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  • 2023.04.01

騙されてはいけない──画像生成AI展に見る「不気味の谷」と、本物をめぐる問い

ブラッド・ピット主演の『マネーボール』(2011年)や伝記映画『カポーティ』(2005)などで知られる映画監督、ベネット・ミラーが画像生成AIで制作した作品の展覧会がニューヨークで開かれている。US版ARTnewsの記者が、題名のないこの展覧会をリポートする。

ベネット・ミラー《Untitled》(2022-23)、AIが生成した画像のピグメントプリント Photo: ©Bennett Miller Courtesy the artist and Gagosian

メガギャラリーのガゴシアンが開催した画像生成AIの展覧会

ChatGPTやBingのAIチャット機能など、この1年ほどの間に登場したテキスト生成AIやチャットボットは、創造性が人間などの生物に特有のものだという既成概念を打ち砕いた。このテクノロジーの進化には、仕事や教育を劇的に変えてしまうほどのインパクトがある。

一方、視覚表現の分野でも、これと同等のテクノロジーが存在する。DALL-E(ダリ)やMidjourney(ミッドジャーニー)などの画像生成AIだ。とはいえアート界にはまだ、それに対する危機感は大きくない。

その理由として、AIが作ったものを見る機会が少ないということが挙げられる。しかし、そんな状況も変わりつつある。DALL-Eで制作した作品の展覧会が、3大メガギャラリーの1つであるガゴシアンで始まったのだ(4月22日まで)。DALL-Eはほかの画像生成AIと同様に、ユーザーが入力した簡単な文章を数秒で画像に変換してくれるツール。さて、私は会場で「不気味の谷(*1)」に遭遇するのだろうか?(答えはイエスに決まっている)。


*1 人型ロボットなどが人間に近づいていくと、あるところで急に違和感や嫌悪感を抱くようになる心理。

『フォックスキャッチャー』(2014)や『カポーティ』(2005)でアカデミー賞にノミネートされた映画監督、ベネット・ミラーが手がけたこの展覧会にはタイトルがなく、展示作品も全て無題だ。ここ数年、AIについてのドキュメンタリーを制作しているミラーは、ChatGPTやDALL-Eを開発したOpenAIのCEO、サム・アルトマンにもインタビューしており、その縁で一般公開のはるか前にDALL-Eのベータ版を使用していたという。

DALL-Eが生成する画像は、指がねじれていたり、細部がぼやけているなど、明らかにおかしい部分があるものから、恐ろしいほど的確にユーザーの意図を反映したものまで玉石混淆だ。だが、完璧ではないにせよ、妙にサイケデリックな模様だからといってAI画像だと見分けられる時代ではなくなった。ミラーの展覧会のオープニングレセプションに来ていた人々が、口々に「リアル」と言っていたのも頷けるレベルだ。

ベネット・ミラー《Untitled》(2022-23)、AIが生成した画像のピグメントプリント Photo: Robert McKeever

リアルだが実在しないAIの画像は「創造行為」によるものか?

セピア色の紙に、暗く濡れたような光沢のあるインクで印刷された大ぶりの作品には、髪を風になびかせ、こちらをじっと見つめる女の子が描かれている。画像の色合いといい、リネン素材らしき簡素な服装といい、まるでヴィクトリア朝の時代に撮影された写真のように見える。だが、これは全て作り物だ。ある女性はこの作品を指差して、「リアルじゃないのよ」と友人に話しかけていた。そう、リネンの服は実在しなかったのだ。

しかし、だから何だと言うのだろう。私たちはすでにリアルではないものに溢れた時代に生きている。今さらそうではないふりをしてみせるのは、わざとらしくはないか。それに、アートはいつから「リアル」な何かを表現するために現実世界の参照物を必要とするようになったのだろうか。一体いつから「本物らしさ」が指標とされるようになったのか?

確かにミラーの作品の多くは写真のように見えるが、そのほとんどは写真的な特徴に当てはめたものだ。ピントを大きく外したようにぼけていたり、粒子が荒かったりするものの、そこにどのような対象物や風景があるのか、おおよその見当はつく。中には、過去に起きた重要な出来事や、歴史的瞬間を捉えたように見える画像もある。

アメリカ先住民のような人物が横を向いて腕を伸ばしている画像があるが、その腕は実は翼なのかもしれないし、伝統的な装束なのかもしれない。もう1つの画像には何かが爆発した後のようなキノコ雲が描かれているが、現実にはあり得ないような平らな形をしている。汽車のようで、そうではない機械の画像もある。女性が両手で抱えている何だかよく分からない平らな円盤の美しいまでのシンプルさは、無を表しているようだ。

会場で、辛口作家のフラン・レボウィッツらしき人を見かけた。さばさばとした雰囲気、広がったボブヘア、大きめのコート。べっ甲の眼鏡をかけつつ、ポケットにもう1つ眼鏡を忍ばせ、足元はローファーだ。近づくと、やはり本人だった。

レボウィッツが読んでいた展覧会の解説文は、作家のベンジャミン・ラバトゥが、DALL-Eと同じくOpenAIが開発したChatGPTを使って生成したものだ。レボウィッツもミラーのドキュメンタリーのためにインタビューを受けたそうだが、理由は不明だという。彼女は、この展覧会そのものや、それを生み出したものが何を意味するのかよく分からない、と何度も私に詫びながら、何とか説明しようとしてくれた。

「これは本物の写真じゃない。では、本物の写真とは何なのか?」と彼女は切り出した。「デジタルではなく、フィルムに記録されたものだけが本物の写真? 私の友人のピーター・ヒュージャー(写真家、1987年没)なら、そう言うかもしれない」

果たしてどこで線引きすべきなのだろうか。写真作品とはカメラによって記録されたものではなく、写真家によって創造されたものだという考えは広く受け入れられている。であれば、同じ目的のために人間が考案した後継技術は、なぜ同じように、つまり純粋な人間の創造行為として受け止められないのだろうか?

私はレボウィッツに質問してみた。

「何かを作ろうとする、その試み自体に価値があるとは言えないでしょうか」

この漠然とした問いに、彼女は「もちろん」と答えた。どうしてこんな基本的なことを話しているのかとも思ったが、何と言えばいいのか分からなかった。

AI生成画像には「騙されない」という心理

リアルさに関する懸念は、2つの問題に由来している。1つはそもそも、この画像はどこから来たのかというもの。そしてもう1つは、ミラーの行為は「本物の」創造だと言えるのか、というものだ。この2つは、1つの問題に集約できる。これらの作品の制作に関わった、もう一方の主体であるAIをどう捉えるかという問題だ。ミラーの主導でキュレーションされたこれらの画像は、どんな「衝動」によって生み出されたのだろうか?

こうした新手のツールが、画像「創造」AIではなく、画像「生成」AIと呼ばれているのは意味深だ。

「生成」は、その過程がベールに包まれた状態で何かを存在せしめることを指す。生成の源にある受胎という現象は、意識されることなく身体の中で密かに進行するが、AIはこうした自然現象に似ている。それ自体は意思を持たないのに何かを存在せしめ、何事にも無関心だが大きな力を有する──それがAIというものなのではないか。私にはそうとしか解釈できない。

しかし、この比喩は正しくない(「擬人化:anthropomorphizing」と同じように、「擬自然化:naturmorphizing」という造語が必要かもしれない)。私は自分のPCがどのような仕組みで動作しているのか分からないが、メカニズムを理解できないのは同じなのに、ほかの先進技術の延長線上でAIを捉えられないのはなぜなのだろうか?

ベネット・ミラー《Untitled》(2022-23)、AIが生成した画像のピグメントプリント Photo: Robert McKeever

実は、展覧会を見に来ていた人の多くが好奇心に溢れ、楽しそうにしていたので驚いた。私は、終始警戒心を拭えずにいたからだ。古い写真のようなものから木炭画のようなものまで、それぞれの画像を注意深く眺めては、コンピュータで作られた形跡を探していた。「騙されないぞ」と思いながら。

そうは言いつつ、単純に絵柄として見るとどれも好みの作品だ。昔持っていた絵本を思い出させてくれたし、古めかしくて風変わりなものが好きな私向きだった。その気持ちにどれほどの意味があるかは分からないが。

実際、これまでに見てきた多くのAI画像も、今回の作品と同じように幻想的な別世界を描いている。このことは、AIで画像を生成するユーザーの心をよく反映している。人には、現実離れした不思議で魔術的なものを見たいという他愛のない衝動がある。しかし、幻想的な別世界を求めるこの気持ちは、フェイクに惹かれるいたずら心と、どれほど緊密に、そして悪質な形で結びついているのだろうか。

今やほとんどの人が、ドナルド・トランプが逮捕される場面を描いたAI画像を見たことがあるのではないか。とはいえ、私たちはすぐに現実に引き戻される。いずれ、これも当たり前だと感じられる日が来るのかもしれないが、今はまだ騙されそうな、落ち着かない気分にさせられるのだ。(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

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