「音楽ほど多弁に地域を語る手段はない」──ターナー賞受賞作家の「共創実験」【エンパワーするアート Vol.12】

これまでとは異なる物事の見方を教えてくれるアートの力を借り、社会をより良い方向に進めようとする取り組みが生まれている。ロンドン在住の清水玲奈が伝える連載「エンパワーするアート」の第十二回は、街全体を舞台とした音楽イベントをひとつの巨大なパフォーマンスアートとして発表する実験的なプロジェクトについて。

岩石群の景勝カウ・アンド・カーフ・ロックスから始まったパフォーマンスアート《The Bradford Progress》。夜明けとともに演奏家と鑑賞者、合わせて数百人が集った。Photo: Andrew Benge / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture
岩石群の景勝カウ・アンド・カーフ・ロックスから始まったパフォーマンスアート《The Bradford Progress》。夜明けとともに演奏家と鑑賞者、合わせて数百人が集った。Photo: Andrew Benge / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture

イギリス人アーティストのジェレミー・デラーは、コラボレーションを重視した政治的・社会的メッセージのあるコンセプチュアルアートの作品で知られている。

特に有名なのは、イラク戦争の最中に当時アメリカの大統領を務めていたジョージ・ブッシュの故郷テキサスの文化的・政治的な風景を映し出した映像作品《Memory Bucket》(2003)だろう。この作品でデラーは2004年にターナー賞を受賞している。

デラーは一般から大勢の参加者を募る作品も多く手がけており、代表作《The Battle of Orgreave》(2001)では、1984年から85年にかけて炭鉱労働者のストライキ中に起きた警察と労働者の激しい衝突を1000人規模のエキストラを使って再現した。また、第一次世界大戦中のソンムの戦い(1916年)についての《We’re Here Because We‘re Here》(2016)では、イングランドの港町プリマスからシェットランド諸島までの地元住民が軍服を着て、ショッピングセンターや駅を生きたモニュメントとして埋め尽くした。

そんなデラーに、2025年の英国文化都市に選ばれたブラッドフォードがアートプロジェクトを委託した。しかし、デラーから提案されたのは映像作品でもインスタレーションでもなく、「音楽パレード」だった。

ブロードウェイ・ショッピングセンターに現れた演奏家たち。これもデラーが提案した音楽パレードの一環だ。Photo: Thomas Gadd / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture
ブロードウェイ・ショッピングセンターに現れた演奏家たち。これもデラーが提案した音楽パレードの一環だ。Photo: Thomas Gadd / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture

街の多様性を音楽で編み上げる

ブラッドフォードはイングランド北部、ウエストヨークシャーに位置するイギリス第7の都市だ。産業革命の頃には、周囲一帯で生産される羊毛を原料にした繊維産業の中心地として繁栄した。ヴィクトリア時代には地元の石切場から切り出された石灰岩を使って、今も残る羊毛取引所や市庁舎、大聖堂などの歴史建築が建てられている。

一方、第二次世界大戦後には、パキスタンを中心とするアジア系の移民が工場労働者として暮らす場所となった。今も南アジア系のコミュニティがあり、人気の高い南アジア料理が集まる街ブラッドフォードは、「カレーの首都」とも称される多民族都市でもある。さらに、周囲は豊かな自然に囲まれ、近郊に暮らしたエミリー・ブロンテの『嵐が丘』の舞台になったヒースの丘が広がる。

そんなブラッドフォードでデラーが《The Bradford Progress(ザ・ブラッドフォード・プログレス)》と題して構想したのは、ヒースの丘をスタート地点として運河や街中を進むの2日間の「音楽の旅」である。

まず、1日目の夜明けと同時に、岩石の景勝カウ・アンド・カーフ・ロックスでパレードの開始を告げるコンサートが開かれた。数百人が見守るなか、障がいをもつ演奏家も所属するパラオーケストラの管弦楽団26人とカウンターテナーがヘンデルの「神々しい光の永遠の源よ」を演奏する。

その後パレードは産業博物館や墓地、ショッピングセンターを巡回し、それぞれの空間を即興の演奏会場に変える。クラシックの名曲からボリウッド音楽や南アジアの民族音楽、ミニマル音楽の巨匠スティーヴ・ライヒの代表作まで、古今東西のさまざまなジャンルの音楽が交錯した。

フィナーレは、ブラッドフォードの中心にある噴水広場、ミラー・プールが舞台だ。400人あまりが集まって各々の曲目を演奏し、不協和音からなる壮大なアンサンブルを披露した。そして、最後には「ド」の音を全員が合わせて奏で、歌い、ブラッドフォードの多様性と結束を象徴する音楽的瞬間を達成した。観客は演奏者と入り混じり、音に包まれる体験を味わい、居合わせたすべての人たちが作品を創り上げた。

どの演奏も、ブラッドフォード近郊に住むアマチュア演奏家によるもの。演奏曲はそれぞれの演奏家が自ら選んだ。「それぞれの多様なミュージシャンたちが普段から演奏している音楽を、普段とは違った場所で演奏してもらうことで、どんな効果が生まれるか。それは実際にやってみるまで未知数でした」と語る。

デラーのコラボレーターとして参加した指揮者チャールズ・ヘイズルウッドは、「ブラッドフォードの音楽的伝統を音の糸で縫い合わせ、景観と人々をつなげる」ことを目指したという。繊維工場が栄えた時代の労働者の歌や、南アジアの伝統音楽、男声合唱団、ブラスバンドなどの「多様で豊かな音楽的地層」を掘り起こし、タペストリーのように織り上げることを目指したと説明する。

パレードはパラオーケストラの伴奏、コモナーズ・クワイアーの歌に合わせて、ムーアの遊歩道に沿ってブラッドフォードの都市部に向かった。Photo: JMA Photography / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture
夕暮れのアンダークリフ墓地で。Photo: Andrew Benge / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture
パレードはローカル電車に乗り、織物工場跡のある世界遺産の村ソルテアからブラッドフォード中心部へと移動した。Photo: David Lindsay / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture
電車内で演奏したのち、アパーリー・ブリッジ駅の構内を行くギタリスト。Photo: Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture
イルクリー・ムーアの一角にある田舎パブ、ディック・ハドソンズの前庭で、パラオーケストラのメンバーにより管弦楽が演奏された。Photo: JMA Photography / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture
2日目の日曜午後には、街の中心にある噴水公園シティーパーク・ミラープールに群衆が集い、地元の合唱団が歌声を披露し、パレードはフィナーレに突入した。Photo: Thomas Gadd / Courtesy Bradford 2025 UK City of Culture

なぜ音楽だったのか?

コンセプチュアルな作品を得意とするデラーが「ブラッドフォードをテーマにした作品」という委託を受けた際、あえて音楽を軸とすることを決めたのは「音楽ほど多弁に地域を語る手段はない」と考えたからだという。「音楽は人々が自然と惹かれるものです。特に、音楽を交えたパレードには物語があります。歩きながら見たり聴いたりするのは、とても人間的な行為ですから」

ジャンルを超えた多様な音楽を奏でる人たちを集合させ、それぞれの人たちに「声」を与え、通常とは違った空間とコンテキストにおいて演奏してもらい、出演者と鑑賞者の境界をもなくしていく──。アーティストとしてのデラーの狙いは、2日間の音楽体験を通して、アイデンティティについての誇りや自己表現を維持しながら、多くの人が互いを尊重し、共生するとはどういうことかを感覚として味わってもらうことだった。

このプロジェクトは、デラーによれば「都市と人、歴史と音楽を結ぶ音のパレード」だったという。「個々の声が響き合い、一つの調和へと昇華するプロセスを通して、現代社会が模索する共同創作のあり方を、感覚的かつ身体的に実現する。すべての人たちの力で、そんな瞬間を達成できたのではないかと思っています」。デラーがブラッドフォードの人々とともに作り上げた作品は、郷土史に新たな一章を刻んだ。

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