ラムセス3世の碑文をヨルダン南部の岩壁で発見! ファラオの影響範囲に関する歴史的見解を立証

エジプト王ラムセス3世の碑文がヨルダン南部で発見され、ファラオの影響力がアラビア半島まで及んでいたことが証明された。この発見は古代エジプトの交易ネットワークと地域支配の実態を解明する重要な手がかりとなる。

ラムセス3世と女神イシスを描いたレリーフ。Photo: Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
ラムセス3世と女神イシスを描いたレリーフ。Photo: Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images

ヒエログリフを囲む楕円形の枠で作られたラムセス3世のカルトゥーシュ(王や高官の名前を囲む特徴的な枠)が、ヨルダン南部で発見された。この碑文が発見されたことで、アラビア半島の一角にもファラオの影響が及んでいたことが証明された。

ラムセス3世が即位した紀元前12世紀はギリシャが暗黒時代に突入した時代だった。ラムセス3世はリビア人と海の民による侵攻を撃退した後、エジプトの覇権を確立するため、貿易路と資源の支配を固めることに着手したという。

ラムセス3世は陸路と海路の両方から使節団を派遣し、金や象牙の産地として知られるアフリカのプント国、シナイ半島にあるトルコ石鉱山、およびイスラエル南部ティムナにある銅鉱山を対象に、交易路を拡大。これらの遠征は、エジプトで発見された最長の文書であるハリス・パピルスに記録されている。また、ハリス・パピルスの一部には、これらの経済活動にまつわるラムセスの演説も含まれている。

一方、ハリス・パピルスに記されていない遠征も存在するが、それらは岩肌などに刻まれて記録されている。今回、ヨルダン南部のワディ・ラム砂漠の泉の近くで発見された碑文もそうしたものの一つだ。

碑文は2つあり、ラムセス3世の出生名と王位名を記したカルトゥーシュがそれぞれ見つかった。王位名を記したカルトゥーシュは、ラムセス3世が紀元前1186年から紀元前1155年までエジプトを統治していたことを証明している。

このカルトゥーシュは10年以上前に初めて発見されたものの、最近になってようやく真正性が実証された。碑文の帰属に関する調査は、ヨルダンの考古学者でハシェミット大学の教授、アリ・マナサーとアハメド・ラシュによって行われ、マナサーはArtnet Newsの取材に対して次のように語っている

「このカルトゥーシュが発見されたことで、ラムセス3世の影響力が国境を越えたアラビア半島の交易路にまで及んでいたという歴史的見解が立証されました」

ワディ・ラム砂漠で発見されたラムセス3世のカルトゥーシュ。Photo: Jordanian Ministry of Tourism and Antiquities
ワディ・ラム砂漠で発見されたラムセス3世のカルトゥーシュ。Photo: Jordanian Ministry of Tourism and Antiquities

ワディ・ラム砂漠の一帯はかつて、工具、武器、顔料といった道具を作る際に必要とされた銅の重要な産地だった。この地域はまた、各地域からエジプトへ運ばれる香辛料や金属をはじめとする多様な物品を運ぶ交易路沿いに位置しており、のちにアッシリア人やバビロニア人によって争われることになる。

ラムセス王の影響が及んでいたことを示すカルトゥーシュは、他の重要な交易路沿いでも見つかっている。例えば2010年には、現在のサウジアラビアにあたり、香辛料の交易拠点として存在したタイマのオアシス近郊の岩壁に2つ発見された。また、1970年代にはエジプトとイスラエルの国境沿いに位置する銅の交易所だったテミラト・ラダディで、ラムセス3世のカルトゥーシュが発見されている。

ワディ・ラムの遺跡で考古学的遺物はこれまで発見されていないが、考古学者のマナサーは発掘調査を実施するべきだと語っている。

「発掘調査は、ラムセス3世の帝国の影響範囲をより正確に特定し、古代エジプトの交易ネットワークの全容を解明するのに役立つはずです。同時に、この地域における青銅器時代から鉄器時代への移行の歴史的文脈や、当時の地政学的動向の理解にも貢献するでしょう」

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