NYを席巻中! キム・アヨンが描く、デジタル社会の影に生きる人々の「成就しない愛」
コロナ禍の街をバイクで駆け抜ける女性配達員を描いた映像作品で、世界的な評価を確立したキム・アヨン。現在、ニューヨークのMoMA PS1で開催されている個展が大きな話題を呼んでいる彼女に、制作テーマやキャリアの転機、影響を受けた作品などを聞いた。

2020年代に制作されたアート作品の中で、キム・アヨンの《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》(2022)ほど、コロナ禍のロックダウンで世界に広がった混乱と不穏さを的確に捉えているものはないだろう。しかし、この映像作品のテーマは、孤立や疾病、新型コロナウィルスの大流行ではなく、全く別のところにある。それは、真に苦しみを味わい、生き延びた人々の体験であり、私たちの多くが家に引きこもっている間、変容した社会で彼らがいかに新たな世界を創造したかということだ。
その複雑なストーリーは、キムが暮らすソウルの街を白いライダースーツで疾走する2人の女性配達員を中心に展開する。アプリを見ながら曲がりくねった路地を進んで配達をこなし、宇宙を飛び回り、バトルを繰り広げる2人は、敵対しつつも強迫的に惹かれ合っていく。制作の一部にはAIやゲームエンジンが使われ、ドキュメンタリー調の映像が時にアニメ風の動画に切り替わる。
出世作の「デリバリー・ダンサー」が描くデジタル社会の裏側
《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》がこれほど鮮やかな作品になったのは、キムがコロナ禍で実際の配達員に密着し、その仕事を間近で観察する機会を得たからだ。最近、ソウルのスタジオからZoomでインタビューに応じたキムはこう話す。
「協力してくれたのはとても有能な配達員でした。その仕事に同行しないことには実態をつかめないと思ったので、彼女に同行取材を申し込みました」
画面共有で何百枚ものスライドが並ぶパワーポイントを見せてくれたキムは、バイクの後部座席で配達員に腕をまわしたヘルメット姿の人物を見つけると手を止め、こう言った。
「これは私です。とても解放感がありました。よく知った街なのに、それまで行ったことも聞いたこともない不思議な場所をたくさん周ることができたんです」

配達員がアプリに従い、デジタルマップを見ながら移動し、顧客からの注文を受けたり断ったりする日常を観察したキムは、「現代人のほぼ99%はテクノ・プレカリアート(*1)」だと指摘する。それは、過剰なデジタル化で生活が以前より不安定になった層を指す。
「大手テック企業が支配的な地位を占めるようになった社会の裏側で、実際に何が起こっているのかを私たちは知りません。それが時間そのものや、細切れになった時間に関する私たちの理解をどう変えていくかに興味があります」
*1 派遣・契約社員、アルバイトやパートタイマーなど、非正規の不安定な雇用形態にある人。precarious(不安定な)とproletariat(労働者階級)を組み合わせた造語。
キムはこの10年ほど、労働や資本主義、未来の世界をテーマとした強烈な映像作品やインスタレーションを制作している。韓国では広く知られていたが、世界中でその作品が展示されるようになったのは最近のことだ。
ロンドンのテートは、2023年のフリーズ・ロンドンで《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》を購入し、以来、同作とその続編を頻繁に展示している。今春には、東京の森美術館で行われた「マシン・ラブ」展で映像・ゲーム・彫刻が展示されたほか、ベルリンのハンブルガー・バーンホフ現代美術館で同シリーズの3作品が上映された。この3本は、現在ニューヨークのMoMA PS1で開催中のキムのアメリカにおける初個展、「Ayoung Kim: Delivery Dancer Codex(キム・アヨン:デリバリー・ダンサー・コーデックス)」で見ることができる(2026年3月16日まで)。
11月末にはニューヨークのパフォーマンス・アート・フェスティバル「Performa Biennial 2025(パフォーマ・ビエンナーレ 2025)」で、生身のスタントパフォーマーとモーションキャプチャ技術を用いた「デリバリー・ダンサー」シリーズの新作がお披露目される予定だ。さらに香港のM+では、コミッション作品の《Dancer in the Mirror Field(鏡のフィールドのダンサー)》が、ファサードの巨大スクリーンに映し出されている(12月28日まで)。パフォーマ・ビエンナーレでキムのコミッション作品を担当したキュレーター、デフネ・アヤスは、冗談混じりにキムを「現代の預言者」と呼び、こう評した。
「AIやデータを扱う人はたくさんいますが、彼女はその一歩先を行っています。アート界はまさに彼女のような作家を待ち望んでいたのではないでしょうか」
今年2月、賞金10万ドル(約1500万円)のLGグッゲンハイム賞を受賞して以来、キムは多忙を極めている。以前はほとんど1人で仕事をしていたが、この2年間でフルタイムのスタジオ・マネージャーを5人迎え入れた。そのうち2人がゲームエンジンなどテクノロジー面でのサポートを担当し、残る3人が増え続けるコラボレーターとの連絡・調整係を務めている。そんな現状で、自分がもう「若手アーティスト」ではないことを思い知らされたと46歳のキムは吐露する。
それでも、数々の展覧会や委託制作の合間を縫って、余暇にはできるだけ映画やテレビ番組を見るようにしているという。彼女の着想源になっているのは、1990年代にMTVで放映された人気アニメで、近未来世界の女性スパイが登場する「Aeon Flux(イーオン・フラックス)」や、エロティックな要素を含む女性同士の関係性を軸にした愛の表現を描くアニメなどだ。キムは、「女性と女性の対立、愛とロマンス、絡み合う感情に魅力を感じる」と説明する。

ロンドン留学でポストコロニアリズムと向き合ったことが転機に
キムがアーティストとして成長する上で動画メディアが果たした役割は大きく、作品が映画祭で上映されたこともあるが、「権威的なドグマでは、私の作品は映画と見なされていない」と明かす。「デリバリー・ダンサー」シリーズの作品はどれもストーリー展開が複雑で、三部作で最も新しい《デリバリー・ダンサーズ・アーク:0度のレシーバー》(2024)は、ジャンルやアスペクト比が目まぐるしく切り替わる3スクリーンの刺激的なインスタレーションだ。
一方で、キムには伝統的な映画作家のように作品に取り組む側面もある。撮影前に膨大な数のショットリストとシークエンスの絵コンテを用意するのだ。
「制作チームと共有する必要があるので、全てのシークエンスを詳細に説明するようにしています。ただし、編集ではシーンの順序を入れ替えるなどしてプロットをかなり変更しますから、最終的にはより複雑で迷宮的な作品になります」
キムは、アラン・レネ監督の傑作『去年マリエンバートで』(1961)や、韓国の名匠ホン・サンス監督の作品など、不条理な展開の映画に深い敬愛の念を抱いているという。しかし、こうした映画が「デリバリー・ダンサー」シリーズにどれほど影響を与えたかが分かる人はほとんどいないはずだと言い、「それは多様性や複数の世界を開く可能性です。その可能性は、ワンショット、ワンシークエンスから生まれます」と強調した。
1979年にソウルで生まれたキムはグラフィックデザイナーを目指し、ソウルの国民大学校でその分野を専攻した。しかし20代の頃、「人生の中でとても大変な時期」に韓国を離れてイギリスに渡り、ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションで写真を学び直している。そこでポストコロニアリズムに関する学術的な議論に没頭し、ある「問題」にぶつかった。それは、帝国主義の大国だったイギリスが、「ポストコロニアルの言説をも支配している」現実だ。
外国でアジア人女性としての自分の立場を再認識した彼女は、『ブレードランナー』(1982)など、それまで好きだったハリウッドのSF映画に対する見方が変わったという。それらの作品の多くで、「アジア人は主体性を持った存在として描かれていない」とキムは主張する。そして、「主体性を維持しながら自分たちの未来について考えるとしたら、それはどんな形でだろう?」と自問し始めた。
その問いに対し、当初キムは過去へさかのぼることで答えを出そうと試みた。中には自分が直接経験していない歴史を題材にした作品もある。たとえば「PH Express(PHエクスプレス)」シリーズ(2011-12)は、韓国の済州海峡に浮かぶ巨文島(ポート・ハミルトン)が19世紀にイギリス軍に占領された事件を扱っている。
また、「Zepheth, Whale Oil from the Hanging Gardens to You(ゼフェス、空中庭園から君に贈る鯨油)」(2014-15)と総称されるインスタレーション群は、1980年代のサウジアラビアの石油産業を考察したものだ。そこに登場する彼女の父親は、80年代後半にサウジアラビアが石油の増産に舵を切った頃、同国に渡った労働移民の1人だった。この作品群はキュレーターたちの注目を集め、「西洋中心」のアート界を問い直したことで知られる故オクウィ・エンヴェゾーが、2015年のヴェネチア・ビエンナーレで「ゼフェス」シリーズの作品を展示している。
しかし、2016年頃にオクテイヴィア・E・バトラーやダナ・ハラウェイのスペキュレイティブ(思索的)SF小説を読み始めた彼女は、その作風を転換した。それについてキムはこう語る。
「これほど大量のリサーチは私には無理! 歴史家ではないし、歴史を再構築することもできないと気づいたんです。アーティストの役割は歴史を書き直すことではありませんから」

「世界はリセットされ、求愛が報われることはない」
それ以来、キムの作品は未来的な印象を与えるようになった。たとえば、シドニーの美術館、パワーハウス・パラマタで近々初公開される最新作の1つでは(キムによるとアクションムービーだそうだ)、バロック様式と新古典主義様式の装飾が施されたきらびやかなショッピングモールが、「ダンサー・オブ・ザ・イヤー」コンテストの会場として登場する。彼女が見せてくれたショッピングモールのCGに描かれたガラスと金属の巨大タワーは、2025年ではなく2125年の建築物のように見える。
MoMA PS1でキムの展示を担当しているキュレーター、ルバ・カトリブは、キムの作品では過去、現在、未来の間に奇妙な連続性が意図的に構築されていると語った。
「そこにあるのは非線形の時間です。このループから抜け出すことはできません。作品の登場人物たちはループから逃れようとしていますが、実際には逃れられないのです。もしかしたら逃げ出したくないのかもしれません」
カトリブはまた、パフォーマ・ビエンナーレでキムのコミッションを担当するアヤスと同様、キムの作品を「ロマンチック」と評した。このビエンナーレで披露される作品《Body^n.》では、パフォーマーが振り付けされた動きを観客の前で行い、モーションキャプチャを通してデジタル化された映像がスクリーンに転送される(ネットフリックス「イカゲーム」シリーズのコレオグラファーであるキム・チャイもこの作品に協力している)。パフォーマーたちが親密な動きを見せることから、アヤスはキムに「ラブシーンだと示すため、ここで照明を消しますか?」と確認したという。
キム自身、「デリバリー・ダンサー」シリーズの作品の登場人物たちは、一種の愛を求め合う行動をしていると認めている。「でも、その愛が成就することは決してありません。なぜなら、どういうわけか彼らは出会っては別れ、また出会っては別れを繰り返すからです。世界はリセットされ、物語は何度も何度も繰り返される。それが彼らの運命なのです」(翻訳:清水玲奈)
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