アートフェアに押し寄せる変化の波──不満顔の常連たちと、インフルエンサーがもたらす実利
アートフェアのVIP限定プレビューのチケットは、アートファンにとって垂涎の的だ。プレビューは、選ばれたVIPだけが入場することができ、ゆったりと会場を見て回れてこそ価値を発揮するというもの。しかし今、そこに顕著な変化が起きているという。それはアート界にとって良い変化と言えるのか否か。フリーズ・ロンドンを例に、フェアやギャラリー関係者などに取材した。
大騒ぎになった2022年のフリーズ・ロンドンVIPデー
昨年のフリーズ・ロンドンのVIPデーは、これまでにない顔ぶれでとんでもない大混雑になった。リージェンツ・パークに設けられた会場の外には長い行列ができ、VIPの常連たちが眉を顰める事態を招いた。実際、会場に入るまで何時間も待たされる人が大勢いたため、VIPを「重要な人物(Very Important Person)」ではなく「憤慨した人物(Very Indignant Person)」と揶揄する会話が交わされたほどだ。
世界トップクラスのアートフェアであるフリーズのVIP内覧日に、入場待ちの列ができるのはいつものことだが、2022年の混み具合は想像をはるかに超えるものだった。そんなことがあったからか、2月16日のフリーズ・ロサンゼルス開幕前には、何人もの常連VIPから心配の声が上がっていた。新しく会場になったサンタモニカ空港の外で、西海岸の太陽に焼かれながら何時間も並ばされるのではないか、というのだ。
VIP限定内覧日のチケットは従来、一定のシステムで分配されていた。まず、ブースを出展するギャラリーが、上顧客のコレクター用にVIPパスを主催者に申請する。主催者はギャラリーにチケットを提供し、ギャラリーは顧客にそれを配る。そうした顧客の同伴者やアートアドバイザー、フェアの協賛者、ジャーナリストなども、特別に入場が許される。
しかし、2020年にコロナ対応で時間帯指定のデジタルチケットが導入されたことから、状況が大きく変わり始めた。
コロナ禍で始まったVIPチケット配布方法の変化
アートフェアの運営に詳しい関係者によると、フリーズやアート・バーゼルといった世界的フェアに出展を予定するギャラリストが富裕層コレクターを「ノミネート」し、主催者はデジタルチケットを直接メールで送付するという仕組みが導入された。この方法には、1人のコレクターが、複数のギャラリーから重複してチケットを受け取るムダを防げるという利点もある。
しかし、もう1つ、もっと大きな変化がある。VIPパスの配布対象が、コレクターや従来の常連に限定されなくなったのだ。その結果、VIP内覧日の会場には、インフルエンサーなどが大勢詰めかけるようになった。この現象はフリーズ以外のアートフェアでも見られるが、2022年のフリーズ・ロンドンでは特に顕著だった。
フリーズ関係者の一部は、この変化にはコロナ禍の影響もあると指摘する。匿名を条件にUS版ARTnewsの取材に応じた有力な関係者によると、2021年にリアルのフェアが再開して以来、内覧日の招待状に出席の返事を出した中で、実際に来場する人の割合が目立って少なくなっているという。コロナ禍前は来場者数がある程度読めたが、今はどのくらいの人数になるか予測が難しいのだ。
また別のフリーズ関係者は、2022年のフリーズ・ロンドンでは「来場者数が予想を大きく超えた」とし、こう続けた。「ちょうどいい人数にするのには、とても微妙なバランスが必要です。出席の回答があったとしても、必ず来てくれるとは限りませんから」
インフルエンサー増加はエンタメ企業の意図?
水面下での変化も影響しているという見方もある。エンターテインメント業界大手のエンデヴァーが、2016年にフリーズの親会社であるデンマーク・ストリート・リミテッドの株式の過半数を取得したが、それ以来、VIP内覧日にコレクター以外の来場者が激増したというのだ。
やはり匿名を条件に取材に答えた著名アートアドバイザーは、エンデヴァーがエンターテインメント企業であることから、フリーズでソーシャルメディアのインフルエンサーたちを優先するようになったのではないかと推測する。
このアートアドバイザーは、「アートフェアの会場に入るというより、お目当てのスニーカーの販売開始を待っているようでした」と語る。「ある顧客は、入場前に帰ってしまいました。『もう二度とアートフェアなんかに連れてこないでくれ』と言って。VIP列は見知らぬ人ばかりで最後尾がどこかもわからない、まさに前代未聞の状態だったんです」
フリーズの広報担当者によれば、騒動があまりに大きくなったため、フリーズはVIP内覧日の来場者数に関する問い合わせに正式な回答を出さざるを得なくなった。発表された内容は、「今年もVIP入場の方法に変更はありませんでしたが、フリーズに寄せられる関心に大きな高まりが見られました。コロナ禍が始まって以来、参加を控えていた方々がその中心です」というものだ。フリーズは、2022年の入場者数の状況をきちんと把握したうえで「2023年には必要な調整を行う」としている。
ひょっとしたら、かつてはふつうに見られた混雑に、感覚が戻っていない人が多いだけなのかもしれない。フリーズによると、フリーズ・ロンドンと同時開催されたフリーズ・マスターズの入場者数は6万人強で、特に記録破りという数字ではない。ただし、VIP内覧日の入場者数については非公表であるとして回答を避けた。
コレクターがインフルエンサー優先策の犠牲に?
一方、コレクターの間では、ソーシャルメディアでの存在感を高めてくれそうな人たちにVIPチケットが売られたり渡されたりして、コレクターがその犠牲になったといううわさが今もささやかれている。しかし、あるフリーズ関係者はこれを「まったくもって不正確」だと一蹴し、VIPチケットの配布方法は例年と変わらないと述べた。
フリーズ・ロンドンの開催時にアート業界の有料ニュースレターCanvasは、VIP内覧日が「ありえないほど混雑した」のは、2021年に開始されたフリーズの会員制プログラム、Frieze 91の影響もあると分析していた。イーロン・マスクが導入したTwitter Blueのように、Frieze 91では会費さえ出せば誰でも会員になれ、会員レベルに応じてフリーズのアートフェアの1つ、あるいは全フェアのVIPチケットを獲得できる。「文字通り、誰でもお金を払えばフリーズのVIPになる道が開かれた」とCanvasは報じている。
コレクターのアラン・セルヴェもこの見方に同意する1人で、US版ARTnewsに対し、「フリーズの問題は、アートがイベント開催の口実に過ぎなくなっていること。そのイベントとは、エンターテイメント企業のエンデヴァーが得意とする単なる派手な体験でしかないことにある。フリーズの主要な顧客はギャラリーで、フリーズに求められる役割は、ギャラリーが有望なコレクターを獲得できるようにすることだ。この新しいやり方には、大きな問題がある。つまり、アートフェアで最も重要な開場直後の数時間に、コレクターの一部が会場に入れないままになってしまう危険性があるのだ」
アートフェアから「カルチャーイベント」へ
さまざまな不満が聞かれる中で、2022年のフリーズ・ロンドンは満足できるものだったとするギャラリーもある。こうしたギャラリーの意見では、VIP内覧日の混雑ぶりは、数年前から徐々に起こりつつある文化の変化を象徴しているという。その変化とは、音楽やファッションなどのクリエイティブ産業がアートに注目するようになり、アートフェアが「アート市場の一部」からより広義の「文化的イベント」として位置付けられるようになったことだ。
昨年のフリーズ・ロンドンに出展した欧州のアートディーラーは、匿名を条件にこう語った。「誰もが、あの事態はすべての参加ギャラリーにとって大惨事で、全員が損をするだろうと思っていました。ところが、不思議なことに結果はその逆で、利益も出たし、新しい顧客を獲得することもできました」
このディーラーは、さらにこう続けた。「明らかにこれまでの来場者とは異なる人たち多く参加していました。特にオープニングではそれが顕著でしたが、売れ行きの面では、フリーズとしては近年まれに見る盛況だったんです。実際に主催者が何をしているかは別として、ポジティブな変化だと感じました」(翻訳:清水玲奈)
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