ノーマルであるべき理由はあるのか? 「障がい文化デザイン」から始まるパラダイムシフト

障がい文化デザイン」という言葉を聞いたことがあるだろうか? それは、健常者の規範に障がい者が合わせるのではなく、障がい者がコミュニティを形成して、それぞれの個性を尊重し、自分らしいやり方で人生を充実させ、アクセシビリティを向上させることを目指すものだ。そこでは、健常者中心のコミュニティでは想像もつかないような新しい考え方や行動様式が生まれている。

リバース・ガーメンツの水着モデルを務めるバル・Hとスカイ・キューバカブ。Photo: Colectivo Multipolar

デザインとは何だろう? 狭義では、プロダクトデザイン、グラフィックデザイン、ユーザーエクスペリエンスデザイン、建築デザインといった専門分野に限定されるものと捉えられる。しかし、もっと広い意味では、物理的な環境を理解し、それを変化させる方法、あるいは世界を構築したり、世界を変えたりする行為と言えるだろう。どちらの立場を取るとしても、デザインとは、物がどのように使われ、どのように見えるか、そして人間の経験における、ある側面をどう変えるかに注意を払う営みだと言える。

この2つの立場は、それぞれ異なる政治的な意味合いを帯びている。プロのデザインこそがデザインだという狭い見方では、周縁化されたデザイナー、特に障がいに関わるデザイナーの貢献が軽視されがちだ。障がい者には、デザインの専門教育への門戸が必ずしも開かれているわけではないし、プロのデザイナーは障がい者がアクセシビリティ(*1)を必要としている事実に注意を払わず、標準的なユーザーを想定するのが当たり前になっている。さらに、デザインの専門教育機関のカリキュラムは、障がいに関する問題を扱っていないことが多い。

*1 障がい者が他の人と同じように物理的環境、輸送機関、情報通信及びその他の施設・サービスを利用できること。
シンズ・インバリッド《Birthing, Dying, Becoming Crip Wisdom(出産、死、障がい者の知恵になる)》(2016) Photo: Richard Downing, Courtesy Sins Invalid

障がい者のためのデザインの定義

そんな中、障がいとデザインが交差する場面では、専門家によるデザインと世界を構築する営みとしてのデザインの区別がなくなり始めている。障がい者のためのインクルーシブ・デザインとは、障がい者が既存の環境に適応し、身体や精神が標準から外れている人が資本主義社会の想定するあり方に適合できるようにすることを目指す。たとえば、定時に出勤し、障がいのない人と同じ方法で生産活動を行い、周囲の環境を従来の方法(聴覚や視覚など)で感知することを可能にするために、多くのツールがデザインされる。

通常、「障がい」と「デザイン」の2語が組み合わせて用いられるのは、機能的なプロダクト、つまりは補助のためのテクノロジー(杖や車いすなど)や設備(車いす用スロープなど)が求められる場面だ。そして、障がい者の就労を支援するという目的意識によって、どのようなアクセシビリティを法律で義務づけるかが決まってきた。こうした法律にジョージ・H・W・ブッシュ元大統領が署名したのは、福祉への依存をなくし、障がい者を優れた労働者にするという立場からだ。

障がい者のためのデザインは、シンプルな義足から、ロボットスーツのように高度なテクノロジーを用いた補助装置まで多岐にわたる。こうした装置には、それが作られた政治的、経済的背景が反映され、障がい者がどう認識されているかについて多くのことを浮き彫りにしている。

たとえば米軍は、20世紀に起きた戦争で負傷した兵士が社会復帰するための技術を開発した。また、50年代初頭に大流行したポリオの後遺症に苦しむ子どもたちが、教育を受けたり就労したりできるようにするデザインの工夫も行われている。負傷兵士やポリオ罹患者などの障がい者たちは、数十年にわたって法的権利を求める社会運動に取り組み、闘争の大きな成果として、1990年に「障がいを持つアメリカ人法(ADA)」を実現させた。これはアクセシビリティを実現する設計基準を定めた法律だが、主に考慮されているのは特定の種類の障がいに限られていた。たとえば、車いす用スロープ、自動ドア、視聴覚信号などが導入されたのは、一般に最も広く認識されている障がい者が、車いすユーザー、視覚障がい者、聴覚障がい者など感覚や移動に障がいのある人たちだからだ。

ケイトリン・リンチとサラ・ヘンドレンのウェブサイト「Engineering at Home(家庭のエンジニアリング)」からのスクリーンショット。さまざまな家庭用品をより使いやすくするための工夫を紹介している。Photo: Michael Maloney/Design by Casey Gollan

法律で義務づけられているのは公共の場でのアクセシビリティだが、ADAの規制を受けないデザインの領域もある。個人宅で使われる一般向けのプロダクトがそうだ。浴室の手すりや、瓶のふたを開けるための「OXOグッドグリップ」(キッチン用品メーカーOXOの創業者と関節炎患者の妻ベッツィー・ファーバーが考案した道具)など、さまざまな製品がある。しかし、消費材をベースとするこうしたアプローチは、低所得者や就労できない障がい者を経済的に排除してしまう。また、法的で義務づけられたアクセシビリティも、市販されている補助器具も、典型的な障がい者が中流階級の労働・生活規範に適応できる(そして適応を望んでいる)ことを前提とするものだ。いずれにしても、企業のアクセシビリティ対応部門や大学の研究室などのデザイン開発の現場で、障がい者のためのデザインは法的アプローチと市場ベースのアプローチという2本の柱に沿って発展してきている。

キネティック・ライトによるパフォーマンス《Descent(降下)》(2020)

70年代に出現した新しいパラダイム

70年代になると、障がい者とデザインをめぐり、障がい者自身が主導する新しいパラダイムが出現する。それは、健常者の規範に障がい者が合わせるのではなく、障がい者の個性を尊重し、それぞれが自分らしいやり方で人生を充実させ、アクセシビリティを向上させることを目指すというものだ。

近年では、慢性疾患、精神障がい、ニューロダイバージェンス(*2)の人たちの間に障がいの種類を超えた連帯が生まれ、画一的な基準には無理があるという認識が定着しつつある。この運動は、ディスアビリティ・ジャスティス(*3)を1つの枠組みとしている。有色人種の障がい者、貧困層の障がい者、クィアの障がい者が提唱したディスアビリティ・ジャスティスは、個人主義を批判し、インターセクショナリティ(*4)と共同体を重視してアクセシビリティを捉えるよう求めるものだ。また、資本主義的な意味における生産性を障がい者に求める考え方にも反対している。

*2 神経多様性:脳や神経の特性による個々人の違い。
*3 障がい者の権利を守り包摂を求める社会正義運動。障がいに加え、人種や性別などによる構造的抑圧を含む。
*4 人種、階級、ジェンダー、性的指向、国籍、年齢、障害など、さまざまな属性が交差した時に起きる差別や不利益などを捉える概念。

ディスアビリティ・ジャスティスは、デザインに対するさまざまなアプローチに影響を与えた。この結果生み出されたデザインを、筆者は「障がい文化デザイン」と呼んでいる。「障がい文化」とは、障がい者が(対面またはオンライン上で)集まって交流し、協力し、コミュニティを形成するときに生まれる文化的な生産のさまざまな形態を指す。これがあってこそ、世界の構築という広い意味でのデザインに取り組めるのだ。

障がい文化は、物質的かつ実用的な性質を持つ。なぜなら、障がい者が障がいのない人のために構築されている世界で生き抜くためには、その環境に身を置き、研究し、変化させることが求められるからだ。そして、障がい者がコミュニティを形成し、自分たちのニーズを満たせる小世界が作り出されるとき、健常者中心のコミュニティでは想像もつかないような新しい考え方や行動様式が生まれることがある。

障がい文化デザインは、障がい者がデザインをより広い概念で捉えることを目指し、建築、プロダクトデザイン、グラフィックデザイン、ユーザーエクスペリエンスデザインといった個別の専門領域を超えて挑戦してきた長い伝統の上に成り立っている。最近まで、社会から疎外された人々は、こうした分野の専門教育を受けることができなかった。しかし、その間も、障がい者のコミュニティではデザインに関する実践が行われてきた。それは孤立した取り組みではなく、コミュニティの仲間、あるいは障がいを持たない仲間との共同作業で行われる。

レイモンド・リフチェスとバーバラ・ウィンズローの共著『Design for Independent Living : The Environment and Physically Disabled People(自立した生活を送るためのデザイン:環境と身体障がいのある人たち)』(1979)、ブルース・バセットのドキュメンタリー映画「A House for Someone Unlike Me(私のようではない人のための家)」(1984)、ケイトリン・リンチとサラ・ヘンドレンがオンラインで公開しているライフハック集「Engineering at Home(家庭のエンジニアリング)」(2016)といったプロジェクトでは、障がいのないデザイナーが障がい文化デザインに触れることで、建築環境に関するエキスパートは誰なのかという概念を覆された事例が示されている。

ボヤナ・コクリャットとシャノン・フィネガンによる「Alt-Text as Poetry Workbook(詩のワークブックとしての代替テキスト)」(PDF版)の表紙。Photo: Courtesy Bojana Coklyat and Shannon Finnegan

障がいを文化として捉えるアーティスト

10年ほど前から、障がいのあるアーティストが障がいを文化として捉え、その考えを主導する動きが活発化している。障がいのある多彩なアーティストのコレクティブ(集団)、シンズ・インバリッド(Sins Invalid)は、障がい、セックス、気候変動などをテーマに挑発的なパフォーマンスを行うだけでなく、『Skin, Tooth, and Bone: The Basis of Movement is Our People(皮膚、歯、骨:運きの原点は人間)』(2016)というこの運動を定義する入門書を作成。中でも重要な章「Principles of Disability Justice(ディスアビリティ・ジャスティスの原則)」では、インターセクショナリティ、特に大きな影響を受ける人たちによるリーダーシップ、反資本主義、集団的アクセスなど、より広範な芸術・政治運動を形成してきた原則を解説している。

同様に、車いすダンサーで研究者のアリス・シェパードは、障がい者によるパフォーマンスの「文化的・美的」な側面に着目している。最近のニューヨーク・タイムズ紙の記事の中でシェパードは、自らの作品を「アクセスを倫理として、美学として、実践として、約束として、そして観客との関係として捉える障がい文化コミュニティの一部」だと述べている。

2016年、シェパードはローレル・ローソン、マイケル・マーグ、ジェロン・ハーマンとともに、障がい者アートアンサンブル、キネティック・ライトを設立。パフォーマンス作品《Descent(降下)》(2017)では、サラ・ヘンドレンや、ヘンドレンの教え子であるオーリン工科大学の学生との共同制作で、スロープのある舞台をデザインした。シェパードはこのとき実現した舞台効果を「官能的で、輝かしく、心地よい……全ての車いすユーザーの夢であり、スロープを求める気持ちを高めるもの」と表現している。

パフォーマンスには音声解説もあり、詩的な表現のものや事実を淡々と説明するものなど、複数あるトラックから観客が自分の好きなものを選べるオーディオアプリを提供した。こうしたテクノロジーは、その後もキネティック・ライトの作品の重要な要素となっている。たとえば、22年のパフォーマンス《Wired(ワイアード)》では、対面とリモート両方で上演が行われた。

障がい文化デザインは、障がい者の生活体験をデザインの実践と捉え、障がい者をデザインの専門家として再定義した。たとえば、ダイバージェント・デザイン・スタジオのマータ・ローズは、インテリアデザイン、ランドスケープデザインなどの分野で、ニューロダイバージェントの思考を戦略の中心に据えている。生物医学の定説によれば、計画を立て、仕事をこなすという企業経営者に求められる「実行機能」がニューロダイバージェントには欠如しているとされるが、ローズはこれに反論する。ローズによれば、ニューロダイバージェントはむしろ、クリエイティブな方法で問題を解決する人、という意味での「デザイナー」にほかならないという。

この考え方によると、デザインでは反復(失敗、適応、再創造)が重視されることから、ニューロダイバージェンスを解決すべき問題として扱うことはしない。ローズのアプローチに含まれるのは、サポートのためのセッション、「ボディダブリング」(*5)、ディスカッショングループなど、遠距離でもつながりを持つ機会を設けることだ。このようなコラボレーションは、障がい文化デザインの大きな特徴だと言える。

*5 ADHDコミュニティから生まれた集中力を高めるための方法。複数の人が同じ時間と空間で作業を行う。

障がい者デザイナーもまた、「デザイン思考」という一般的なカルチャーに反発している。アレックス・ハーガードとリズ・ジャクソンは、「#CriticalAxis(クリティカルアクシス)」というプロジェクトで、サムスンやレゴなどの企業がテクノロジーや製品広告で障がい者をどう表現しているかを検証。企業のメッセージが障がい者をサポートしているように見せかけていても、ネガティブなステレオタイプや比喩的表現が残っていることを指摘している。

たとえば、ディグリー社の製品、アダプティブ・デオドラントの広告では、障がい者が競技スポーツに取り組むことで障がいを「克服」するという偏った表現が見られる。また、ジャクソンはアメリカ手話を音声英語に翻訳する手袋や、階段を昇れる車いすなどを「ディスアビリティ・ドングル」と呼び、そうした技術の背後にある善良な意図についても異議を唱える。これらは、「善意に満ちていてエレガントではあるが、障がいの当事者が考えたこともない問題のために開発された無用のソリューション」だからだ。

機能を超えたところにあるデザイン

障がい文化デザインは、デザインを「機能以上のもの」として扱う。メインストリームの考え方では、障がい者デザインの一般的な目的は、ある種の「正常」で「生産的」な行動を(医学的、機能的、補助的な意味で)可能にすることだ。これに対して、障がい文化デザインは、出発点からして異なっている。障がい者のコミュニティをデザインの専門知識が存在する場として捉え、アクセシビリティを単に標準に適合するための手段ではなく、美的で実験的なものとして扱うのだ。

そこで中心となるのは相互依存であり、特に、障がい者が相互扶助、集団的アクセス、そして「ケアワーク」に取り組むための方法だ。障がい文化デザインは、障がい者が非障がい者だけに頼るのではなく、互いに助け合うことを後押ししている。

この参加型アプローチが顕著に現れている例が、ボヤナ・コクリャットとシャノン・フィネガンによる進行中のプロジェクト「Alt-Text as Poetry(詩としての代替テキスト)」だ。これは、視覚障害のある研究者ジョージナ・クレーゲとパフォーマンス・アートの専門家スコット・ウォリンが提唱した方法を用いたもので、ワークショップ、ワークブック、ウェブサイトといったツールが開発され、複数の人がオンライン上の画像や動画について説明を書く。それを、スクリーンリーダー(画面読み上げ)技術を使う人たちが使えるようにしている。

2020年、コクリャットとフィネガンが開いた「代替テキスト持ち寄りパーティー」には、コミュニティメンバーが集まり、画像説明の工夫を披露しあった。こうしたイベントでは、テクノロジーの機能性よりも、障害者コミュニティの参加基準として、どのような約束事や交流があるのかに焦点が当てられる。

障がい文化デザインは、楽しい活動や、芸術活動、あるいはレジャー活動に重きを置く傾向があり、無料のオンライン素材やリモート参加のオプションを用意したイベントが多い。20年に始まったイベント「リモート・アクセス・ダンス・パーティ」は、オフィスの生産性を高めるためのツールを、リモートでのパーティを盛り上げるために使用している。「リモート・アクセス」は、慢性疾患やコロナ禍によって、多くの障がい者がリモートでの参加を希望したことに応えるものだ。

クリティカル・デザイン・ラボが主催するこのパーティは、ニューヨークを拠点に障がい者アートの企画を行っているケビン・ゴトキン(DJフー・ガールとしても知られる)が発案・主催している。パーティはZoom(ズーム)などのオンラインプラットフォームで行われ、DJライブ、障がい者アートの展示、カラオケなどのアクティビティが行われる。常にライブ字幕とアメリカ手話通訳が付き、パーティーの参加者は、参加型で重層的な方法で音を表現するために協力し合う。アクセシビリティの実現が、パーティの一部としてコラボレーションで行われるのだ。

また、シンズ・インバリッドやクリップ・レイブといったコレクティブも、同じようなパーティを開催している。コロナ禍において、こうした活動は「ノーマルへの回帰」という流れに抵抗し、クリエイティブなリモートイベントの価値を浮き彫りにした。障がい者主導のリモートプロジェクトには、対面の活動と同じ利点に加えて、仮想空間ならではの利点もあることをデザインによって示している。

ジェン・ホワイト=ジョンソンがデザインした「Autistic Joy(自閉症の喜び)」のステッカー Courtesy Jen White-Johnson

障がい文化デザインは、障がいを隠したり、矯正したりするのではなく、魅力的な個性として見せるものだ。デザイナーのスカイ・キューバカブが手がけるリバース・ガーメンツは、さまざまな障がい、性別、サイズ、体形の人のための服を作っている。個人に合わせたカスタマイズも可能で、鮮やかな色彩と大胆なパターンで身体を彩り、個性を表現するのだ。多くのアイテムはスパンデックスの伸縮素材を使用し、体形を隠すのではなくむしろ際立たせる。また、作品を発表するショーでは、ゴトキンが「リモート・アクセス」のパーティで実践している方法や、コクリャットとフィネガンの「代替テキスト」の手法を取り入れ、ビジュアルイメージを描写する歌詞を付けた音楽に合わせてモデルがパフォーマンスを見せる。

最後に指摘したい点が、障がい文化デザインは、「誰もが身体や心について求められる規範に沿うよう努力すべきだ」という固定観念に挑むという点で、常に政治的なものであるということだ。たとえば、グラフィックデザイナーのジェン・ホワイト=ジョンソンは、自閉症について多くの人が抱く典型的なイメージを覆すことを目指している。

彼女は、自閉症の研究・擁護団体オーティズム・スピークスのロゴマークであるパズルのピースの絵からは、自閉症の人は心の働きから何かが「抜け落ちている」という隠れたメッセージが読み取れると指摘する。自閉症の子どもを持つ黒人の母親で、自分自身も障がいがあるホワイト=ジョンソンは、黒人障がい者の価値観を示す新しいロゴマーク「Black Disabled Lives Matter(黒人障がい者の命は大切だ)」を制作した。そこでは、「ブラックパワー・サリュート」(黒人公民権運動の支持を示して拳を突き上げる行為)のシンボルである拳の絵に、無限を示す記号を重ね合わせ、欠損ではなく可能性を表現している。

このシンボルは、「抵抗の行為としての母性は、健常者の視覚文化を再設計することを意味する」というホワイト=ジョンソンの哲学をグラフィックで表現したものだ。また、自閉症を認知してもらうためのデザインとして、ピンクとシルバーの「Autistic Joy(自閉症の喜び)」というホログラムステッカーも作っている。ホワイト=ジョンソンのデザインは、アクセシビリティを示す国際的なシンボル(バリアフリーの駐車場やユニバーサルデザイントイレに使われる車いすのマーク)などの標準的なピクトグラムやロゴマークとは根本的に異なる視覚言語を形成するものだ。黒人の障がい文化や運動をルーツとする彼女の作品は、黒人障がい者の生活の中にある価値を認め、それを尊重することに挑戦している。

近年、プロのデザイナーを養成する教育機関では、障がいに関するデザインへの関心が高まっている。しかし、黒人やチカーナ(メキシコ系女性)のフェミニストが批判するように、教育機関やデザイナーは多くの場合、DEI(多様性、平等、インクルーシブ)に障がいという要素をただ「追加してかき混ぜる」だけにとどまっている。しかし、障がいは解決すべき技術的な問題ではなく、アクセシビリティはいつでも適応すべき画一的な基準ではない。むしろ、大学の研究室や企業の研究所を、障がい文化デザインによって再構築するべきだろう。

この記事で取り上げたシンズ・インバリッドやクリティカル・デザイン・ラボのほかにも(*6)、障がいのあるデザイナーやクリエイティブプロデューサーなどの新しいグループが、障がい者コミュニティにおける相互依存の役割が重要であることを認識し、それがいかにデザイン手法を形作ることができるかを実験しながら、ディスアビリティ・ジャスティスに根ざし、コラボレーションに基づくアプローチを発展させつつある。障がい文化デザインは、60年代以降の障がい者運動の中心となっている「ノーマルであるべき理由はあるのか?」という問題提起に目を向けながら進展しているのだ。(翻訳:清水玲奈)

*6 障がい文化デザインに関わる主な団体
The UC Berkeley “RadMad” Disability Lab
The Concordia University Access-in-the-Making Lab
Bodies in Translation: Activist Art, Technology, and Access to Life
The Disability Justice and Crip Culture Collaboratory
The Disability Justice Culture Club
Tangled Art + Disability Gallery
The Disability Visibility Project
The CripTech Incubator

from ARTnews

  • ARTnews
  • SOCIAL
  • ノーマルであるべき理由はあるのか? 「障がい文化デザイン」から始まるパラダイムシフト