「今なお謎めいた存在」マルセル・デュシャンの大回顧展が2026年春に開催。アメリカで約50年ぶり

マルセル・デュシャン(1887-1968)の回顧展が、来年50余年ぶりにアメリカで開催されると発表された。2026年の最も重要な展覧会の1つとして、今から注目される同展のコンセプトと見どころをお伝えしよう。

マルセル・デュシャン(1960年撮影):Photo: Ben Martin/Getty Images
マルセル・デュシャン(1960年撮影):Photo: Ben Martin/Getty Images

来年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とフィラデルフィア美術館が共催するマルセル・デュシャンの回顧展が、約半世紀ぶりにアメリカで開かれる。MoMAのアン・テムキンとミシェル・クオ、フィラデルフィア美術館のマシュー・アフロンがキュレーターを務め、300点近くの展示品が出品される同展は2026年4月12日にMoMAで開幕し、秋にフィラデルフィア美術館へ巡回。その後、2027年にはポンピドゥー・センターグラン・パレが共同でパリ開催を行うが、ポンピドゥーが改修工事中のため、会場はグラン・パレとなる。

アーティストやアートの定義を大きく変えたデュシャン

何かと話題にのぼるアーティストではあるものの、デュシャンについてはまだまだ知るべきことが多い。それを示すのがこの展覧会の目的の1つだというキュレーターのクオは、メール取材にこう答えた。

「デュシャンは依然として謎めいた存在です。その事績の全体像は未だよく知られていません。頻繁に語られることは氷山の一角に過ぎず、多様な作品を生み出した彼の仕事は研究し尽くされていないのです。デュシャンはアーティストの定義そのものを変えました。そして、アートの定義を『意味や観念を伝えるもの』から『受け取り方によって意味が変わるもの』へと変えたのです」

アメリカの美術館がデュシャンによる創作のさまざまな側面に光を当てる展覧会を開くのは、MoMAとフィラデルフィア美術館が前回の回顧展を開催した1973年以来のことだ。今日のアーティストたちに最も大きな影響を与えた人物の1人として知られるデュシャンの回顧展は極めて稀で、2022年にフランクフルト現代美術館(MMK)が開催したデュシャン展も20年ぶりのものだった。

今回の展覧会が異例なのは、デュシャンが国籍を有していたアメリカとフランス、2つの国で開催される点だ(デュシャンはフランスで生まれ、のちにアメリカ国籍を取得した)。フィラデルフィア美術館のキュレーター、アフロンはそれについて次のように述べている。

「両国を行き来することは、デュシャンにとって大きな意味を持っていました。それは彼のアイデンティティの一部であり、キャリア形成の一部でした。大西洋をまたいだ生き方に触れなければ、デュシャンの回顧展は完全なものにならないでしょう」

デュシャンはは20世紀初頭、流れ落ちる機械部品で形作ったような人物の絵を母国のフランスで制作し始めた。それらの作品は、キュビスムの工業的な解釈と言えるかもしれない。しかし、フランスでは不評だった有名作品《階段を降りる裸体 No.2》(1913)が最も大きなインパクトを与えたのはアメリカでのことだった。1913年にニューヨークアーモリーショーで発表されると一大センセーションを巻き起こし、アメリカのモダニズムアート発展の1つのきっかけを作っている。

現在フィラデルフィア美術館の所蔵となっているこの作品は、2026年のMoMAの回顧展にも展示される。《階段を降りる裸体 No.2》がニューヨークで見られるのは、1973年以来のことだ。

マルセル・デュシャン《泉》(写真は1917年のオリジナル作品のレプリカで、1950年に制作されたもの)。Photo: Philadelphia Museum of Art
マルセル・デュシャン《泉》(写真は1917年のオリジナル作品のレプリカで、1950年に制作されたもの)。Photo: Philadelphia Museum of Art

デュシャンはその後、ニューヨーク・ダダと呼ばれる前衛芸術運動の主要人物として活躍。日用品などのありふれた物を、ほとんど手を加えずギャラリーに展示し、それを「レディメイド」と称して彼独自の芸術作品とした。それらは、デュシャン作品特有の言葉遊びと視覚的なダジャレを多用した皮肉なユーモアを特徴とする。

フィラデルフィア美術館のアフロンによると、回顧展の「核心」となるのは、デュシャンがレディメイドなどの作品のミニチュア版を作り、持ち運び可能な箱の中に収めた「トランクの中の箱」シリーズのセクションだという。これについてアフロンは、「自作の複製を作る方法として非常に斬新です」と説明する。回顧展では、「トランクの中の箱」作品をデュシャンのスタジオに残されていた資料と一緒に展示し、彼がどのような考えでそれを作ったのかを垣間見ることのできる貴重な機会を提供する。

今も消える気配がない「デュシャン信仰」

この回顧展は展示作品が非常に多く、デュシャンの中でもよく知られた作品の大部分が出展される予定だ。たとえば、1917年のレディメイド作品《泉》(男性用小便器を横倒しにしたもの)や、モナリザの絵葉書に髭とあごひげを落書きした《L.H.O.O.Q.》(1919)、そして、実験映画の歴史に名を残す1926年の『アネミック・シネマ』も見ることができる。

ただし、フィラデルフィア美術館が所蔵する2つの主要作品——《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(通称:大ガラス)》(1915-23)と、デュシャンの最後の作品である《(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ》(1946-66)——は門外不出となっているため、ニューヨークでもパリでも展示されない。

マルセル・デュシャン《L.H.O.O.Q.》(1919)、個人蔵
マルセル・デュシャン《L.H.O.O.Q.》(1919)、個人蔵

1973年にデュシャンの回顧展が開かれたとき、ニューヨーク・タイムズ紙で開幕を報じる記事を執筆したジェームズ・R・メロウは、「デュシャン信仰は常に、心から彼を崇拝する熱心な信者たちによって支えられていくだろう」と書いた。今もデュシャン信仰に消える気配はないと言うアフロンは、その理由として、それぞれの時代の人々がデュシャン作品の新たな側面に魅了されるからだと話す。

「1950年代にはデュシャンのアッサンブラージュ作品やコラージュなどに関心が集まり、1960年代にはコンセプチュアルな側面が前面に出てきました。そして1980年代には、ジェンダーの概念や、創造的な人格とジェンダーが交差する点が重要な関心事となったのです」

では、2026年にはデュシャンのどんな側面が一番の注目点となるだろうか? アフロンは、予想はできないとしつつ、「各世代が、自分たちが望むデュシャン像を手に入れるでしょう」と述べている。

マルセル・デュシャン《自転車の車輪》(1951)。これは3番目に作られたもので、デュシャンが1913年に作った最初のバージョンと2番目のバージョンは失われている。Photo: The Museum of Modern Art, New York
マルセル・デュシャン《自転車の車輪》(1951)。これは3番目に作られたもので、デュシャンが1913年に作った最初のバージョンと2番目のバージョンは失われている。Photo: The Museum of Modern Art, New York

一方、MoMAのキュレーターを務めるテムキンは、メール取材への回答でこう書いている。

「デュシャンが起こした革命の影響は、今日もありとあらゆる所で見ることができます。どこかで誰かが作品を指して『なぜこれがアートなのか?』と問うとき、その質問の源を辿るとデュシャンがいるのです。彼の作品は、偶然の重要性、スキルと脱スキルをめぐる問い、アート市場、人間の役割と機械の役割、そしてオリジナル性と作家性の定義に言及しています。デュシャンは20世紀の混乱と共に、今も私たちと共にあるのです」(翻訳:野澤朋代)

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