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近世の巨匠に倣った「画家の工房」が現代フランスに復活。美大に行くよりためになる!?

ルーベンス、ティツィアーノ、ティントレットなど、オールドマスター(18世紀以前のヨーロッパの巨匠)と呼ばれる画家たちは、大規模な工房を構え、何十人もの徒弟の力を借りながら大量の受注をこなしていた。この工房制を現代によみがえらせたアーティストがいる。その理由や効果を取材した。

オリビエ・マスモンテイユと、彼が手がけた「La Mémoire de la Peinture(絵画の記憶)」シリーズの2点 Photo: Hugo Miserey

パリを拠点とする画家オリビエ・マスモンテイユは、10人近いスタッフを抱え、オールドマスターのような工房制で作品を制作している。現在フランスで、この方法を採用している作家は数えるほどしかいない。彼がこのスタイルで仕事をするようになったのは、主にオールドマスターへの憧れと敬意からだが、2016年以降増え続ける制作依頼に応えるためという実利的な理由もある。とはいえ、マスモンテイユが最も重視しているのは、彼のもとで働く若手が、アトリエの仕事を通してアーティストとしての経験を積めるようにすることだ。

フランス中部のコレーズ県で育ったマスモンテイユは、1990年代後半にボルドーの高等美術学校で学んだ。その後、ドイツ・ライプツィヒの紡績工場跡地に作られたアートスペース、ライプツィガー・バウムヴォルシュピネライ(Leipziger Baumwollspinnerei:広大な敷地に多くのギャラリーやスタジオがある)に1年滞在。新ライプツィヒ派の旗手であるネオ・ラウフやティム・アイテル、ティロ・バウムゲルテルといった現代アーティストたちと知り合った。フランス帰国後には、2008年から12年の間に2度の世界一周の旅をし、その経験から生まれた数千枚の小さな風景画で画家として注目されるようになった。

12年からはティツィアーノ、フェルメール、クールベなどのオールドマスターへのオマージュとして彼らの作品を模写し、その上に複数のレイヤーを重ねた「La Mémoire de la Peinture(絵画の記憶)」シリーズを開始。その中には、ルイ14世の第一画家だったシャルル・ル・ブランによる活気に満ちた絵画《アレクサンドロス大王のバビロニア入城》を、より華やかにした三連画などがある。


《Alexandre à Babylone I, II, and III(バビロンのアレキサンドロス I、II、III)》(2018-22)。フランスアルザス地方のサン=ルイにあるフェルネ・ブランカ財団での展示風景 Photo: Pierre Douaire

ル・ブランの絵画の模写にアレンジを加えた《Alexandre à Babylone I, II, and III(バビロンのアレキサンドロス I、II、III)》などのマスモンテイユの作品は、現在フランス・アルザス地方のサン=ルイにあるフェルネ・ブランカ財団美術館の展覧会で見ることができる(会期は10月2日まで)。

6月に行われたアート・バーゼルのプレス向けプレビューで、マスモンテイユは作品制作に協力してくれた人々の名前を挙げて感謝の念を伝えていた。最初に名が挙がったのは、インクの代わりに油絵の具を使うシルクスクリーン技法を彼のために考案したエマニュエル・マタッツィだ。マスモンテイユはマタッツィと共に、「Les Demoiselles retrouvées(再発見された若い女たち)」というシリーズを制作。家具が置かれた室内や屋外の風景に溶け込むように、あるいはそこから浮かび上がるように、女性の姿が線で描かれている。このシリーズでは、「カンバスに重ねられたいくつものレイヤーをめくりながら発見する」方法を用いているという。

「ルーブル美術館を歩き回っていると、壁に掛けられた歴史の一部に自分もなりたいという思いが湧いてくるんです」。そう語るマスモンテイユは、ルーベンスが約250人もの人々の手を借りて制作していたことを、いつも考えながら仕事をしている。いわば、現代の絵画工房の情熱に満ちた親方である彼は、アシスタントたちのことを共同制作者と呼ぶ。彼が最初に雇ったニコラ・マルシアーノとパリのすぐ北にあるサン=トゥアンのアトリエで働き始めたのは2017年のこと。その頃、マスモンテイユは有名シェフのヤニック・アレノから、パリのプティ・パレ美術館の近くにあるミシュラン3つ星レストラン、パヴィヨン・ルドワイアンに飾る絵の注文を受けていた

「最初は、二コラの存在がどれだけ気になってしまうのか若干不安でした。フランスでは、アートは1人の人間の手によるものでなければならないというふうに、とても神聖視されていますから」とマスモンテイユは語る。「でも、カンバスを木枠に張ったり、背景を描いたり、下塗りをしたりといった、普段私が楽しんでやっている作業を任せてみて、それがむしろ彼のためになると気がついた。私たちのコラボレーションは、そうやって始まったんです」


《Rubens dans une-rivière(川の中のルーベンス)》(2022) Photo: Aurélien Mole

イタリアの高級ホテル、セントレジス・ベニスから、ドゥカーレ宮殿にあるティントレットの名画を再解釈した作品を作ってほしいという依頼が来た時、ニコラは既に一人前で、制作チームのリーダーを務められるようになっていた。元美術教師で、現在はアトリエの管理を任されているララ・ブロイがチームに加わり、画家志望の歯科医アレクサンドル・リヒトブラウがそれに続いた。マスモンテイユは彼の経歴に驚いたものの、断ることは出来ないと思ったという。現在リヒトブラウは絵の仕事が増えたため、歯科医としての勤務は週2回に減らしている。

最後に、24歳のアガテ・シェバシエが最年少メンバーとして加わった。彼女はマルセイユの高等美術学校に入学が決まっていたが、進学するより画家として活躍しているマスモンテイユのもとで修行することを選んでいる。

こうして複数のアシスタントを雇い入れたマスモンテイユは、若い才能を育てるための環境を整える必要性を感じた。石膏、絵の具、筆などの道具を買いそろえるだけでなく、緻密でバランスのとれたスケジュールを組み、彼のプロジェクトに専念する時間のほか、弟子たちが自分自身の制作に取り組むための自由時間を作っている。

木曜日の朝は、メンバー全員でヌードモデルのデッサンをする。「これまではずっと女性を描いていましたが、9月以降は男性のモデルも来る予定です」。そう説明するマスモンテイユは、弟子たちに最高の教育を施したいと考えている。ちなみに、このデッサンのクラスが実現したのは、2017年からモンパルナスのグラン・ショーミエール芸術学校で学んでいたリヒトブラウの人脈のおかげだという。

「人数が多ければ多いほど仕事がはかどります。ですが、私は教えること自体が好きなんです。自分の経験を若い世代と共有し、20年前に私がアートの道に入った時に植え付けられたような固定観念を取り除く手助けをしたいから」とマスモンテイユは言う。「私が彼らの年齢だった頃、絵画は死んだと言われていました。ボルドーの高等美術学校には絵画の授業がなかったので、筆の使い方から独学しなければならなかった。本を読んだり、観察したり、修復家を手伝ったり、オールドマスターの模写をしたりしましたね。模写は今でもしていますが」


《Baigneuses sur la fontaine river(川の噴水で水浴びする人々)》(2017) Courtesy Olivier Masmonteil Studio

名門美大に行く代わりに、マスモンテイユに弟子入りすることを選んだアトリエのメンバーたちは、いわば人生の大学に入学したようなものだという言い方をする。マスモンテイユのアトリエと同じビルに自分のアトリエを構えたブロイは、「彼の指示で模写をしているオールドマスターの絵から学べるだけでなく、彼の制作を手伝うことも勉強になります。そのうえ、自分の絵の技術を磨く時間もあるんです」と語る。

最年少のシェバシエは、「カンバスの張り方だけでなく、ギャラリーとの付き合い方、展覧会の開き方、請求書の発行の仕方も学べます。彼ほどたくさんのことを教えてくれる人はいません」と話す。もしも、マスモンテイユのアトリエが、他の美大と同じようにモットーを掲げるとしたら、それはおそらく「団結の中にこそ強さがある」だろうとシェバシエは言う。「誰も教えてくれないので手探りで進むしかないという美大生の悩みをよく聞きますが、私たちはいつも仲間同士で助け合っています。このような例は、フランスではとても珍しいんじゃないでしょうか」

一方、ブロイはこう言った。「地域の文化支援団体やFRAC(Fonds Regional d’Art Contemporain:現代アートの地域振興基金)に頼るという方法はあるものの、美大生たちは概して孤立無援な状態に置かれています。でも、私たちはグループで仕事をしながら常に団結しているんです。私が育った南仏では、芸術の分野でキャリアを築けると考える人はいませんでした。周りの意見に耳を貸さなくてよかったと思っています」。ブロイの作品は今年、マスモンテイユの絵のコレクターでもある不動産業界・金融業界の大物、ポール・タルボデが購入している。(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年8月5日に掲載されました。元記事はこちら

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