巨大「ミュージアム都市」から新しい文化経済の「実験室」へ──アブダビで進む静かな地殻変動
政府主導のミュージアム都市として語られてきたアブダビで、いま静かな転換が進んでいる。巨大施設群の完成が続く一方、若手ギャラリストや草の根の文化スペースが台頭し、新しい文化の流れが生まれているのだ。新たな局面を迎えようとしているアブダビのアートシーンを取材した。
長年にわたり、アブダビの文化的台頭は、主としてサディヤット島における制度構築を中心に語られてきた。2017年のルーブル・アブダビ開館を皮切りに、今年はナチュラル・ヒストリー・ミュージアムがオープン、そして、まもなく完成予定のザイード国立博物館に続き、2026年にはグッゲンハイム・アブダビがお披露目となる。これらのプロジェクトは全て、アブダビを「ミュージアム都市」へと変貌させる政府の計画を象徴するものだ。その壮大なスケールから、アーティストやギャラリーの日常的な活動からはかけ離れているとも捉えられてきたが、今、その構図が変わりつつある。
アートフェア「アブダビ・アート(ADA)」の長年のディレクターであるディアラ・ヌセイベは、「ここ数年、アブダビがグローバル金融ハブへと変貌するなかで、UAEには新たなコレクター層が流入しています」と語る。
先週、サディヤット島のアートセンター「マナラト・アル・サディヤット」で開幕したADAは、来年11月からフリーズのフランチャイズへと移行する。この動きは、人によっては循環的に映るかもしれない。というのも、そもそも同フェアは2007年に「アートパリス・アブダビ」として始まったからだ。その後、ADAは拡大を続け、今年は53の新規ギャラリーが参加していた。つまり、フリーズが新たなパートナーシップを発表する以前から同フェアは順調だったわけだが、今後フリーズ傘下となることで、アート市場における積極的プレーヤーとしてのUAEの地位は、より強固なものとなるだろう。ヌセイベはこう説明する。
「多くのギャラリーは、アメリカとヨーロッパでの売上にあまりにも依存しすぎています。湾岸地域は、そうした偏重を解消したいギャラリーが新たな進出先に挙げる筆頭候補になっています」
ADAは意図的に出展者の構成を再調整し、ブルーチップと新興コレクターの長年の隔たりを埋めようとしてきた。今年新設された「Focus」セクターは、グローバル・サウスの特定のアートシーン──今年はナイジェリア、トルコ、南アジア──にスポットライトを当てる。また新しい「Emerge」セクションでは、3000ドル(約47万円)以下の作品を扱うギャラリーに優遇価格のブースを提供し、新たなコレクター層の育成を狙う。
「Emerge」について語る中で、ヌセイベは2017年に「Warehouse421」(アーティストとリサーチに根差した長年の文化拠点)で開催された「ギャラリーズ・ウィーク」を振り返った。同イベントでは、手頃な価格の作品が貨物コンテナに展示されていた。
「音楽やフードスタンドもあるコミュニティのイベントで、若いコレクターを引きつけ、アートフェアへのアクセスを向上するためのアウトリーチの一環でした。こうした取り組みが根付くには、時間がかかります」
ヌセイベは、「Emerge」のような実験が、持続可能な地域市場に必要な「マイクロ経済」を育むことを期待している。

アブダビはもう“ネタ”ではない
アブダビのシーンはすでに、ルーブルをはじめとするサディヤット島の巨大な文化施設群から、より起業家的な新興アート・ベンチャーへと重心が移りつつあるのかもしれない。旧港ミナ・ザイードに位置し、Warehouse421 に隣接する倉庫街を再生した「MiZa」は、創造的インキュベーターとして成長を遂げている。アグリテックのラボの隣にはロボティクスのワークショップが並び、MamarLabやIris Projectsといった地元発の実験的アートスペースも入居する。後者を率いる若きギャラリスト、マリアム・ファラシは、湾岸地域の初期から中堅キャリアのアーティストを積極的に支援している。
重要ギャラリーも、この変化に気づき始めている。メガギャラリーのPaceは今年、フェア初期以来となるADAへの参加を果たした。CEOのマーク・グリムシャーは、「世界がスローダウンするなかで、ここにはエネルギーがあります」と語り、こう続ける。「湾岸地域には、新しいことを試そうとする前向きな空気があります」
Paceが今年以前に最後にADAに出展した2011年以来、湾岸地域の文化的風景は変化している。当時、多くの国際ギャラリーは、まだ形成されていなかった市場への期待から現地に赴いた。しかしいま、グリムシャーもその動きを注視しているように、アブダビ首長国の政府系持株会社、ADQによる10億ドル規模のサザビーズへのマイノリティ出資など、政府系ファンドの動向が勢いを後押しするまでになっている。
政府が主要コミッショナーとなる新設の「リヤド・アートフェア」と比較すると、ADAは異なる立場をとる。会場のマナラトは政府所有だが、コレクター層はアブダビの統治家族を大きく超えて広がっているからだ。大袈裟なジェスチャーが特徴的だったこの都市で、いまは過小評価されてきたアーティストや、生活実感を反映するコレクション形成への関心が高まっている。
「ここに移り住む人が増えるにつれ、自分たちの環境を反映した“家”を求めるようになっています」とヌセイベは語る。
こうした姿勢は、フェアの外側にある文化プレイヤーにも共鳴している。多くのフリーズ関係者が滞在するホテル「ザ・エディション」は、Iris Art Advisory(UAE拠点アート・コンサルティング会社)のジョリーン・フリゼルとともに、過小評価されてきた地元アーティストに光を当てるジンを刊行。さらに、アヤ・アフネによる公演で幕を開けた一年間のパフォーマンス・シリーズも始動している。ゼネラルマネージャーのカトリン・ハーツは、「大金を投じて大物を呼ぶことではありません」と語り、「アブダビはもう“ネタ”ではありません。2年前には停滞していると見られていましたが、いまは“クールな新参者”が集まる場所になっています」と説明する。
デザインもこの再調整の一部だ。デザインフェア「NOMAD」は今年、ポール・アンドリューが設計したザイード国際空港の旧ターミナルというモダニスト建築のランドマークで、初のアブダビ版を開催した。イベントは、ロンドンからドバイへ拡大した文化機関VCA、および、アブダビ文化観光局(DCT)とのパートナーシップで実現した。DCTのカルチュラル・ファウンデーションのディレクター、リーム・ファッダは、「1960年代に遡る文化施設だけでも20以上あります」と話し、「基盤そのものはずっと存在していたのです。ただ、“華”がなかっただけなんです」と続ける。それが現在では、文化遺産サイトの改修やプログラム拡充によって、同市は「地元・海外のどちらにとっても“熟した”状態にあります」と彼女は主張する。
一方で、ローカル市場は、構築され続けるインフラの規模にまだ追いついていない。ADAの最終週末、複数の国際ギャラリストは「売上が予想を下回った」と打ち明けた。好調だったのは、新興作家やローカルの声を扱ったギャラリーだ。アブダビ拠点のRizq Art Initiativeは、新鋭カメリア・モヘビの個展を完売させ、サウジのギャラリー、Athrも、4000〜2万5000ドル(約60万〜390万円)の価格帯で主にサウジ作家による作品を約20点販売した。パリのメンヌールと協働したモハンマド・ファラーのパームツリー・グリッドは特に好評だった。一方、メンヌールが出品したイドリス・カーンやアリシア・クワデの高額作品は、フェア終了時点で未販売のままだった。
Paceを含む複数の出展者は正式なセールスレポートを公開しなかったが、同ギャラリーのスポークスパーソンは、アレクサンダー・カルダーの彫刻2点のほか、ジェームズ・タレル、マリナ・ペレス・シマオ、エミリー・カーメ・ウングワレーの作品が売れたとして、「当ギャラリーの歴史的プログラムから現代作家まで、幅広い関心を集めました」と述べている。
アブダビにとっての本当の試練
フェア以外でも、アブダビの将来像を示すような兆しが見えていた。ムスタファ・サエルが旧・軍将校クラブ&ホテルであるエルス・ホテル(Erth Abu Dhabi)でフェアと協働して開催した展覧会「Mirage」は、洗練された会場では失われがちな熱量を帯びていた。フランスの建築家、ロジェ・タイユベール設計のエルス・ホテルは、建物の曲線を描く屋根が巨大なベドウィン・テント(遊牧民ベドウィンの移動式テント)を想起させ、その内装や中庭に、大胆なモダニティと地域のヘリテージが調和している。この劇的でありながら地に足のついた空間において、Mirageは暫定的であるものの、巨大施設が生み出しえない文化的エネルギーを捉えていた。
こうしたすべての動きが示しているのは、基盤が追いつかないほどの速度で変化するアブダビの文化的景観だ。アブダビはもはや「建設途上のミュージアム都市」ではなく、新しい文化経済の「実験室」へと変貌しつつあるのだ。しかし、同市のインフラと依然として脆弱なコレクター基盤とのギャップは明白だ。エコシステムはなおトップダウンの勢いに強く依存しており、新興スペースは持続的な支援を受ける存在というよりも、象徴的な証拠として扱われるリスクを抱えている。ADAの鈍い売上と、ハイパーローカルな取り組みへの熱意の対比は、この市場がなお足場を探していることの証左と言える。
アブダビは制度設計の能力を証明してきた。だが本当の試練は、話題性が薄れた後も制度を生きたものに保ち続ける「パトロネージュ」と、実験という時間のかかる地味な「文化代謝」を支持し続けられるかどうかなのだ。(翻訳:編集部)
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