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ホイットニー美術館を成功に導いたアダム・ワインバーグ館長が退任へ。来館者数は3倍、寄付金額は10倍に

2003年から20年の長きにわたりニューヨークホイットニー美術館館長を務めてきたアダム・ワインバーグの退任が、3月8日に発表された。同美術館の存在感を格段に高めたワインバーグの功績や在任中の事件を振り返る。

アダム・D・ワインバーグ(左)とスコット・ロスコフ。Photo: Photo Scott Rudd (left), Michael Paras Photography (right)

美術館移転の大事業を指揮したワインバーグ

ホイットニー美術館の声明によると、アダム・ワインバーグ館長は10月31日の契約満了をもって同美術館を退職。後任には、現上級副館長兼チーフ・キュレーターのスコット・ロスコフが選出された。なお、ワインバーグは同館の名誉館長に就くが、それ以外の計画については触れられていない。

ワインバーグは声明で次のように述べている。「長年にわたってホイットニーを率いてこられたこと、非常に熱心で献身的な評議員や、使命感に溢れた優秀なスタッフ、そして刺激的かつ情熱的なアーティストたちと力を合わせながら、ニューヨークの人々、そして現代アートやアイデアの世界に貢献できたことは、私の人生において最大の喜びであり、栄誉に感じています。カルチャー分野で新しい機会に挑戦するため館長を退きますが、皆さんもご承知のように、私の心は常にホイットニーとともにあります」

ワインバーグは、1989年にマンハッタンのミッドタウンにある超高層ビル、エクイタブル・センター内のホイットニー美術館分室のディレクターに就任。以来、パリのアメリカン・センターとマサチューセッツ州アンドーバーのアディソン美術館のディレクターを務めた短い期間を除けば、ずっとホイットニーで働いてきた。

現在のホイットニー美術館。 Photo: Whitney Museum of American Art

2015年にホイットニー美術館は、長年居を構えていたマルセル・ブロイヤー設計のマディソン・アベニューの建物から、現在のミートパッキング・ディストリクト(ウェスト・ヴィレッジ)の建物に移転したが、その指揮を取ったのもワインバーグだ。

4億2200万ドル(当時の為替レートで約500億円)を投じたとされるレンゾ・ピアノ設計の新館は多くの称賛を集め、ニューヨーク・タイムズ紙で建築評論を担当するマイケル・キメルマンは「この建物にはおおらかさがある。アートが都市とつながり、都市がアートとつながるような感覚だ」と評した。

ワインバーグが美術館の理事会から館長に選ばれたとき、彼に託された最も重要な仕事の1つがこの新館の完成だっただろう。もともとは、建築家レム・コールハースの指揮のもと、ブロイヤー設計のマディソン・アベニューの建物を2億ドル(当時の為替レートで約240億円)かけて拡張する計画を前館長のマクスウェル・アンダーソンが立てていた。しかし、理事会がこれを退けたため、アンダーソンは2003年に館長を辞任している

新しい施策で入場者数、寄付金ともに大幅増

リニューアルオープン後にワインバーグが打ち出したプログラムも、ホイットニー美術館に新しい息吹を吹き込んだと高く評価された。2015年以降、同美術館は没入型ビデオインスタレーション、2017年のハリケーン・マリアで大きな被害を受けたプエルトリコの美術の紹介、具象絵画など、重要な展覧会をいくつも開催している。

近年は美術館の近くにデイヴィッド・ハモンズの常設インスタレーションを公開。また、ロイ・リキテンシュタインのアトリエを改装し、インディペンデント・スタディ・プログラム(アーティストの助成やキュレーター・批評家の養成などを行う教育プログラム)の常設施設として使用する予定だ。

ワインバーグのキャリアの中で、最も物議を醸した出来事が起きたのは2018年。美術館理事会のウォーレン・カンダース副会長が、メキシコとの国境沿いでアメリカ側に入ろうとする人々に向けて発射された催涙弾を製造する会社を所有していることが明らかになったのだ。その後9カ月間、美術館のロビーでは定期的に抗議デモが行われ、ホイットニー・ビエンナーレの参加者からも撤退を検討するとの声が上がった。こうした騒動を受けて、カンダースは辞職している。

また、ワインバーグによる運営のもとで美術館職員が組合を結成。3月7日に経営陣と初の契約を交わした。

さらに、ホイットニー美術館の発表によると、ワインバーグの在任中に同美術館の入場者数は、年間40万人から120万人へと3倍に増加(コロナ禍前の時点)。寄付金も4000万ドルから4億ドルへ10倍になったという。

在任中にホイットニー・ビエンナーレで起きた抗議や論争

2003年から2023年までのワインバーグの在任中、ホイットニーでは約300の展覧会と9回のビエンナーレが開催された。その中にはスキャンダルを引き起こしたものもある。中でも、昔から世間を騒がせることの多いイベントとして定評のあるホイットニー・ビエンナーレでは何度か問題が起きた。

たとえば、スチュアート・コマー、ミシェル・グラブナー、アンソニー・エルムズがキュレーションを担当した2014年のビエンナーレでは、架空の黒人女性アーティスト、ドネル・ウールフォードが描いたとする絵画の連作を白人アーティストのジョー・スキャンランが発表。これに抗議して、アーティスト・コレクティブ「HowDoYouSayYaminAfrican?(ハウ ドゥ ユー セイ ヤム イン アフリカン)」がビエンナーレから撤退している。

当時、コレクティブのメンバー、モーリーン・キャットバガンはアート系ウェブメディアのHyperallergicで次のように語っている。「アカデミズムの中で地位を確立した白人男性が、特権的なアフリカ系アメリカ人女性を装って作品を発表するのは問題だと感じた。アバターの神秘性で煙に巻こうとしているが、間違っていることに変わりはない。それはある意味、そこにいる私たちの存在、アフリカン・ディアスポラ(*1)を代表する集団としての私たちのアイデンティティを否定するものだ」


*1 アフリカ大陸からアメリカなど世界各地へ移住した・させられた人々の末裔。

続く2017年のビエンナーレでも、ダナ・シュッツの絵画をめぐって激しい論争が起きた。《Open Casket》と題されたこの作品は、1955年に顔や体が変形するほどひどいリンチを受けて殺されたミシシッピ州の黒人少年、エメット・ティルを描いたものだ(casketは棺桶の意)。エメットの母親のメイミー・ティルは、アフリカ系アメリカ人が長い間向き合ってきた状況を世に知らしめるため、葬儀の際に棺の蓋を開けて息子の遺体が見えるようにした。その写真はJet(*2)をはじめ、さまざまなメディアで広く取り上げられた。


*2 1951年に創刊されたアフリカ系アメリカ人向けの雑誌で、公民権運動などを大きく報じた。
2017年のホイットニー・ビエンナーレでダナ・シュッツの作品に抗議するパーカー・ブライト。

しかし、ハンナ・ブラックやパーカー・ブライトなどのアーティストたちが、白人のアーティストであるシュッツがエメットの遺体を描いたことを問題視。ブラックは公開書簡で、この絵を展覧会から外して破壊するよう求め、ブライトは大文字で「BLACK DEATH SPECTACLE(見せ物にされる黒人の死)」と背中に書かれたグレーのTシャツを着て、シュッツの作品の前で抗議のパフォーマンスを行った。

これに対し、2017年のビエンナーレのキュレーター、クリストファー・Y・ルーとミア・ロックスは、シュッツの作品は継続して展示しつつ、詩人のクローディア・ランキンが企画した「Perspectives on Race and Representation(人種と表現に関する視点)」というイベントをプログラムに追加することを発表した。

キュレーターの拡充を行った後任のスコット・ロスコフ

次期館長のロスコフは、アートフォーラム誌のシニア・エディターや、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード美術館のキュレーターを務めたのち、2009年にキュレーターとしてホイットニー美術館に入った。グレン・ライゴン、ウェイド・ガイトン、ジェフ・クーンズ、メアリー・ハイルマン、ローラ・オーエンズなど、今最も注目を浴びているアーティストたちの展覧会を手がけ、瞬く間に名声を得ている。彼はまた、2015年の移転後初の展覧会「America Is Hard to See」を企画したキュレーターチームの一員でもある。

同年にロスコフは、長年ホイットニーのキュレーターたちを率いてきたドナ・デ・サルボの後任としてチーフ・キュレーターに昇格。2018年からは上級副館長も兼務し、ルジェコ・ホックリー(ハーレム・スタジオ美術館、ブルックリン美術館などで経験を積んだ若手)、マルセラ・ゲレロ(ラテン系アートの専門家)、エイドリアン・エドワーズ(前職はミネアポリスのウォーカー・アート・センターのキュレーター)といった幅広い人材を採用し、同美術館のキュレーターチームを拡充した。

ロスコフは声明で次のように述べている。「ホイットニー美術館のすばらしいチームに加わって以来、私はこの美術館とそれを象徴する価値、すなわちアーティストに対する深いコミットメント、変化を恐れない勇気、来場者と地域コミュニティへの深い配慮、そして温かく包摂的な精神を念頭に、仕事に打ち込んできました。新たな幕開けに向けた準備は整っています。これまで以上に活気があり、時代のニーズに合った美術館を作っていきます」(翻訳:野澤朋代)

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