急成長の湾岸諸国アート市場は新たなフェーズへ。アブダビ・アートのディレクターに展望を聞く

文化投資を急速に拡大し、世界のアート界から注目される湾岸諸国。その大きな動きの1つに、アラブ首長国連邦の老舗フェア、アブダビ・アートからフリーズ・アブダビへの移行がある。現体制で最後の開催となるアブダビ・アートのディレクターに、同フェアのこれまでの成長の軌跡と、今後の湾岸地域におけるアートのエコシステムの展望について聞いた。

アブダビ・アートのディレクターを務めるディアラ・ヌセイベ。Photo: Courtesy Abu Dhabi Art
アブダビ・アートのディレクターを務めるディアラ・ヌセイベ。Photo: Courtesy Abu Dhabi Art

第17回アブダビ・アートが、11月19日から開催中だ(23日まで)。アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで開かれるこのアートフェアは、これまで以上に国際色が増した一方で、創立以来の一貫した特徴は失われていない。

今年サディヤット島の会場に集結しているのは、35カの国・地域から約140軒のギャラリーだ。出展者数は昨年の104ギャラリーから大幅に増加し、2009年の初開催時に参加した約40軒の3倍以上の規模にまで成長している。ディレクターのディアラ・ヌセイベによる指揮の下、これまで同フェアはさまざまなテーマ別部門を立ち上げてきた。たとえば、工芸品や古美術品を扱う「コレクターズ・サロン」や、3000ドル(約46万円)以下の作品を扱うギャラリーを集めた「エマージ」などだ。また「グローバル・フォーカス」の今年のテーマは、ナイジェリアとトルコの近現代アートの重要作家で、アラブのアーティストと世界との歴史的つながりに光を当てる。

アブダビ・アートの運営組織は、過去20年間にわたって独自の文化戦略を打ち出し、目覚ましい成果を上げてきた。野心的でありながら思慮深く企画されたフェアには世界の注目が集まり、そこから独自のナラティブが形作られていくものだ。UAEは、文化・ビジネス両面でのライバルであるカタールのドーハやサウジアラビアのリヤドと同様、絶え間ない変化の中にある。そして今、この地域全体に広がるアートのエコシステムは、アブダビ・アートを引き継ぐフリーズが2026年に予定しているフリーズ・アブダビと、カタールでやはり2026年から開催されるアート・バーゼル・カタールにより、過去最大の進化を遂げようとしている。世界各地でフェアを開催するフリーズとアート・バーゼルにとっても、湾岸協力理事会(GCC)加盟国への進出は初めてとなる。

US版ARTnewsは、湾岸地域のアート市場に押し寄せる大きな変革の波と、今年のアブダビ・アートの詳細について、ディアラ・ヌセイベに話を聞いた。

アブダビ・アートはどのような戦略で成長してきたのか

──アブダビ・アートは2009年の創設以来、出展者数の増加に加え、UAE全体にサテライトイベントを展開するなど目覚ましい成長を遂げてきました。成長の要因は何だと思いますか?

サディヤット島にさまざまな美術館を開設するプロジェクトがついに実現します。その多くは、20年近く前から計画が進められてきました。キュレーション戦略、作品購入、新たな知識の創造など、多くの取り組みが行われてきましたが、その全てがこの地域の急成長するアート市場に大きな影響を与えています。

さらに、地政学的、経済的に見て、この地域は時代の波に乗っていると言えます。湾岸諸国は経済的に安定しており、世界の他の地域で文化への投資が鈍化する中、ここでは文化分野への資金注入が活発化しています。そうした環境で多くのギャラリーが新たな市場拡大を模索した結果、湾岸地域を魅力的な参入先として捉えるようになりました。今回のフェアでは、初期から出展しているペース・ギャラリーやカメル・メヌール・ギャラリー、ガレリア・コンティヌアなどに加え、リチャード・ソルトゥーンなどのギャラリーが初参加します。

──アブダビ・アートは近年の変化にどう対応してきたのでしょうか?

当初は世界的な一流ギャラリーが中心で、それに地元の大手ギャラリーが加わる構成でした。近年では、新興・中堅ギャラリーにも慎重に門戸を開いていくことで、フェアの中核を担い、重要な役割を果たしてもらえるようになりました。こうした傾向はこの地域だけでなく、世界的にも見られます。

我われは、市場拡大を狙うギャラリーに対し、UAE、特に首都アブダビを拠点として捉えてもらうための場を提供してきました。その一環として、拡大するコレクター層に向けて低価格帯の作品を提供するようギャラリーに促しています。重要なコレクションを所有するコアな著名コレクター層だけでなく、可処分所得の割合が高く、将来的にギャラリーの市場構築を支えるであろう若手コレクター層が参入しつつあるからです。

それと同時に、これまで美術史の中であまり研究されてこなかった部分にスポットライトを当て、知名度が低いアーティストの作品の出展にも積極的に取り組んでいます。たとえばエジプトのシュルレアリスト、インジ・エフラトゥーンのように、世界的に認められた同世代のアーティストに比べ、過小評価されているような作家です。同等の評価を得ているヨーロッパのシュルレアリスムの作家の作品を手に入れようとしたら、何倍もの金額を支払うことになります。コレクターにとって、この地域やグローバル・サウス、あるいはグローバル・マジョリティと呼んでもいいのですが、そうした地域の近現代アートを収集し始める絶好のチャンスと言えるでしょう。

──アブダビ・アートはナイジェリアなどとの提携も行っていますが、フェアの戦略との関係を教えてください。

今年はナイジェリア連邦芸術文化観光創造経済省と積極的に連携し、特に「グローバル・フォーカス部門」でさまざまなギャラリーに機会を提供しています。7軒のギャラリーが出展しますが、うち1ギャラリーはオソグボ美術学校の現代作品を展示します。他の6軒は、基本的に新しい小規模ギャラリーです。ナイジェリアも我われと同じく、クリエイティブエコノミー(創造経済)に、そしてその成長を支援することのメリットに関心を持っているのだと思います。アブダビ・アートはナイジェリアと提携し、UAEでの成長のための機会を提供しました。このように、ギャラリー数を増やし、ギャラリーが参入するためのエントリーポイントを増やすことは、我われの戦略の一環です。それによってギャラリーは、幅広いコレクター層にアクセスしやすくなります。

また、アブダビ・アートでの出展作品の選定では、美術館の意見を重視しています。たとえば、数年前に導入した「コレクター・サロン」では、ルーブル・アブダビの所蔵品に関連した作品を展示しています。昨年はロンドンの稀覯書ディーラー、ピーター・ハリントンが、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』の注釈付き直筆原稿を出品しました。こうしたコレクティブル(収集対象品)や古美術品、工芸品、古文書なども幅広く対象としているのですが、これはルーブル・アブダビに過去7、8年通っているような来場者たちの嗜好に合致していると思います。また、SWANA(南西アジアおよび北アフリカ)地域を重視する我われの方向性は、グッゲンハイム・アブダビが掲げるキュレーション戦略や意図に沿っています。

サミュエル・ノロム《Showing Inner Colour》(2025)。Photo: Courtesy of The 1897 Gallery and the Artist
サミュエル・ノロム《Showing Inner Colour》(2025)。Photo: Courtesy of The 1897 Gallery and the Artist

湾岸諸国を超えた地域的広がりを追求

──フェアではどのような交流が繰り広げられているのですか?

このフェアに数年前から参加しているコー(kó、ナイジェリアのラゴスを拠点とするギャラリー)を通じて、ナイジェリアの現代アートに関する知識を広げることができました。昨年は、作品が出展された所属アーティストのナイキ・デイヴィス=オクンダエに直接会えて、とても嬉しく思いました。オソグボ美術学校の主要メンバーである彼女は、やはりアーティストのツインズ・セブン・セブンと結婚しており、2人は芸術家や作家、知識人、詩人、演劇制作者のコミュニティとともに、舞台装飾を制作したり、巡回公演を行ったりしています。

それは、ナイジェリアが自国の美術史を自分たちの手に取り戻し、未来を描き始めた中で生まれたポストコロニアルのナラティブの一翼を担う活動でした。デイヴィス=オクンダエは、たしかナイジェリア初の女性ギャラリストでもあり、500人もの女性に工芸品制作の仕事を提供してきました。彼女は非常に刺激的な人物です。話が長くなりましたが、コーはナイジェリアとのつながりや今後の関係を考えるにあたって、いろいろな意味で扉を開いてくれたのです。先ほど、ナイジェリア連邦芸術文化観光創造経済省について触れましたが、その名称からも、ナイジェリアがこのセクターに力を入れていることは明らかです。クリエイティブエコノミーへの投資がナイジェリアの未来を切り拓くために不可欠だという考え方には、大いに共感しました。アブダビも同じように考えているからです。

アートのエコシステムとアートエコノミーを構築するための取り組みは全て、国のさらなる成長に貢献する可能性、この分野でキャリアを築く可能性を次の世代に与えることが目的です。その点で、アブダビとナイジェリアの使命には共通するものがあります。そう考えると、国際的なアート業界の中心で、成熟している欧米の市場に飛びつく必要はないことが自然に分かってきます。今は、あらゆる物事が分散化しているのです。

──その中でトルコはどう位置付けられてるのでしょうか?

参加ギャラリーの1つがファーレルニッサ・ザイドの作品を展示しますが、ザイドはこの地域のさまざまな場所をつなぐ存在と言えます。オスマン帝国時代のトルコに生まれた彼女は結婚でイラクに移住し、トルコのアーティストコレクティブ、Dグルブに参加した後、晩年はヨルダンで女性アーティストたちの指導にあたっていました。つまり、トルコの現代アーティストであると同時に、アラブ世界にも深く関わっていたのです。今回のフェアでは、一般公開されたことのない個人蔵の特別な作品が展示される予定です。

──この規模のフェアを運営する際の日常的な業務内容について教えてください。

制作スケジュールの管理やギャラリーの配置を考えることなど、さまざまな業務があります。その中で一番好きなのが、アーティストやキュレーターと展示内容について話すことです。アーティストについて学び、ブースでのプレゼンテーションを手助けし、コレクターへのアプローチを考えます。また、複数のイベントを企画し、アブダビは初めてというケースが多い来場者たちを出迎えるのも私の仕事です。UAEとその文化的景観について広く知ってもらいたいと願っています。

先週はメインスポンサーのHSBCが、「ビヨンド・エマージング・アーティスト」プログラムを紹介してくれました。これは毎年3人のアーティストに新作を制作してもらってフェアで展示した後、国際的に巡回させる企画です。これまでインドのコーチや香港で展示してきました。先日はHSBCの支援で、ロンドンのサーチ・ギャラリーでの展示が実現しています。

ブースの壁をどこに設置するか、限られたスペースにギャラリーをどう配置するかといった課題も検討しなくてはなりません。可能な限り多くのギャラリーを参加させたいからです。実際のところ、最も新しいギャラリー数軒は通路沿いに配置せざるを得なかったのですが、それがかえって活気をもたらしました。昨年このエリアのギャラリーは驚くほど売れ行きが良かったのです。キュレーターが展示に込めた意図や、そこから生まれる批評的考察をできるだけ理解しようと努めるのは、仕事の中でもとりわけ楽しい部分です。特に今年は、ギャラリーとブースの変更や新作展示について頻繁に話し合いました。フェアとして、ギャラリーが何を展示するかに細心の注意を払い、展示会としての質を高め、無秩序な展示にならないよう心がけています。

──つまり、毎日が全く違うエキサイティングな仕事というわけですね。

いいえ、そういうわけでもありません。特に低価格帯の作品を見ると、つい買いたくなるのは職業病で困ったことです。

フリーズとバーゼル進出で高まる湾岸諸国の存在感

──2016年のディレクター就任以来、その役割自体、そして役割に対するあなたの認識はどう変わりましたか?

就任初日から、アブダビ・アートはプラットフォームであると同時にコミュニティでもあるという認識を持ち続けています。一般に、アートフェアはプラットフォームと称されることがよくあります。ですから、最初からフェアがコミュニティに対して果たしうる役割、歴史的に何をしてきたか、そして今後どこへ向かうべきかを理解しようと努めてきました。戦略的に実現したかった変更点の1つは、5日間のイベントだけではなく通年での存在感を確立することです。

たとえば、年間を通じた展覧会の開催や大学でのトークセッション、「スチューデント・パビリオン・プライズ」、「ビヨンド・エマージング・アーティスト」といった企画では、若手アーティストがフェアを成長の手段として活用する機会を提供するのが目的でした。フェアには延べ1万人の学生が訪れていて、このことを私はとても重視しています。フェアは、商業アート空間としての基本的な機能を超えて、知識創造の場として大きな役割を果たせると感じています。そこには、アーティストに関する研究や出版物の制作支援なども含まれます。実際、サテライト的な展覧会、ゲートウェイ(*1)を通じて、その一部は実現しました。

*1 2016年に始まり、アブダビ・アートの期間中に開催される。ゲストキュレーターが選んだ内外のアーティストの作品を展示。

また、ウェアハウス421で毎年開催されるギャラリーウィークでは、3000ドル未満の作品に特化した重要な販売機会を提供し、若手コレクター基盤の形成という成果につながっています。こうした経験は全て、人々が何を求め、何が大きな反響を呼んで人々を惹きつけるのかを考える上で、大きな学びのチャンスになりました。アブダビには、自国のクリエイティブエコノミーの発展を支援することに誇りを持つ人たちがとても多いと感じています。これは他にあまり例のないことだと思います。

──コロナ禍でフェアの開催はどうなりましたか?

コロナ禍ではオンライン開催のみの年がありました。ギャラリーが無料で参加できるオンラインのフェアを実施したのです。インターネットをほとんど利用したことのないコレクターも多かったのですが、VIPチームが自宅を訪問し、ノートパソコンを開いてビューイングルームの操作方法を教えるサービスがとても好評でした。そこには、UAEの可能性とその未来に貢献したいという強いコミュニティ精神と意欲がありました。この国ならではだと思います。

──フリーズ・アブダビとアート・バーゼル・カタールが2026年にローンチされます。2つのフェアは、湾岸地域におけるアートのエコシステムにどんな影響を与えるでしょうか?

私たちにとって、極めて重要なフェーズの始まりです。アブダビ・アートは成長を続け、参加ギャラリーは40程度から140にまで拡大しました。サウジアラビアでも春にアートフェアが立ち上げられて、着実に発展しています。カタールは、アート・バーゼルとの協力関係構築に前向きであることを強く示していました。これは、アーティスト、ギャラリーをはじめ全てのアート関係者にとって有益な、新たな成長期に突入したことの表れです。地域全体の成長は、アーティストが各国で展示する機会を得ることにつながりますし、キュレーターは多様なイベントを通じて作品を発見し、研究者はさまざまな情報にアクセスして考察を深めることができます。

今まさに、湾岸地域は国際的なアート界での存在感を高め、自らのことを語り、それを発信し始めています。世界からこの地域への進出が活発化するのと同じくらい、湾岸諸国から世界へと向かう動きも広がっています。その中でも、フリーズ・アブダビの創設は大きな変化です。これまで、アブダビ・アートはローカルかつ地域に根差したフェアとして、海外からの参加者を惹きつけてきました。しかし、2026年のフリーズ・アブダビに向けて、この状況は意味ある形で変わるでしょう。フリーズのネットワークと専門性を介して、よりグローバルな対話に参加し、自らの声をその対話に反映させる段階に入るのです。私は最近、フリーズとちょっとしたコラボレーションをする機会に恵まれました。(10月の)フリーズ・ロンドンでラウンジを共同運営し、来場者をもてなしたのですが、実にすばらしい経験でした。皆、優秀で親切で、最高のパートナーです。

ロンドンは古くから国際的な交流と取引の中心地であり、世界中の人々が拠点としてきた都市です。フリーズ・ロンドンが開始されてから、アート市場の回転が速まり、エコシステムが拡大する様子を目の当たりにしてきました。ある意味、アブダビも同じような拡大を経験していると思います。ここもまた国際的なハブであり、金融の中心地であり、世界中から人々がやってきて、拠点とする場所です。今後、アブダビのアート界はさらに加速するでしょう。そしてこのフェアはその過程で重要な役割を担うことになります。

──11月のアブダビ・アート開幕に向けて、特に強調したい点を教えてください。

アブダビ・アートは取引が行われる場であると同時に、より広範なテーマについて考察し、研究する場でもあり、幅広いコミュニティが集う場でもあります。だからこそ、このフェアは今後も意義を持ち続けるでしょう。アート市場の構築と同時に、美術史の多様な側面に関する知識、今日特に重要な問題、あるいは問題に対する批評的な視点が育まれます。私たちはこれからも、そうした可能性を提供するフェアであり続けたいと願い、努力を続けていきます。(翻訳:清水玲奈)

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