廃墟が若き芸術家250人のアトリエに。仏に学ぶ、アートを通じた街再生プログラム
10月下旬、アート・バーゼルの「Paris+」や「Asia Now」などのアートフェアで賑わうパリの郊外、オーベルビリエで250人のアーティストがそれぞれのスタジオを一般公開した。これは、2020年に始まったPOUSH(プーシュ)プログラムの一環として行われたものだ。若いアーティストを支援するこのプログラムについて取材した。
POUSHを構想したのは、アート制作コンサルタント会社、マニフェストの共同創設者であるエルベ・ディーニュだ。彼は2年前、パリ郊外にあるクリシー地区で使われなくなったオフィスビルを不動産デベロッパーから借り受け、多額の公的助成金を確保したうえで新進アーティストにスタジオスペースとして提供し始めた。
「当初、貸し主は疑心暗鬼だったんですよ。『廃ビルにアーティストだって?』とね」。オーベルビリエの巨大なアートコンプレックスで取材をしたとき、ディーニュはこう切り出した。この建物はかつて香水工場で、その後はデータセンターとして使われていたという。「デベロッパーは我われの計画が上手くいくとは思っていなかったんでしょう」
しかし、コンサルタントの仕事で政府関係者や不動産業者との交渉経験があったディーニュは、最終的にデベロッパーの説得に成功。POUSHが光熱費と税金の一部を負担するのが条件だったが、オフィスビルをアーティストのために使えることになったのだ。その結果、1平方メートルあたり月額10~13ユーロという格安な賃料が実現した。
クリシーのデベロッパーは2年経つと契約の解消を求めてきたが、「期日通りに原状回復して退去しましたよ」とディーニュは語る。彼にとって重要なのは、良い前例を作り、同じようなスキームを続けていくことだった。そして、オーベルビリエの空きビルに移転したというわけだ。
ディーニュがPOUSHを始めたのは、アーティストたちが直面している2つの大きな問題をなんとかしたいという思いからだ。1つは、手ごろな費用で借りられるスタジオスペースが不足していること。もう1つは、アーティスト同士の横のつながりがないこと。彼はこう考えた。「学校を出たアーティストたちは制作に集中することになるが、たいていは独りきりだ。でも、もし違う環境が与えられたら……?」
コロナ禍での船出になったPOUSHだったが、ともすれば孤立が深まりがちなこの時期に、アーティストたちの間には連帯感が芽生えたという。
POUSHは、共同ワークスペース以外にも様々なサポートを提供している。利用者向けのカフェがあり、作家たちは法的な支援や作品制作の手助けを受けることもできる。中でも最大のメリットは、作家やPOUSHの運営者たちが長年にわたって築き上げてきた人脈を活用できることだろう。
ギャラリーに所属する、あるいは美術館などで作品を展示する機会を探しているアーティストにとって、これは最高の環境だと言える。実際、数週間前には、POUSHのアーティスト、デワディ・ハジャブがフランスの大手ギャラリーの1つ、メル・マンヌールとの契約を獲得している。
2年前のスタート以来、口コミで広がったPOUSHプログラムの人気はうなぎのぼりで、スタジオを借りたいというアーティストが引きも切らない。4年前からパリに住んでいるアルゼンチン人アーティストのホアン・グッガーも、クリシーからオーベルベリエへの移転で規模を拡大したPOUSHが、追加で90人のアーティスト募集を開始すると即応募したという。グッガーは念願がかない、10月初旬から新しいスタジオを利用している。
「ここのコミュニティは、2〜3カ月間滞在してそれで終わりというアーティストレジデンスとはまったく違う」とグッガーは言う。「みんなここに腰を落ち着けて、何かを成し遂げたいと考えているんだ」
「自分がやっていることはまともじゃないかもしれないとか、いったい何にエネルギーと時間を費やしているのだろうとか、独りで制作に取り組んでいると意味のないことを考えてしまいがちなんだ」。グッガーは、公開スタジオにやってきた人たちが、燃えているノートルダム寺院を描いた彼の小ぶりなドローイングを見ている横でこう語った。「でも、自分と同じようにまともじゃない200人と一緒にいると、そんなふうに考えなくなる」
今までのところ、アーティストに充実したコミュニティを提供したいというディーニュの思いはうまく回っているようだ。
POUSHは、パリのアートシーンが活性化してきたのと時を同じくして登場した。先述のコンサルティング会社、マニフェストとPOUSHの両方でアーティスティックディレクターを務めるイバノエ・クルーガーは、パリの変わりように驚いているという。「私は20年前、パリを飛び出してロンドンに移ったんですよ。その頃、この街は停滞しきっていたので」
パリのアートシーンが現在活気づいているのは、パリ郊外に住んで制作をするようになったアーティストが増えたからだとクルーガーは指摘する。昔から階級間格差が激しいパリの中流階級にとって、郊外は貧困や暴力、移民の街というイメージだった。だが、現在は郊外の高級住宅地化が進んでいる。
クルーガーが言うには、パリの住民は郊外のことをパリの一部だとは思わないという。「ブルックリンはマンハッタンじゃないからメリットがない、というのと同じですね」。それが変化しつつある今、アートを郊外に広めようとする動きの一翼を担うことにクルーガーはやりがいを感じている。
今回のスタジオ公開に合わせ、POUSHのメンバーは「On Abstraction(抽象化について)」と「Le Paysan, le chercheur et le croyant(農民、研究者、そして信者)」という2つの展覧会を実施。キュレーターはクルーガーで、展示作品の半分はPOUSHの作家、もう半分は既に一定の評価を得ているアーティストの作品で構成された。
後者の大半は、ミルチャ・カントルやエドガー・サリンのように、大きな賞を受賞したことがある、あるいはポンピドゥー・センターなどパリの主要美術館で作品が展示されたことのある作家だ。
メジャーなアーティストを招くことのメリットは、POUSHの作家たちと著名作家との縁ができるということにある。それに加え、クルーガーによれば「郊外に人を呼ぶには必要な方法」でもある。(翻訳:平林まき)
*from ARTnews