忠実さと美を追い求めた執念の軌跡──「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」【EDITOR'S NOTES】

W.ユージン・スミスの写真には、被写体の現実に忠実でありながらも、それを美しく写し出そうとする執念が刻まれている。東京都写真美術館の展覧会は、その軌跡を一望できる構成だ。

「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」の展示風景。撮影:新井孝明

フォトエッセイストのW. ユージン・スミスの作品群を前に、経験を重ねることでその表現が先鋭化していく姿勢に驚かされる。『LIFE』に写真を提供していたキャリア初期から、水俣に滞在し患者や抗議の様子を映し出した作品に至るまでを網羅する東京都写真美術館で開催中の展覧会からは、被写体が直面している現実に忠実でありながらも、それを美しく写し出そうとする異様な執念すら感じるのだ。

例えば、戦場カメラマンとして活動していた時期の作品にも、その態度はすでに現れている。彼は、1943年から太平洋戦線に従軍し、サイパンやグアム、硫黄島などの戦況を記録していた。その後、1945年には沖縄戦線を記録しに向かうが、周囲から「頭を下げろ」と叫ばれても身をかがめるどころか、むしろ前へと乗り出してシャッターを切ったという。その結果、日本軍の砲弾の破片を浴び、完治までにおよそ2年を要する重傷を負った。

戦後、スミスは写真の編集方針をめぐる対立から『LIFE』と距離を置き、その後、写真家集団マグナム・フォトと仕事するようになる。マグナムから依頼されたペンシルベニア州ピッツバーグでの仕事では、3週間を通じて製鋼工場や地元の人々、その暮らしを100枚の写真に収める予定だったが、スミスは前金やグッゲンハイム・フェローシップの助成金を資金に、結果的に3年ものあいだ現地に滞在し、1万1000枚もの写真を撮影した。もっとも、それらの写真の多くは依頼主の意図したかたちでは使われず、のちに展覧会などで部分的に紹介されるにとどまった。

W. ユージン・スミス 《ゴーグルをはめた鉄鋼労働者》〈ピッツバーグ〉より(1955) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©1955, 2026 The Heirs of W. Eugene Smith / Courtesy of Tokyo Photographic Art Museum
W. ユージン・スミス 《ゴーグルをはめた鉄鋼労働者》〈ピッツバーグ〉より(1955) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©1955, 2026 The Heirs of W. Eugene Smith / Courtesy of Tokyo Photographic Art Museum

長期間にわたってひとつの場所にとどまり仕事を重ねてきたスミスは、やがてニューヨーク・マンハッタンに移り住み、商業ビルのロフトで1957年から1965年まで暮らすようになる。そこはスミスの住居であると同時に、写真家やジャズミュージシャンたちが自由に出入りする空間でもあった。スミスはロフトの窓から見える街の風景や、訪ねてくる人々の姿を撮影し続けただけでなく、床や壁、照明などに仕込んだ小型マイクを通じて、会話からジャムセッションまで記録していた。書籍『The Jazz Loft Project』の著者サム・スティーブンソンによれば、当時、ピッツバーグの未完のプロジェクトに打ちのめされたスミスのもとには仕事の依頼がほとんど来なくなっていた。外の世界を記録する仕事を失ったスミスは、その衝動を自分の周囲に向けたのだという。スミス自身は「この建物についての本を作っている」と語っていたが、そのプロジェクトが完成することはなかった。録音はスミスの死後に発掘・編纂され、ロフトでの写真とともに本書にまとめられている。

W. ユージン・スミス 「私の窓から時々見ると…」より (1957-59頃) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©2026 The Heirs of W. Eugene Smith / Tokyo Photographic Art Museum
W. ユージン・スミス 「私の窓から時々見ると…」より (1957-59頃) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©2026 The Heirs of W. Eugene Smith / Tokyo Photographic Art Museum
W. ユージン・スミス 「屋根裏部屋から」より 1(958-65頃) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©2026 The Heirs of W. Eugene Smith / Tokyo Photographic Art Museum
W. ユージン・スミス《無題(ジミー・スティーブンソン)》〈ジャズとフォークのミュージシャンたち〉より (1958-65頃) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©2026 The Heirs of W. Eugene Smith / Tokyo Photographic Art Museum
W. ユージン・スミス 《無題(認定患者の遺影を持つ親族たち) 》「水俣」より (1972) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©Aileen Mioko Smith / Tokyo Photographic Art Museum
W. ユージン・スミス 《無題(水俣湾の漁)》「水俣〉より (1972) 東京都写真美術館蔵 Photo: ©Aileen Mioko Smith / Tokyo Photographic Art Museum
W. ユージン・スミス 《セルフ・ポートレイト》 (1957) Photo: ©1957, 2026 The Heirs of W. Eugene Smith / Courtesy of: Center for Creative Photography, the University of Arizona: W. Eugene Smith Archive

1971年から3年にわたって滞在した水俣では、被写体の現実に迫ろうとするスミスの姿勢が、最も極まった形で現れている。水俣病に苦しむ人々や、抗議を続ける地元の人々のあいだに身を置きながら、スミスはかれらの生活の内部へと入り込み、その現実を記録し続けた。しかし、その渦中に身を置き続けるうちに、スミスは記録者でありながら、水俣で暮らす人々の現実とは無関係ではいられなくなっていく。写真には、被写体と向き合い続けた時間が色濃く刻まれているように思えた。

水俣の人々の生活に長く踏み込み続けたその行為は、どれほど誠実であったとしても、倫理的な緊張を消し去ることはできない。そしてその緊張は、作品の力と不可分でもある。だが同時に、踏み込まなければ撮れなかった写真が、その是非を宙吊りにしたまま、鑑賞者を引き込んでいく。展示室にいるあいだ、倫理への問いは頭の隅に残り続けるものの、写真の前では何度も脇へと押しやられてしまうのだ。ひとつの対象に向かって先鋭化していく人間の軌跡を、初期から晩年まで通して見せられたとき、そうした力が立ち現れるのかもしれない。

余談ではあるが、展示会場へ向かう道すがらには、セロニアス・モンクのライブ・アルバム『The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall』(1959)を聴いていただきたい。ニューヨークのジャズ・クラブで演奏するための許可証が剥奪されたモンクが、市内でライブをするために、自身の楽曲をオーケストラ編成へと組み替えた意欲作だ。なかでも、作曲家ホール・オーヴァートンとスミスのロフトでアレンジした「Little Rootie Tootie」には、モンクの複雑なコード・ボイシングを10人編成で再現することの難しさが演奏に現れていて愛おしい。オーヴァートンとモンクがこの曲をアレンジしている様子もスミスによって録音されており、5月1日から東京都写真美術館で上映されるドキュメンタリー『ジャズ・ロフト』でその一部を垣間見ることができる。

「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」
会期:3月17日(火)〜6月7日(日)
場所:東京都写真美術館 2階展示室(東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)
時間:10:00〜18:00(木金は20:00まで、入場は30分前まで)
休館日:月曜(5月4日を除く)、5月7日

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