、のちにバージニアとしてアメリカ合衆国最初の13州の1つとなった。

学術誌インターナショナル・ジャーナル・オブ・ヒストリカル・アーキオロジーに掲載された論文の執筆者たちは、墓碑がどこから来たものかを特定するため、黒石灰岩の石材そのものや表面に施された彫刻・象眼細工などを調査し、墓石の破片に有孔虫など微生物の化石が含まれていることを突き止めた。これらの微化石は現在のベルギーとアイルランドで発見されているが、北アメリカには見られない。英インディペンデント紙が伝えるところによると、研究者チームはこう分析している

「ここから分かるのは、この墓碑がヨーロッパから輸送されたものだということです。歴史的資料の検証によれば、ベルギーからロンドンへ送られ、そこで積み替えられてジェームズタウンに輸送されたと思われます。ベルギーで採石された石材がムーズ川を下って英仏海峡を渡り、ロンドンで彫刻や真鍮の象眼細工が施され、最終的にジェームズタウンへと運ばれたのです」

この黒い墓碑にある窪みは、盾、開いた巻物、鎧を着けたような男性像が真鍮で象嵌されていたことを示唆している。現存する史料によれば、ジェームズタウンで17世紀に死亡したナイトの称号を持つ人物は2人。1人はトーマス・ウェスト卿(1618年没)、もう1人はジョージ・イヤードリー卿で、このうちイヤードリー卿が墓碑の人物として有力視されている。イヤードリー卿の継孫が1680年代に購入した墓石に、1627年の黒い墓碑と同じ碑文が刻まれているからだ。

1588年にイングランドのサザークで生まれたイヤードリー卿は、植民地への補給船でアメリカ大陸へ向かい、バミューダ付近での難破を経て1610年にジェームズタウンに上陸した。1617年にイングランドに帰国すると、翌年国王のジェームズ1世からナイトの称号を授与されている。1619年にジェームズタウンに戻って総督の地位に就いたが、1621年に総督職を辞し、1626年にバージニア総督に再任されたのち、1627年に没した。

墓碑の謎を解き明かした論文には次のような考察が述べられている。

「かつてロンドンに住み、バージニアに渡って成功した入植者たちは、イギリスの最新の流行に詳しく、それを植民地でも再現しようとしたのでしょう」(翻訳:石井佳子)

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