アンドロイド・マリアが歌う「解体と再生」の響き──渋谷慶一郎“MIRROR”がサントリーホールで描く未来像

11月5日、サントリーホールで音楽家・渋谷慶一郎の新作公演《アンドロイド・オペラ「MIRROR」-Deconstruction and Rebirth -解体と再生-》が上演される。AI搭載の人型ロボット「アンドロイド・マリア」が歌い、ピアノ、オーケストラ、声明、映像が融合する総合芸術となる。新作公演とその音楽観を渋谷に聞いた。

アーティスト・岸裕真、コンピュータ音楽家・今井慎太郎、東京大学教授・池上高志と松村礼央などエンジニア陣が集結してつくり上げた「アンドロイド・マリア」©︎ATAK

終焉の先にある「美しい風景」

音楽家の渋谷慶一郎が11月5日、サントリーホールで新作公演《アンドロイド・オペラ「MIRROR」-Deconstruction and Rebirth -解体と再生-》を上演する。彼の代表作《MIRROR》の発展形である本作は、新たに開発した「アンドロイドマリア」がホールで初めて歌声を響かせるメモリアルなコンサートとなる。

世界3都市を巡ったアンドロイド・オペラ《MIRROR》。Photo by Claude Gassian

《MIRROR》は2022年からドバイパリ、東京を巡って来た。パリの公演で渋谷は現地メディアから「AIが人類を滅ぼす様を見たいのか?」と取材を受けたという。それに対し、彼は笑いながら「すごく見たい」と答えた。

「どうせ世界はいつか終わるし、終わるのなら、美しく終わった方がいい。その過程や、終わった後に美しい風景が残るなら、それは救いになるのではないか。《MIRROR》は終わりのシミュレーションで、聴衆は終焉を傍観している曲なんです」

対して今回の公演は、「Deconstruction(解体)」と「Reverse(再生)」という二つのワードが加えられた。《MIRROR》や更に以前の初音ミク・オペラ《THE END》は「終わり」や「崩壊」を強調していたが、2ワードは少し前向きに感じられる言葉だ。それは、新たな“救い”をパリで感じるからこその変化のようだ。

「今、2023年のパリ公演時とは少しムードが変わってきていると感じていて。世界で戦争は終わらないし、ポピュリズム政党の台頭で分断が進んでいる。もうある意味世界は終わっているんじゃないかとも感じる。そんな背景の中、パリのアーティストやジャーナリストと話すと、テクノロジーとスピリチュアルが結びついてきていると感じている人が多い。これは新しい救いやビジョンとしてテクノロジーを捉えているんです。来年、フランスのかなりエッジィなクィア系のカルチャーマガジンで僕の特集をやることになっているんですけど、その号のテーマもVoodoo(魔術、精霊)なんです」

フィリップ・K・ディックやJ・G・バラードのサイバーパンク小説の世界が現実化してきている現代、テクノロジーの進化は止まらない。ディックにはテクノロジーが神となっている世界観の作品が多い。人間の頭脳を超えるAIに神的なものや希望を見るというのは不思議ではない。人々はAIは人類を破壊するのではなく、むしろ救済するように人々が肯定的に受け入れるようになってきているのかもしれない。ここに解体(Deconstruction)と再生(Reverse)の意図が見て取れる。終焉の先に立ち上がる新たな感覚を提示するのだ。

「解体という前衛の繰り返しではなく、新しい感覚を提示したい」。ただ、「終わりが来ないかもしれない絶望もある。具体的な一つの終焉というより、多様な終わりが世界にあると思う」とも渋谷は話す。これは“死は一つではない”と発言する渋谷の死生観に通ずることなのか?

アンドロイド・マリアと「死」の意味

《アンドロイド・オペラ「MIRROR」-Deconstruction and Rebirth -解体と再生-》ティザー動画。「アンドロイド・マリア」は、アーティスト・岸裕真、コンピュータ音楽家・今井慎太郎、東京大学教授・池上高志、ロボットエンジニア・松村礼央らが集結してつくり上げた。AI Animation & Video Edit: Charlotte Kemp Muhl, Sage Morei

今回歌唱デビューするアンドロイド・マリアは、渋谷が「世界一美しいアンドロイド」を目指して開発してきた存在だ。自ら命を絶った、彼の妻マリアをモデルとしている。

「アンドロイドを造るのは、死者を蘇らせるためではありません。むしろ心の中で生き続ける存在が、テクノロジーを通して形になることに意味がある。人間はいわゆる物理的な死が全ての終わりというわけではなく、様々な人の記憶に残り続ける。マリアが亡くなった時、死は一つではない、そう思ったんです。まあ正直コンサートでアンドロイド・マリアと一緒に演奏することは、どんな心境になるかちょっと怖さもあります」と渋谷は吐露する。

肉体的な死と記憶の持続。その二重性を可視化する装置として、アンドロイド・マリアは新たな死生観を聴衆に提示するだろう。彼女の動きや発言はとても自然で人間と見まがう。顔や姿、歌声とあらゆる美を追求した新たな楽器は、人間中心ではない音楽のフォーマットの可能性を見せてくれる。

「機能ではなく、“美しい”ということをテクノロジーでつくるということ自体が既に矛盾していて面白いと思いませんか」と渋谷。とても彼らしい発言だ。ファッションブランドや建築家・妹島和世とのコラボレーションしてきた彼の作品は耽美的とも言えるほど、常に“美”に重きを置いてきたと感じるからだ。

美しいか、カッコいいか

渋谷が音楽に興味を持った根源には、小学生時代の記憶がある。水疱瘡で寝込んだ日々、父に頼んで買ってもらったレコードがピアノの無限の可能性を気付かせた。ジャック・ルーシェによるジャズ・バッハ、チック・コリアのジャズ・ピアノ、今もメンターと尊敬する高橋悠治のサティや現代音楽の演奏、坂本龍一の音楽図鑑など「ピアノは、カッコよくて多様な表現ができる」と開眼した瞬間だった。

今もなお渋谷を貫くのは「美しいか、カッコいいか」という基準だ。「新しさ」だけでなく、美的強度を伴った作品こそが現代に必要であり後の時代に残ると彼は確信している。

「例えば悠治さん演奏の録音、ジョン・ケージの『プリペイドピアノのためのソナタとインタリュード』なんて曲のコンセプトがカッコいいし、ジョン・ケージもカッコいい。美しさ、カッコよさは人を元気にするし、やはり記憶にも歴史にも残る。それは伝わるということにつながります」

公演では作曲者自らピアノパートを担う。Photo by Kenji Agata

芸術家は自己満足を追求した作品を作ると考えがちだが、渋谷は自分だけが満足する作曲は追求しない。

「自分だけが良いと思う音楽にたどり着くにはまだ僕は若い。体力があるうちは自分も他者も満足するけど、新しいという音楽作りがしたいんです。これは誰かが言っていて面白いなと思ったんだけど、老いて来るとヒット曲が出ないのはコード、ハーモニーの感覚が衰えて来るかららしいです。メロディーは浮かぶし音色は洗練されてくるんだけど、音楽の進行・調和が下手になって来る。これは音楽だけの話じゃなくて、年を取ると意固地になったり頑固になって人と調和できなくなることと近いのかもと思ったんですよね(笑)。僕も70〜80歳代になったら、自分勝手なジジイになって自己満足な音楽を追求したいけど、それまではアンドロイド・オペラみたいな色んな人が関わる大変な公演も頑張って作ろうと思っています(笑)」

リストやブラームスなど晩年に簡素化していく作曲家は確かに多い。枯淡の境地などと言われたりするが、確かに人間的機能の衰えゆえの作風なのかもしれない。

また、渋谷はファッションも好む。学生時代はアルバイトで得た収入でプラダやコム デ ギャルソンを買っていたという。現在もプラダ、サンローラン、ルメールなどを好んで着ている。「服はアートのように視覚的な喜びがあり、しかも身にまとえる」と語るように、ファッションは身体感覚と美意識を同時に刺激する存在だ。

今ではグッチカルティエといったハイブランドのために作曲を手がける渋谷。現代においてラグジュアリーファッションと近い芸術音楽家は珍しい存在だ。

「以前は音楽とファッションは同じくらい移り変わりが速かったけど、今はもう音楽は停滞していて、ファッションの方が速いですよね。さらにファッションは経済とも密接に結びついています。そこも面白い点です。ハイブランドと仕事をしていると自分が中世の音楽家に戻ったような錯覚があって、それも楽しんでいます」

終わりから始まる未来

11月5日の公演は、アンドロイド・マリアに注目なのはさることながら、さらに聴衆を没入させる仕掛けが用意されている。オーケストラの一部や声明を客席通路や2階席に配置するという大胆な空間構成を採用するのだ。「ホール全体をひとつの楽器として鳴らしたい」と渋谷は話す。

舞台と客席を隔てる境界を越え、聴衆、奏者、アンドロイド、僧侶が共存する音響的な「森」をつくりたいという。オーケストラはヴァイオリニスト成田達輝がコンサートマスターを務め、第2ヴァイオリンに石上真由子、チェロに上村文乃と日本の若手トップ演奏家が率いる。その中で新曲や《BLUE》のオーケストラバージョンなど初披露曲も演奏される。AIとスピリチュアリティ、音楽とアート、死と再生──その交錯のただ中で、渋谷は聴衆を「終わりから始まる未来」の場へと導こうとしている。

日本のクラシック音楽の殿堂サントリーホールの中で、渋谷のピアノ、オーケストラ、アンドロイド・マリアの歌声、僧侶の声明が渾然一体となるその響きは、破壊の後に芽吹く美の風景を私たちに示すことになるだろう。

アンドロイド・オペラ「MIRROR」-Deconstruction and Rebirth -解体と再生-
日時:2025年11月5日(水)19:00開演(18:00開場)
場所:サントリーホール 大ホール(東京都港区赤坂1-13-1)
料金:SS席20000円、S席12000円、A席8000円、B席5000円、C席3000円(全席指定・税込)
販売:チケットぴあ http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=2533066

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