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ドクメンタ15のテーマ「アートより友だち」は実現したか。非ヨーロッパ的価値観との軋轢を生むドイツの事情

「アートより友だち」。今年のドクメンタは、こんなスローガンを掲げている。5年に1度、ドイツのカッセルで開催される国際美術展ドクメンタは、型破り、実験的、コンセプチュアルといった言葉で語られることが多いが、特に今回のドクメンタ15は従来にない試みが満載だ。彼らが伝えたいこと、そしてそれを阻もうとするものについて考える。

バン・ノーグ・コラボラティブ・アーツ・アンド・カルチャーのインスタレーション《The Ritual of Things(物の儀式)》(2022) Photo Nicolas Wefers

アートフォーラム誌が2019年に友情をめぐる考察を特集したように、最近、友との関係性をテーマ化するのが流行りのようだ。シカゴのルネサンス・ソサエティで2021年に行われたグループ展、「Smashing into my heart(私の心を突き破る)」では、キャロリン・ラザードの《Support System(サポートシステム)》(2016)が出品された。これは、ベッドの中にいるアーティストに、来場者が花束を持っていくというパフォーマンス作品だ。

こうした試みには、社会におけるアートの位置づけを明示するだけのものもあるが、注目すべきなのは、より変革的な何かを志向する動きだ。それは、企業、カップル、核家族など、さまざまな関係性のネットワークを見直すことで、親しさや支え合い、協働へと至る、従来とは違う道筋を具現化しようとする。


ザ・ネスト・コレクティブ《Return to Sender(送り主に返却)》(2022) Photo Nils Klinger

インドネシアのアーティストコレクティブ(集団)、ルアンルパが芸術監督を務めるドクメンタ15では、日本の栗林隆とシネマキャラバンが《蚊帳の外》を展示している広場に「NO ART MAKE FRIENDS(アートではなく友達をつくろう)」と書かれた黒板が置かれている。これが今回のドクメンタ全体のテーマだ。

ルアンルパにとって、友情とは助け合いにほかならない。それは、インドネシア語で一緒に飲んだり食べたりおしゃべりしたりという、ゆるやかな交流を意味する「ノンクロン」であり、収穫した米から余った分を共有して絆を深める共同倉庫「ルンブン」でもある。こうした考え方をベースに、ルアンルパは分散型のキュレーションを打ち出し、彼らが選んだアーティストやコレクティブがさらに自らのコミュニティから参加者を招くという方法を取っている。最終的には約1500人が参加することになったドクメンタ15は、大規模な美術展というより、実験的な社会構築の祭典と言うべきかもしれない。

ドクメンタの芸術監督をコレクティブが担当するのは、今回が初めてだ。ルアンルパは21世紀の初めに、ジャカルタという大都市の過密で混沌とした雰囲気の中で結成された。当時は、インドネシアでスハルト政権が崩壊した後のレフォルマシ(改革)のまっただ中で、反汚職や反縁故主義運動が高まりを見せていた。メンバーには大学中退者が多く、学術理論よりも民間伝承や実体験を重視している。

文筆家でキュレーターでもあるデビッド・テーは、2012年にルアンルパについての論考を、ロンドン芸術大学リサーチセンターの機関誌アフターオールに寄稿。彼らは、「2000年代前半に世界のアートシーンでカウチサーフィン族(*1)に流行したネオ状況主義(*2)とシンクロする、パンクなゼロックスDIY文化」を体現していると述べた。これは、まさにドクメンタに対するルアンルパの構想そのものだ。展示会場では、バン・ノーグ・コラボラティブがスケートボードのハーフパイプにグラフィティ作品を描き、エル・ワルチャが「乱暴なプロトタイプ制作」を行う木工ワークショップを運営。セリグラフィスタス・クィアは廃屋を改造したラウンジエリアに横断幕状の布でできた天蓋と仮設ベッドを設けた。


*1 カウチサーフィンとは、自分の家を宿泊する場所として(基本的に)無料で提供するサービス。人の家のカウチ(ソファー)をサーフィンする(転々とする)の意。

*2 状況主義とは、1960年代前後の思想・運動で、資本主義の大量消費社会を批判するもの。消費社会=スペクタクルの社会としてスペクタクルに対する「状況(シチュアシオン)」の構築を目指し、「シチュアショニスト・インターナショナル」が結成された。

それよりはもう少し普通に見える作品であっても、堅苦しい展示にはなっていない。たとえば、ビデオスクリーンの周囲には箱をひっくり返しただけの椅子が並べられ、作品名などの表示はテープで貼ったり、まちまちの高さにつるされていたりといった調子だ。

アートは社会生活と切り離せないという基本理念が、今回のドクメンタでは明確に打ち出されている。ジャワのアートコレクティブ、タリンパディは、ハレンバード・オスト会場で、過去20年にわたる政治的プロパガンダの資料を展示。抗議デモでレンチや鎌を振り回す労働者や農民を段ボールに描いた絵に、実際のデモの写真を組み合わせることで、ギャラリーや美術館の外にある実生活を強調している。インスタレーションの多くは、参加アーティストや来場者など人を巻き込む必要があるものだが、オープニングウィーク中は毎晩、モロッコ、カンボジア、トバゴから来たアーティストの友人たちがWH22会場の中庭に集まり、笑い声と音楽とたばこの煙が渦を巻いていた。

しかし、「実践としての友情」は、一筋縄ではいかない。そこには主観的で排他的な側面があり、身内をひいきしているのを覆い隠すものにもなりかねない。しかし、世界の文化・経済の中心から離れた国や地域からの出展者が多い今回のドクメンタに集まっているのは、裕福な家庭環境や美大の同窓生といった共通項で固まったグループではなく、資金も名声もない状況で長年コラボレーションを続けてきたアーティストたちだ。彼らの多くは、自分の地元固有のニーズに応えるため、それまで存在しなかった社会組織として結成されている。たとえば、ケープタウンの出版プラットフォーム、チムレンガは、汎アフリカ解放運動をテーマとする放送番組「Radio Freedom(自由ラジオ)」の新シーズンを制作。また、1998年にハノイで設立されたニャ・サン(Nha San)は、地元で活躍する50人以上のアーティストをWH22での滞在型の共同活動に招待した。


エル・ワルチャのインスタレーション《Clever ways of stacking chairs(椅子の賢い重ね方)》(2022)の様子 Photo Frank Sperling

ルアンルパ自体が「友人でもある文化的企画者」のお手本だ。上下関係のないルアンルパの「ノンクロン」は、ただ仲間でたむろするだけでなく、自分たちで組織を維持することをも意味する。ドクメンタではジャカルタにあるルアンルパの活動拠点が再現されているが、そこは展示スペースやスタジオであると同時に、食事やカラオケを楽しみ、なんとなく集まって会話し、協力し、対立を解決するためのクラブハウスでもある。

ドクメンタ15のプロジェクトの多くは、物やサービス、そして知識を交換し合うことを重視している。それを体現しているのは、ブラジル人アーティスト、グラジエラ・クンシュが提供する公共デイケアや、ブリット・アーツ・トラスト・ベンガリが100日間にわたって100カ国の料理を紹介するキッチンなどだ。また、ドクメンタの会期中、メイン会場の1つであるフリデリチアヌム美術館は、学びの場所として自主運営される。ザ・ブラック・アーカイブスやケレケトラ! ライブラリーなどが、本棚や壁一面に書かれたテキストで図書館のような展示を行うほか、子ども向けのワークショップなどが実施される。

ドクメンタ15はまた、美術史家のジョン・ロバーツが2017年の講演で提唱した「art of the commons(共有資源としてのアート)」、つまりアートの実践と政治闘争の間に位置する共同・参加型交流という概念を思い起こさせる。ロバーツの考えでは、公共のものを私有化することは、経済の問題であると同時にイデオロギーの問題で、アートの実践を社会活動として行うことは、自己疎外に対する防御となる。

今回、際立っているのは、グローバルサウス(*3)のコモンズ(共有財産)が、グローバルノース(*4)によって侵食されているのをはっきり示していることだ。たとえば、ザ・ネスト・コレクティブによるごみのインスタレーションは、ナイロビやケニアで深刻化する欧米から寄付された古着の廃棄問題を取り上げ、コンゴ民主共和国の銅山地帯に関するサントル・ダール・ワザの作品も地元住民や天然資源の搾取をテーマとしている。つまり、中心──周縁の関係においては、「相互依存」という概念が敵対の意味合いを帯びてくるのだ。


*3 グローバル化した資本主義による負の影響を色濃く受ける国や地域。低所得国が南半球に多いことから使われるようになった用語。

*4 主に北半球に偏在している先進国。

美術史家のクレア・ビショップは、2004年に発表したリレーショナル・アート(*5)の批評「対立と関係性の美学」で、リレーショナル・アートが民主的だという主張は欺瞞だと指摘した。なぜなら、関係性は他者との調和を強要するが、公的な領域の民主化は、対立を消すことよりも、対立することで実現されるからだ。だから、ギャラリーでパッタイ(タイ風焼きそば)を調理するリクリット・ティラヴァーニャの歴史的なパフォーマンスには、関係性に「本来備わっている摩擦」が欠けているとビショップは書いている。一方、ドクメンタ15は関係性に満ち満ちていているが(そして100カ国もの料理が調理されるが)、そこには本質的な摩擦がある。


*5 作品の内容や形式よりも「関係(relation)」を重んじる芸術作品を指す。作品の制作過程で生じる周囲との相互関係、作品が作り出される目的やコンテクスト、さらには作品の公共性を重視する。

カッセル市とヘッセン州の助成を受けているドクメンタの運営組織が2019年にルアンルパを芸術監督に指名した時、ヘッセン州の科学芸術大臣は「非ヨーロッパ的な芸術観を積極的に受け入れる」決定だと賞賛した。ルアンルパは、ドクメンタが第2次世界大戦後の復興事業として始まったことに触れ、「現代の傷、とりわけ植民地主義、資本主義、家父長制的構造が根本的な原因となって生じた傷」を取り上げたいとしていた。しかし、この崇高な目的は、ドクメンタの背後にある組織の性質とは相反する。それは、戦後の新たなナショナル・アイデンティティ構築と地政学的影響力のために作られたものだからだ。1955年のドクメンタ開始当時、カッセルは東ドイツとの国境に近いため、東欧圏への影響を期待できる場所だったのだ。

5100万ドルの運営費用を出す市と連邦政府の関係者は、ドクメンタの展示内容やアートの形態に関して行政権を行使することもある。こうした政治的条件は、ルアンルパにどのような影響を与えているのだろうか。


タリンパディのインスタレーション《The Flame of Solidarity: First they came for them, then they came for us(連帯の炎:彼らはまず彼らのために来て、それから私たちのために来た)》(2022)の展示風景

ドクメンタ15で発生した最も激しい摩擦は、その多元的で脱植民地的な価値観と、ドイツにおけるヨーロッパ中心主義や自国の過去への腰がひけた態度がぶつかり合って引き起こされている。具体的には反ユダヤ主義をめぐる問題だ。

まず、今年の初めから、パレスチナのコレクティブであるクエスチョン・オブ・ファンディングが、イスラエルに対するBDS(ボイコット、投資の引き揚げ、制裁)運動を支持していると報道され、論争が起きた。開幕の6月18日には、フリードリヒスプラッツに設置されたタリンパディの壁画《People's Justice(民衆の正義)》(2002)に、反ユダヤ主義的な要素があるとして非難の声が上がった。壁画には、耳の前の毛を長く伸ばし、牙と赤い目を持ち、ナチス親衛隊のSSマークのついた山高帽をかぶったユダヤ人らしき人物や、頭が豚で、ダビデの星がついたスカーフを巻き、モサド(イスラエルの国家情報機関)と書かれたヘルメットをかぶった兵士が描かれていた。この画像はドイツのメディアですぐに拡散し、イスラエル大使館だけではなく、カッセル市長やドイツの文化大臣もこれを批判。壁画は黒布で覆われ、やがてばらばらに解体されるという懲罰的な光景が繰り広げられた。

ルアンルパとタリンパディは、指摘された要素に関し、歴史上の悲劇がもたらした痛みを再燃させてしまったとして公式に謝罪した。7月6日、ドイツ連邦議会に出席したルアンルパのメンバー、アデ・ダルマワンは、《People's Justice》は、スハルト軍事独裁と1965年に起きた共産主義者の大虐殺というインドネシアの歴史的事件を取り上げたものだと説明している。

ダルマワンの説明で、批判された要素がはらむ問題が小さくなるわけではない。だが、この作品は、歴史上の激烈な暴力事件同士を公共のレベルで比較することについて、歴史家マイケル・ロスバーグが論じた「多方向的記憶」と似たアプローチを提案するものだ。ロスバーグは、ベルリナー・ツァイトゥング紙で壁画のコンテクストについて持論を展開。これを軍国主義への批判と捉えれば、ダビデの星はユダヤ人のアイデンティティの象徴というより、イスラエルによるスハルト政権支援の象徴という意味合いを帯びると書いている。さらに、オランダ植民地時代、日本占領時代、あるいは1930年代にオランダの支援を受けていたドイツ・ナチスの存在を通じてインドネシアに反ユダヤ主義的表現が登場した事実は、植民地主義、反ユダヤ主義、大量虐殺が驚くほど矛盾した形で複雑に絡み合っていることを示す教訓として捉え直すことができるとも指摘している。

結局ドクメンタ15は、知らず知らずのうちに、ドイツが抱える“記憶の戦争“の巻き添えになっていたのかもしれない。いずれにしても、パレスチナ人、イスラム教徒、アラブ人や性的マイノリティのアーティストが、政府当局や過激思想組織による脅し、破壊行為、嫌がらせの嵐に直面し、危険な状況に置かれたのは、運営組織の失態と言えるだろう。

実際、保護を求める要請が無視されたことから、デリーズ・パーティー・オフィスなどの参加アーティストがカッセルから相次いで撤退している。イスラムの歴史と脱植民地化の歴史をテーマに、ハラル・フライド・チキンを売るフランチャイズ店のLED看板を使ったインスタレーションを発表したハムジャ・アーサンは、激しい嫌がらせを受けて、「『人生最高の時になるはずだった』ものが『最も恐ろしい』体験になった」と語った。ルアンルパは、表現への弁護だけでなく実質的な保護を行いたいとしていたが、運営組織の不手際がその努力を台無しにしてしまった。

ダルマワンが連邦議会で述べたように、あら探しと検閲が横行する風潮は、「ルンブン」が象徴する「尊敬に基づく学び合い」という価値観とは相反するものだ。ドクメンタ15は、そのテーマにおいても、手法においても、「非ヨーロッパ的世界観」を示し、グローバルサウスによる多角的展示を実現するという約束を果たした。しかしその反応として起きた混乱や排斥は、そもそもドクメンタが批判する対象だったはずの覇権主義の不条理を肯定するものに他ならない。(翻訳:清水玲奈)

※本記事は、Art in Americaに2022年8月2日に掲載されました。元記事はこちら

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