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「世の中の展覧会の85%はゴミ。それでも足を運ぶ価値はある」──大物美術評論家のジェリー・サルツ、大いに語る

2018年にピューリッツァー賞を受賞した美術評論家で、アート界の内外に多大な影響力を持つジェリー・サルツが、トークイベントを開催した。多数のファンやアート関係者が詰めかけたイベントで、サルツは何を語ったのか?

2019年3月6日、アーモリーショー2019 VIPプレビューに訪れたジェリー・サルツ。Photo: Gonzalo Marroquin/Patrick McMullan via Getty Images

11月2日の夜、ロウアー・マンハッタンにあるアイリッシュパブ、T・J・バーンズで開かれたイベントは大盛況だった。ペリッチ・コレクションが主催するトーク・シリーズ第9回目の主役は、美術評論界のアンチヒーロー、ジェリー・サルツ。会場には彼の熱烈なファンや、反発を覚えながらもその投稿を追い続けるフォロワーたちが詰めかけた。トークの相手役を務める作家でコラムニストのディーン・キシックの質問に答えながら、サルツは時に席から立ち上がって歩き回ったり、身振り手振りを交えながら大いに語った。

テーブルが壁に寄せられた店内には数十脚の折りたたみ椅子が並べられていたが、VIP席として空けられていた2脚を除いて会場は満席。客席には、オーバーサイズのチェック柄パンツに70年代風のメガネという尖ったファッションの若者もいれば、バスケットボールチームのロゴ入りジャージを着た40代の有名アーティストもいる。ペリッチ・コレクションとシーポート・トーク・シリーズのオーガナイザーを務めるマット・モラヴェックによれば、この夜は過去のどの回よりも参加者が多く、その顔ぶれも多彩だったという。確かに、サルツはありふれた登壇者ではない。

多数のオーディエンスが詰めかけた会場の様子。Photo: Courtesy of ARTnews

今回のトークの「表向きの」テーマとなったのは、1年前に発売された彼の評論集『Art Is Life: Icons and Iconoclasts, Visionaries and Vigilantes, and Flashes of Hope in the Night』。出版から時間が経っての開催となったのは、サルツがあまりに多忙だからだ。彼と同じく有名な美術評論家の妻、ロバータ・スミスとともに、週に30前後の展覧会を見て回り、10代の若者のような勢いでソーシャルメディアに投稿しているのだから、それも不思議ではない。

サルツはルルレモンの服を着て、片手にダンキンドーナツのXLサイズのコーヒーを、もう片方の手にはドーナツの箱をいくつも持って登場した。客席にドーナツの箱が回される間、彼はコーヒーを飲みながらポーズを取ってファンと一緒に写真に収まっていた。

「ジェリー、今日は来てくれてありがとう、そして、12通目のメールに返事をくれてありがとう」

サルツを紹介する前に司会のキシックがそう声をかけると、サルツは肩をすくめてこう返した。

「最初の11通は気づかなかった! 12通目を見た時も、年寄りの私にはクールすぎるイベントだなと思って、登壇するか迷ったんです」

キシックがやんわり嫌味混じりに「DMもずっとスルーしてましたよね」と笑うと、彼は「毎日3万5000通くらいDMが来るんです。ここにいらっしゃる方の中で私から返事がきたという人はいますか?」とオーディエンスに問いかけ、会場から拍手が沸き起こった。

「ほらね。でも、見てはいるんです」

SNSで人気になっているのは自分の分身

1時間以上にわたる対談でサルツは、いかにジャスパー・ジョーンズやベルリンにある庭園を愛しているか、そして、身体から意識が離れる2種類の体験──1つはいわゆる幽体離脱、もう1つはソーシャルメディア上に存在する彼の分身──について語った。サルツはこの分身のせいで、若いフォロワーが行列してまで自分と一緒に自撮りしようとするのだと考えている。

キシックは、「あなたがほかの批評家とは比較にならないほど広く認知されているのは、ソーシャルメディアで活発に発信していることが大きいと思います」と話し、「ジャクソン・ポロックの作品に感じるような素晴らしさを、インスタグラムでも感じることはありますか?」と尋ねた。

「ありますよ。でも困ったことに、私の第2の人格はとんでもなく気が荒いんです。ネットでの振る舞いを見ればわかると思いますが」

そう言って会場を笑わせると、「彼の言動には愕然としますし、私の妻もいつもショックを受けています。でも彼は、私がこれまで美術評論家として達成したよりずっと多くの人にリーチし、コミュニケーションできるんです。ネットでの発信はネズミ講のように人を介して拡散していくので、大勢の人に声を届けることができます。そんなことは美術評論家の私には到底無理です。試してみたことはありますが、うまくいきませんでした」

そしてサルツは、美術評論のみならず展覧会解説やアートディーラーの話し方にもよくある、もったいぶった専門用語だらけの「アート語」のパロディを披露してみせた。

「後期資本主義における商品化されたオブジェは、触覚的な空間に迷い込んでいる。自然と文化の狭間で二律背反の状態に置かれているのだ。とまあ、こんなふうに書いていたんです」

若い頃はこうした文章を書き、それで評価も得たが、成熟するにつれてやめてしまったとサルツは明かす。それは自分の本当の声ではないと感じたからだ。

今、批評は「停止」してしまっている

話題は「目が覚めた瞬間からパニック状態で、今日も書かなきゃならないのかと恐怖を感じる」というようなサルツの日常や、インスタグラムの投稿の仕方にも及んだ。インスタグラムについては、「ひたすらスクロールして、これはという画像を見つけるとスクリーンショットを取って投稿します。そのすべてが気に入っているわけではないけれど、その時の自分にとっては意味があるんです」と説明。さらに今日の芸術批評にも触れ、それが「停止」状態にあると指摘した。

「要するに、今の美術評論はどれもこれもアーティストへの“奉仕”です。そのこと自体に文句は言いませんが、否定的な言葉は排除され、もはや批評と呼べるものではありません。例外は、昨年亡くなった私の友人、ピーター・シェルダール(美術評論家・詩人)くらいです。伝えたいのは、私が否定的なことを書くのは、そのアーティストが格下だとけなすためではありません。シェルダール以外には、私の妻のロバータ・スミスもいます。彼女は今いる批評家の中でも一番優秀で、思った通りのことを書きます。あなた方には興味がないことかもしれないですが、それでいいんです」

サルツはまた、巷には凡庸な作品が溢れていて、「世の中の展覧会の85パーセントはゴミ」だと切り捨てつつ、しかしそれは悪いことではなく昔からそうだった、と続けた。たとえそうでも、展覧会に足を運ぶことは無駄ではない──ブルックリンのグリーンポイントにある地下の小さなギャラリーだろうと、メガギャラリーだろうと、足を運ぶ価値はあると彼は考えている。一方サルツはメガギャラリーについて、ド派手な広告で集客しておきながら中止に終わった詐欺まがいの音楽イベント、ファイア・フェスティバルのようだと揶揄していた。

アートの幅広さを信じ、あらゆるアートを愛する

サルツが「一晩中続けてもいい」と言った質疑応答では、ノー・ギャラリーのケイシー・グレグホーンが手を挙げ、サルツが紙媒体で取り上げるのはジム・キャリーのような有名人ばかりで、新進作家や先端的なアーティストはインスタグラムでしか紹介しないのはなぜなのかと尋ねた。

「あなたの言いたいことはよく分かります。私も、できることならそうしたい。すべて私の責任で、編集者とは関係ありません。でも、残念ながら、それは私の仕事ではないのです」

そう答えた彼は、雑誌でも小ぶりな展覧会の批評を書くことはあるとした上で、こう付け加えた。

「どのみち、72歳の評論家にレビューを書いてもらってどうするんですか。こんな年寄りの言うことを聞くべきじゃありません」

結局のところ、自分はありとあらゆるアートが好きなのだとサルツは言う。出来の良し悪しは関係なく、キワモノと思われるものでも受け入れる。それが彼の姿勢だ。

「私は、ジョージ・W・ブッシュを最悪な人間だと思っていますが、そんな彼について書いたことがあります。なぜかといえば、裸でバスタブに浸かっている自画像を描いた彼に、妙に心を動かされたからです。それに、今度シャロン・ストーンに観客の前でインタビューする機会があるのですが、それは彼女が自分の作風を見つけようと試行錯誤しているのが見て取れるからです。私は、彼女が優れたアーティストだとは言いません。でも、これまでの人生で潜り抜けてきた数々の経験で備わった力を感じます」

そして、サルツはこう言い切った。

「私は、アートの世界はとてつもなく幅広いものだと信じています。狭義のアート界も、それはそれで結構。あなたがそれに満足しているなら、それでいいでしょう。でも、それは私にとってのアートの世界ではないんです」(翻訳:野澤朋代)

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