ファラオの墓「無銘の石棺」は別の王のものだった──80年の謎を解明する小像225体を新発見

エジプト観光・考古省は11月24日、古代エジプト第3中間期、第22王朝(紀元前945-紀元前715)の5代目ファラオであるオソルコン2世の墓から1939年に見つかった謎の石棺が、6代目のショシェンク3世のものである可能性が高いと発表した。

オソルコン2世の墓から見つかった、ショシェンク3世の施釉陶器の小像。Photo: Courtesy of the Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

エジプト観光・考古省は11月24日、エジプトとフランスの合同調査チームが、ナイルデルタ北東部のタニスに位置する第22王朝のファラオ、オソルコン2世の墓の北側で225体の施釉陶器の小像を発見したと、公式Facebookで発表した。

アートネットが伝えたところによると、オソルコン2世の墓の北側の部屋からは、1939年に無銘の石棺が見つかっていたが、持ち主が誰なのかは長年分かっていなかった。しかし、考古学者たちがそこからわずか数歩の場所で清掃・保存作業を行った際に、上質な施釉陶器の小像群を発見。これらは来世で王族に仕えるために遺体と共に埋められる「ウシャブティ」と呼ばれるもので、チームがより詳細な調査を行ったところ、ショシェンク3世に言及するヒエログリフが刻まれていた。これにより、謎の石棺が彼のものである可能性が高まった。

オソルコン2世の墓から見つかった施釉陶器の小像。Photo: Courtesy of the Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

一方で、ショシェンク3世には、彼の名が刻まれた墓がすでにタニスに存在している。だが、そこで発見された遺物には、後の第23王朝のファラオであるショシェンク4世への碑文が刻まれていた。

なぜショシェンク3世の墓に別の人物が葬られているのか。その理由は2つ考えられる。第1に、古代エジプトにおいて墓の再利用は一般的だった。第2に、先代のオソルコン2世の死後、後継者争いを勝ち抜き王位に就いたショシェンク3世は、強固な正統性を持っていなかった。彼は40年にわたる在位期間中、北のタニスと南のテーベに分断されたエジプトを統治しながらも、ライバルの王たちを退け、内戦に直面しなければならなかった。新たな発見は、彼は死後においても安住は許されず、本来の墓が後継者または政治的ライバルによって奪われた可能性を示唆している。

ファラオの集団墓地は南部にある王家の谷が有名だが、タニスは後の動乱期に作られた。その王家の埋葬の多くは無傷で発見されており、第3中間期の葬祭慣行についての比類のない洞察を提供している。チームはショシェンク3世の再埋葬地で、これまで記録されていなかった新しい碑文も発掘した。これらは、再埋葬が政治的な理由だったのか、それとも王の遺体を保護するための計算された戦略の一部であったのかを明らかにする可能性がある。

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