再評価の気運高まる! 「不穏な異世界」と人生を重ねて描いたガートルード・アバクロンビー展をレビュー
ガートルード・アバクロンビー(1907-1977)は、シカゴを拠点に活動し、独特の謎めいた絵画の数々を残したアーティストだ。「ボヘミアンの女王」を自称し、社会規範にとらわれない生き方を貫いた彼女の大回顧展が、現在ピッツバーグのカーネギー美術館で開催されている(6月1日まで)。非現実的ではあるが、シュルレアリストの一言では片付けられないアバクロンビーの作品をレビューする。

1977年7月に死去する数カ月前、シカゴの画家ガートルード・アバクロンビー(Gertrude Abercrombie)は、地元ラジオ局の司会者で、オーラルヒストリーの大家としても知られるスタッズ・ターケルのインタビューに応じた。その数年前から関節炎で絵を描けなくなり、ほとんど家に引きこもっていた彼女は、自分が得意とする不気味な夜の情景などの画風について、「全てがある意味で自伝的ですが、空の彼方に浮かぶ夢のようなものでもあります」と語っている。
確かに、アバクロンビーは作品の中に個人的な経験を描き込んでいる。1937年の絵には、子ども時代を過ごしたイリノイ州アリードの、色褪せた屠殺場の廃墟が描かれているし、たびたび登場する奇妙な求婚者、そして恋人たちの間に漂う緊迫した空気は、2度にわたり破綻した結婚生活を寓意的に表しているのだろう。もう1つ、よく登場するのが猫だ。絵の中を横切っていたり、すました顔でこちらを見ていたりする猫たちは、彼女が住んでいたシカゴのハイドパーク地区にある、ビクトリアン様式の家を我が物顔で歩いていた猫たちとよく似ている。
「ボヘミアンの女王」の異世界感を掘り起こす大回顧展
そのアバクロンビーが手がけた80点を超える絵画が並ぶ回顧展「The Whole World Is a Mystery(世界の全ては謎)」が、現在ベンシルベニア州ピッツバーグのカーネギー美術館で開催されている(*1)。アバクロンビーにとって過去最大規模となる同展は、展示のレイアウトにやや難があるものの、とても魅惑的だ。
*1 カーネギー美術館での会期は6月1日まで。その後メイン州のコルビー大学美術館、ウィスコンシン州のミルウォーキー美術館に巡回する。
しかし、本人が「自伝的」とはいうものの、作品に見られる非現実性や、麻薬による幻覚のような奇妙な場面展開は、彼女の人生だけでは説明がつかない。旗やドミノ、貝殻、カタツムリ、月、卵、フクロウなど、繰り返し現れるモチーフによって、作品には言いようのない異世界感が漂う。また、中西部の荒涼とした風景の中を歩く人物の絵を何枚も描いているが、そうした絵の登場人物(ほとんどが1人きりの女性)は、何だかよく分からない用事を済ませに行く途中で魔法にかかってしまったように見える。屋内を描いた絵では、部屋の描写は安宿の一室のように家具もまばらでみすぼらしく、ドアの下から差し込まれた手紙は不吉な知らせか悲劇的な召喚状を思わせる。さらに、壁に架けられた画中画は、鏡の迷宮に迷い込んだような感覚を誘発する。

「The Whole World Is a Mystery」は、ニューヨークのギャラリー、カルマ(Karma)で2018年に開催され、高く評価された展覧会をさらに発展させたもので、そのときと同じ豪華な図録もある。今回の回顧展は7つのセクションに分かれており、見落とされがちな細密画や静物画を含め、アバクロンビーがそのキャリアの中で取り組んだ多岐にわたるテーマや形式を紹介している。この大規模な回顧展によって、アバクロンビーはようやく正当な評価を得ることだろう。特異なビジョンを持つ彼女の強迫観念的な絵は、様式化されていると同時に粗野なまでに本能的で、民俗的シュルレアリスムとでも呼ぶべき謎めいたシンプルさがある。
展覧会の解説文はアバクロンビーを、「その独特な人となり、生き方、働き方のため、これまで美術史の周縁に置かれてきた」と説明している。実際彼女は「ボヘミアンの女王」を自称し、自由奔放な生活を送っていた。シカゴの自宅はディジー・ガレスピーやビリー・ホリデイなど、著名なジャズミュージシャンがツアー中に立ち寄る定宿となり、小説家のジェイムズ・パーディや画家のカール・プリーブなど、同性愛者の男性たちとも親しく交流していた。20世紀中頃のアメリカでは、人種や性別を超えた友人同士の親密な交流は珍しく、彼女のように主婦や母として家庭を守る人生を嫌悪する女性も稀だった。
その後、彼女はアルコール依存症によって心身を病み、引きこもりがちになった。生前にシカゴとニューヨークで展覧会が開かれたものの、2018年のカルマでの展覧会が彼女の画業を新しい世代に紹介するまで、アバクロンビーは知る人ぞ知る存在だったのだ。長い間埋もれてきたことに、彼女のエキセントリックな生き方がどれほど影響したかは分からない。ただ、彼女が女性で、しかも中西部出身だったことが有利に働かなかったのは確かだろう。
批評家たちは、アバクロンビーをシュルレアリストやマジックリアリストと呼んできたが、そうした説明はどこかしっくりこない。彼女の絵はシュルレアリスム風ではあるものの、ヨーロッパから来た本家ほど超現実に振り切ってはいない。確かに、建築物の描写にジョルジョ・デ・キリコを思わせるところがあったり、どんよりとした空がイヴ・タンギーを思わせたり、そして何よりルネ・マグリットの影響が顕著に見られる(彼女はマグリットを「魂の父」と呼んでいた)。しかしアバクロンビーの作風は、こうした画家たちと比べると素気ないほど簡潔だ。そこには明確に女性的な視点と、実利的と言ってもよさそうな感性がある。
彼女の絵には溶けた時計も出てこなければ、変形した不思議な生き物も登場せず、物理の法則に反する事象もほとんどない。2頭のライオンがチェスをしている《A Game of Kings(王たちのゲーム)》(1947)のように、あからさまに奇想天外な場面を描いた作品は、むしろ少々陳腐に感じられる。

不穏で寂寥感の漂う風景や夢の場面のような自画像
アバクロンビーが手がけた絵画の中でも最も質の高い作品には、少なくとも典型的な意味でのシュールさはまったくない。不自然なほどの独特な雰囲気があるだけで、リージョナリズム(*2)や、公共事業促進局(WPA)時代のアート(*3)を思わせる特徴もあちこちに見られる(アバクロンビー自身、WPAの仕事をしていた)。
*2 中西部の風景や農夫など、典型的なアメリカらしさを強調した具象画を描く芸術潮流。1930年から1940年代半ばにかけて流行した。
*3 大恐慌時代の1930年代半ばに、ルーズベルト政権が立ち上げた政府機関。多くの公共事業を通して雇用を促進し、画家や写真家などにも貧しい労働者の置かれた状況を取材した作品制作を依頼した。
彼女が数多く手がけた夢の場面のような自画像の1つ、《Self-Portrait, the Striped Blouse(自画像、縞模様のブラウス)》(1940)では、囚人服を彷彿とさせる縞模様のブラウスが目を引くが、それと同じくらい印象的なのが窓の外の不気味な木と痣のような雲だ。この絵の中では、心の中の状態と外界の様子が混じり合っているのだろう。また、《Charlie Parker’s Favorite Painting(チャーリー・パーカーのお気に入りの絵)》(1946)には、社会問題に対するアバクロンビーの考え方が現れている。淀んだ水溜りのような空を背景に、ほとんど蛍光色に近い鮮やかな黄色の首吊り縄が枯れ木からぶら下がっているこの情景を描くことで、人種差別に強く反対していた彼女はその信条を遠回しに表現している。
《Winding Road(曲がりくねった道)》(1937)や《Figure in a Landscape(風景の中の人物)》(1939)では、奇妙な雲や捻れた木々のほかは何もない風景の中を、1人の女性が足早に歩いている。こうした奇妙な木々は、ビュエル・ホワイトヘッドやカール・フォートレスのような、今では忘れ去られた画家たちの絵によく見られるものだ。
このような情景をたくさん描いたことから、アバクロンビーを風景画家と呼ぶこともできるだろう。しかし、そこに描かれているのは、ナイフのように不吉な水平線のある心象風景だ。たとえば、不吉な感じのする丘へと続く長い道の先に白い家が建っている《White House(白い家)》(1945)では、遠景に行くほど不穏な空気が増すように感じられる。また、一見牧歌的なモチーフを扱いながら、典型的な戸外制作の絵を戯画化したような作品もある。《Out in the Country(田園へ)》(1939)には、野原でくつろぐ女性が描かれているが、暗い陰を落とす木々や遠くの方に見える墳墓のような丘が、牧歌的な雰囲気を台無しにしている。
《The Church(教会)》(1938)も表面上は何ということもない絵で、髪を美しく整えた女性が、小さな礼拝堂に向かって舗装されていない田舎道を歩く後ろ姿が描かれている。しかしよく見ると、どの木も枯れて葉を付けておらず、病気にかかったか火事で燃えたかのように黒ずんでいる。さらには、女性の頭上にある雲も炭を擦り付けたように真っ黒だ。全体的にこの絵のスタイルには、漫画すれすれの俗っぽさがある。

カーネギー美術館の展覧会は、天井から床まで届く透け感のあるカーテンを使って区分けされているが、この演出はアバクロンビーの作品に特徴的な、異なる世界を隔てる境界線の曖昧さを連想させる。たとえば、《Letter from Karl(カールからの手紙)》(1940)や《The Past and the Present(過去と現在)》(1945)、《Cats, Screen, and Ghost(猫、スクリーン、幽霊)》(1950)では、画中画の中に自然の風景が描かれ、屋内と屋外の境界が曖昧になっている。
一方で、扉が壁のように並んでいる絵もかなりある。自宅の近所で進められていた住宅解体工事の現場から回収された扉に触発されたアバクロンビーは、1955年から扉シリーズの制作を始めた。展覧会場の解説文によれば、この工事はシカゴ市が進めていた大がかりな都市再生計画の一環として行われたものだった。それによって大勢の黒人住民が家を追われ、取り壊された家々の扉は工事現場の囲いとして再利用されていたという。ミントグリーンや、チェリー、ウルトラマリンなど、このシリーズに使われている色は、ほかの作品の暗い色調とは対照的に弾けるように鮮やかだ。
扉シリーズのセクションでは、この展覧会の弱点の1つである展示レイアウトの平凡さが特に目につく。順路に沿って見ていくと、同じ高さで並べられた扉の絵が1つまた1つと現れるのは、アバクロンビー作品の平面性をなぞっているのかもしれないが、反復を誇張しただけに思える。縦に2枚掛けされているところはほとんどなく、壁一面に絵を並べるサロン風の展示もない。メリハリのないレイアウトのせいで、このシリーズは特に退屈な印象を与える。同じモチーフをバリエーションで展開したシリーズの良さが引き出されておらず、平板さに陥っているのは残念だ。アバクロンビーの作品を鑑賞する醍醐味の1つは、絵の中の物語や主題を個別に味わうよりも、それらの間にある相互作用を発見することなのだから。
とはいえ、アバクロンビーのようなアーティストはめったに現れないし、このような展覧会はさらに珍しく、彼女の精緻な細密画と静物画を見るためだけでも足を運ぶ価値はある。全体を見て感じたのは、彼女のスタイルはモダニズム絵画の特異な分派であり、それはシカゴのような場所でしか生まれ得なかったということだ。沿岸部でも大平原でもなく、開拓の最前線でもなければニューヨークでもない。もっと奇妙で孤独な、内陸にぽつんと輝く宝石のような街の産物なのだ。(翻訳:野澤朋代)
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