ナイキ、村上隆、IKEA etc. ヴァージル・アブローが手掛けた名コラボまとめ
ヴァージル・アブローが2021年11月28日に死去してちょうど1年。カニエ・ウェストのクリエイティブディレクターとして頭角を現し、18年にはルイ・ヴィトン初の黒人のアーティスティック・ディレクターとなったアブローは、アートや音楽、スポーツ、建築などとファッションを巧みに融合させ、不動の地位を築いた。この希代のデザイナーの軌跡を、6つの名コラボから振り返ろう。
当時まだ37歳だったデザイナー兼DJにとって、これは大出世だった。ガーナから米国に移民した両親のもと、中流家庭で育ったヴァージル・アブローがハイファッションの世界に入ったのは、その6年前のこと。ときに盗作疑惑で非難を浴びつつも、彼の名は一般にも広く知られるようになる。アブローが手がけたストリートブランド、オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー™(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH™)は、オンライン・ファッション・プラットフォームのLyst(リスト)が発表する世界の人気ブランドランキングで、17年に前年の34位から急上昇して3位に躍り出た。そして翌年には1位に輝いている。
こうした活躍のかたわら、アブローはファッション界を目指す若者の育成に尽力した。自らが設立したポストモダン奨学金基金やナイキラボ・シカゴ・リ=クリエーション・センター、オンライン教育コンテンツのフリーゲームなどを通じて、数多くの有色人種の若手デザイナーを発掘し、支援した。また、ルイ・ヴィトンで手がけた最初のランウェイショーに、約1500人の学生を招待。そのフロントロウには、カニエ・ウェスト、リアーナ、エイサップ・ロッキーなどの有名ミュージシャンや、ファッション界の第一線で活躍する大物たちも顔を揃えていた。
アブローは、21年にウォール・ストリート・ジャーナル・マカジンの取材で、「僕は自分のキャリアについて話す時、よくそれをトロイの木馬にたとえるんだ。2つの世界の境界を乗り越えて、異質な人々を巻き込むようにしているから」と話している。
このインタビューのわずか数カ月後、アブローはこの世を去ってしまう。それまで公表していなかった心臓血管肉腫という非常にまれながんが原因だった。途方もなく大きな才能を失ったファッション界は、今もアブローの型破りで創造的な作品をどうカテゴライズすべきか判断しかねているように見える。
彼の服は「ストリートウェア」と呼ばれることが多いが、アブロー自身はこれに異議を唱えていた。ファッション界における彼の正当性を否定する、人種差別的な呼び方だと考えていたのだ。21年に「エシカル・ファッション・ポッドキャスト」にゲストとして出演したとき、彼はこう語った。
「わたしは異端だとみなされている。ストリートウェアというレッテルを貼られるし、デザイナーではないとか、アートではないとか、数え上げればきりがない。自分の物語は僕自身で語らないといけない。作品に価値があるのかどうか、誰かが決めてくれるのを待っているわけにはいかないから」
こうして独自の地位を築き、熱狂的な支持を得たアブローが手がけた作品──音楽、ファッション、建築、デザインなど、さまざまな分野にわたる──を一挙に紹介する特別展「Figures of Speech(比喩的表現)」は、これまでに5つの美術館を巡回しているが、どの会場も大勢の来場者がつめかけている。
23年1月29日まで「Figures of Speech」を開催しているニューヨークのブルックリン美術館では、独自に製作した記念アイテムを販売中だ。ナイキも、何カ月も前から高まっていたファンの期待に応え、関連アイテムをリリース。それが、この展覧会の警備員たちが履いている、アブローによるエアフォース1ローカットの限定版モデル(ライムグリーン)だ。同シリーズには、19年のシカゴ現代美術館バージョン(スカイブルーに赤の差し色)と、21年のボストン現代美術館バージョン(鮮やかなイエロー)もあるが、当然ながら、すべて完売している。
創業者が不在となったオフホワイトの今後については、まだ憶測が飛び交っているが、アブローが他界してから数カ月後に、スタイリストのイブラヒム・“イブ”・カマラが同ブランドのアート&イメージディレクターに就任している。彼の指揮のもとで作られる最初のコレクションが、23年初頭にランウェイに登場する予定だ。
ルイ・ヴィトンはアブローへの敬意から、現時点でまだ後任を指名していない。とはいえ、アブローのレガシーを最も強く心に刻んでいるのは、自身が「トロイの木馬」だと感じずにはいられなかったこの老舗メゾンを含む既存のファッション界の人々ではなく、インスタグラムのDMを通じて彼と交流し、薫陶を受けてきた後輩や熱心なファンたちだろう。
アブローは、オフホワイトなど自身のブランドを立ち上げただけでなく、エキノックスやゴアテックス、ジミー・チュウ、キス、サングラス・ハット、ティンバーランドといった数え切れないほどのブランドと一緒に仕事をしている。そのうち特に重要な6つのコラボレーションをリストアップして紹介しよう。
1. カニエ・ウェスト(Ye=イェ)
アブローにとって初の大ブレイクは、カニエ・ウェスト(現在はYe=イェに改名)とコラボする機会を勝ち取った2003年のことだった。彼は、ウィスコンシン大学マディソン校を卒業する直前にそのチャンスをものにしている。大学時代の彼は、人気パーティの企画者として名を馳せていた。パーティではアブローがDJを担当し、当時ルームメイトだったガブリエル・スタルマン(現在はニューヨークで複数のレストランを経営)が料理やバーを受け持っていた。
ある時アブローは、自分がよく利用していたシカゴのシルクスクリーン印刷店をウェストのレコード会社も利用していることに気づき、自分の作品を店のあちこちに置いたままにしておいた。この作戦が功を奏し、ウェストのレーベルから連絡が来た。彼は大学最後の期末試験をさぼって、インターンデザイナーを募集していたウェストの会社の一次面接を受けたという。
下っ端のインターンだったアブローは、その後、ウェストのデザインコンサルティング会社ドンダ(DONDA)でクリエイティブディレクターを務めるまでになった。生涯にわたりウェストのことを「最高のメンター」と呼んでいたアブローだが、ウェストの方もアブローの恩恵を被っていると言っていいだろう。ウェストのアルバムの中でも特に印象的なジャケットの多くはアブローがディレクションを担当し、それぞれのプロジェクトにトップクリエイターを引き入れている。
彼がジャケットのアートワークを依頼した人物の中には、村上隆(2007年「Graduation(グラデュエーション)」)やジョージ・コンド(2010年「My Beautiful Dark Twisted Fantasy(マイ・ ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー)」)、リカルド・ティッシ(2011年「Watch the Throne(ウォッチ・ザ・スローン)」、このアルバムジャケットはグラミー賞のベストデザイン賞候補になった)がいる。また、イーザス・ツアー(The Yeezus Tour)やイージー・コレクション(Yeezy Collection)のステージデザインを担当したヴァネッサ・ビークロフトをウェストと引き合わせたのもアブローだ。
クチュール(オーダーメイド)分野への進出を狙っていたウェストにとって、09年は極めて重要な年だった。彼はアブローなどの仲間たちと一緒にパリ・ファッションウィークに乗り込み、存在感をアピールしている。同じ年の後半、ウェストとアブローは共にフェンディでインターンとして働いた。その時すでにスーパースターだったウェストは、インターン先では重役にコーヒーを運んだり、コピーを取ったりする以外、2人は「何もしなかった」と後に語っている。とはいえ、その時の体験が、最初はナイキ、次にアディダスとのコラボレーションであるイージー(Yeezy)への道を開くことになった。
2. Ralph Lauren(ラルフ・ローレン)
ファッション界でアブローの名が広く知られるきっかけとなった“コラボレーション”は、そもそも正統なコラボレーションではない。だが、これこそアブローの野心とその後の方向性を決定づけるものになった。2012年、アブローはウェストのクチュールプロジェクトから独立し、パイレックス・ビジョンを立ち上げた。その後パイレックス・ビジョンは短命に終わることになるが、服の生地を自社生産せず、チャンピオンのウェアの上にシルクスクリーンを使ってブランド名やスローガン、時にはカラヴァッジョの絵画など独自のデザインをプリントしていた。
だが、ラルフローレン・ラグビーのフランネルシャツの上にロゴをスクリーンプリントし、元のシャツの数倍の価格で売り始めると、盗作行為であるとか、やりたい放題も甚だしいと、方々から激しい非難を浴た。その後パイレックス・ビジョンを閉鎖した彼は、そこで得た知名度を活かすため、後に彼の代名詞となる新ブランド、オフホワイトを立ち上げた。
この件に関してアブローは、騒動を起こすこと自体が目的だったと主張している。その後、カルチャーメディアのコンプレックスに掲載されたパイレックス・ビジョンの批判記事の一部をプリントしたラグマットを作り、長年オフホワイトの店舗にこれ見よがしに置いていた(このラグマットは現在巡回中の回顧展でも展示されている)。
パイレックス・ビジョンとラルフローレンの騒動は、アブローがその後のキャリアを通して繰り返し唱えていたデザインに関する持論、「3パーセントルール」の源になった。それは、ある製品をもとに独自のデザインを作るには、たった3パーセント変更するだけで十分というものだ。アブローは、この考え方をDJの方法論である収集と編集の精神と結びつけ、19年に行われた『ニューヨーカー』誌のインタビューでこう言っている。「ジェームス・ブラウンの曲を切り刻んで新しい曲を作る、ヒップホップのサンプリングみたいなものだよ」
では、ラルフ・ローレン本人の反応はどうだったのか。18年にウォール・ストリート・ジャーナル・マガジンが主催したイベント会場で撮影された写真を見ると、ローレンはアブローと並んで2ショットに収まっていたり、仲良く立ち話をしたりしている。その様子から推察するに、どうやらそれほど腹を立ててはいなかったようだ。
3. 村上隆
アブローと村上隆のコラボレーションは、今回リストアップした中で最も長く続いたものの1つかもしれない。彼らが初めて一緒に仕事をしたのは、カニエのアルバム「Graduation」のジャケットデザインを村上が手掛けた2007年。だが、この2人のアーティストが自分名義のプロジェクトで正式にコラボレーションをしたのは、その10年後だった。17年にシカゴ現代美術館で開催された村上の回顧展にアブローが立ち寄った際に、2人展をやらないかとの話が持ち上がったのだ。当時、同美術館のキュレーター、マイケル・ダーリンはアブローの回顧展「Figures of Speech」の企画を練っていた。一方、村上も2003年にファッションシーンに華々しいデビューを飾っている。そのとき村上がパートナーシップを結んだブランドこそ、2人展のアイデアが出たすぐ後にアブローをメンズウェア部門のトップに任命したルイ・ヴィトンだった。
2018年に村上がアブローに声をかけ、2人はビバリーヒルズのガゴシアンで開催された1回限りの展覧会「America Too(アメリカ・トゥー)」のためにいくつもの大規模作品を共同制作している。この2人展で特に印象的だったのは、村上の漫画的でカラフルなスタイルとアブローの鋭い社会批判を融合させた作品だ。たとえば、それぞれのお馴染みのモチーフ(村上のネズミのようなDOB君やオフホワイトの交差する矢印)を星条旗に重ねたもの、「フラワー」「パワー」と書かれた2連の絵画、村上の虹色の花のモチーフとオフホワイトのロゴを組み合わせた、道路沿いの広告のような自立型のネオン作品などだ。
この2人は、両者ともカルト的な人気があり、自己言及的なユーモアの持ち主だが、それ以外には共通点はあまりない。村上の作品は賑やかでマキシマリスト的(*1)であるのに対し、アブローの作品はより建築的で皮肉めいている。しかし、アブローは村上から大きな影響を受けたと折に触れて語っていた。18年には、ウェブメディアのカルチャードによるインタビューで「タカシと出会った当初から、その仕事の進め方に感銘を受けてきた。彼の仕事はただ創造的なだけじゃない。アイデアを作品として具現化するため、あらゆる側面からそれを突き詰め、高い精度で実行するんだ」と話している。
「America Too」で一緒に仕事をした頃、村上もアブローを絶賛している。その年、村上はARTnewsにこう語った。「彼のおかげで、ファッションシーンに対する自分の認識は大きく広がった。アブローがルイ・ヴィトンで初めてコレクションを発表したランウェイショーは、一見すると過去20年間のハイファッションやストリートファッションに捧げる親しみやすいオマージュだ。しかし、それと同時にファッションの完全な変革を目指す戦略を示すものでもある。かつてのファッションは、見た目や質感、着やすさが重視された。彼はそれをコンセプチュアルなものに変えたんだ」
4. IKEA(イケア)
時代の申し子だったアブローは、ミレニアル世代なら誰もがそうするようにスウェーデンの家具量販店、イケアとのコラボのチャンスに飛びついた。2019年、彼は「初めて家を購入する人」向けに──実際には、初めて一人暮らしをする若者の安アパートをおしゃれに彩るために──アートの香りがする限定コレクションをデザインしている。
たとえば、脚の1本に、まるで水平を保つために挟んだかのようなドアストッパーがついた木製の椅子、文字盤を隠すように「TEMPORARY(一時的)」という文字が影を落とすモノトーンの掛け時計、イケアのレシートを模したラグ、「KEEP OFF(立ち入り禁止)」と書かれたペルシャ風のラグなどがある。「Figure of Speech」展の第1弾では、全アイテムを無造作に積み重ねた彫刻が、「Dorm Room(学生寮の部屋)」というタイトルで展示された。
5. Jacob & Co.(ジェイコブ)
「僕がやっていることはすべて、17歳の自分自身をターゲットにしているんだ」と、アブローはよく言っていた。有名ジュエラーのジェイコブ(JACOB & CO)とコラボした「Office Supplies(オフィス用品)」コレクションは、この考え方を文字通り具現化している。
イリノイ州ロックフォードで育ったアブローがティーンエイジャーの頃、自由に使えるお金はわずかしかなかった。彼の母親はお針子で、父親はペンキ工場のマネージャーだった。しかし、クリエイティブなセンスを持つ両親や、ロックフォードのスケートボードシーン(18年のドキュメンタリー映画『行き止まりの世界に生まれて』で垣間見ることができる)の影響を受けた彼は、少年の頃からストリートウェアの魅力に惹きつけられ、ゼムクリップでネックレスを作ってお気に入りのラッパーたちを真似ていた。
大人になったアブローは、17年にクロムハーツのジュエリーショップで行われるイベントのために、10代の頃に手作りしたアクセサリーを再現すべく、ジェイコブに共同制作を持ちかけた。その3年後に発表されたカスタムメイドのコレクションは、全て18金のゼムクリップで作られたものだ。同コレクションのラインアップには、イヤリングやマネークリップ、ブレスレット、そしてもちろんネックレスもあり、オプションでダイヤモンドをちりばめることができる。
6. Nike(ナイキ)
アブローが関わったコラボ企画で最も有名なのは、オフホワイトとナイキが2017年に初めてタッグを組んだ「The Ten(ザ・テン)」だろう。ナイキが販売してきた歴代のスニーカーの中でも特に人気のある10種類のクラシックシューズをリミックスしたコレクションだ。このシリーズは大ヒットし(特に赤いエアジョーダン1を履いている人は街のいたるところで見かけた)、その後も散発的に復刻版がリリースされている。皮肉をきかせるためのダブルクォーテーションマーク(たとえば“AIR”の文字が書かれたエアフォース1や、“SHOELACES”とプリントされた靴紐など)やジップタイなど、独特のデザイン要素のおかげで、一目でアブローのものだと分かるのもこのコレクションの特徴だ。
オフホワイトとナイキのコラボは、スニーカーヘッズと呼ばれる筋金入りのスニーカーコレクターたちを熱狂させてきた。複数の美術館を巡回している「Figures of Speech」展の警備員によると、制服の一部として履いていたアブローデザインのエアフォース1ローカットを買いたいという来場者から何千ドルもの金額をオファーされたという。だが、アブローとナイキのコラボ製品を手に入れているのは、こうした熱狂的コレクターだけではない。テニス選手のセリーナ・ウィリアムズが、18年の全米オープンで、オフホワイトのロゴ入りスニーカーとシックな黒のチュチュ風ウェアという両ブランドのコラボから生まれたアンサンブルに身を包んでいたのは記憶に新しい。
アブローのナイキとのコラボレーションは、彼の死後も続いている。この夏リリースされたルイ・ヴィトンとナイキのコラボモデルは、アブローが亡くなる前にデザインした最後のスニーカーになった。(翻訳:野澤朋代)
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