Orque d’or(オルクドール)サロンTOKYO ~東海東京証券の生き残り戦略
アートをビジネスに生かす——「お題目」としては理解できるものの、実際に生かせるのか? 海外では成功できたとしても、日本でも通用するのか? そんなふうに懐疑的なビジネスパーソンも多いに違いない。だが、現実的に、富裕層ビジネスで、顧客獲得や他社との差別化にアートが奏功している例がある。しかも東京の大手ではなく、地方が拠点の中小証券会社で、である。
都心の最上階、32階のサロン
都心のど真ん中、日本橋高島屋三井ビルディング(東京都中央区)の最上階、32階のサロンに足を踏み入れた途端、目を見張った。約4メートルという高い天井、2面はガラス壁。片方のガラスの向こうには屋上庭園が広がり、もう一方からは都心のビル群が一望できる。思い切り深呼吸をしたくなるほど広々とした空間のそこここに現代アートが点在している。
マリオ・ナヴァロ氏のインスタレーション、注目の陶芸家桑田卓郎氏の作品、バーカウンターとサロンは、真鍮(しんちゅう)製の枠と強化ガラスの間にブランデーを注いだ和田礼治郎氏の作品で仕切られている。三嶋りつ惠氏によるヴェネチアンガラス・ビーズの作品は、透明なカーテンのようで、刻々と移りゆく太陽光を取り込みながら空間を輝かせる。なんてぜいたくな空間なのだろう。東京駅から歩いてもすぐ、地下鉄日本橋駅の真上とは思えない。
2フロア575坪に現代アート29点
だが、ここは美術館ではない。東海東京証券(本社・名古屋市)が富裕層向けブランドとして展開する「Orque d’or(オルクドール)」のサロンTOKYOだ。「アートコレクターの自宅にお招きする」をコンセプトに設計され、2019年春にオープン(サービス開始は18年4月から)。2フロアで約1900平方メートル(575坪)、絵画やインスタレーション、家具など、国内外の作家によるアート作品29点を有する。作品の選定にあたっては、外部のアートアドバイザー「IN CO.,LTD」の力を借りた。
会員はこの優雅なサロンを、中の個室会議室で同社専任コンサルタントと資産の相談をするだけでなく、社交やくつろぎの場として、またネットワーク拡充の場としても活用できる。サロンはこれまで会員に、招待制のコンサートや美術展、顧客によるイベント、ゴルフコンペ、ディナーイベント、ワインや日本酒セミナー、健康情報セミナーなど、さまざまな企画を提供してきた。
このオルクドール戦略が当たった。
生き残り賭けた差別化戦略
名古屋が拠点の東海東京証券は、合併を繰り返し生き残ってきた。もともと東海銀行系の地方証券会社だけに、営業基盤となる名古屋は何代にもわたる名家を優良顧客に抱える。一方、東京地域では7支店あっても知名度が低く、顧客獲得では苦戦を強いられていた。店舗を構えて株価ボードがあって顧客が来店する。もはやそんなスタイルが通用する時代ではない。
このままでは先細りになる——。生き残りを賭けて他社との差別化を図るためにできることはないか。そこで浮上したのがオルクドール戦略だった。
最初にサービスの提供を始めたのは15年11月。まず本社名古屋でスタートした。東京地域を担当する常務執行役員の山内英輔さんは、「これが思いの外、顧客から喜ばれました。サロンで開いたコンサートや美術展が支持されました。ちょうど日本橋高島屋三井ビルディングビルが建つタイミングだったこともあって、『東京でも思い切ってやってみようか』ということになりました」。
「第三極」の武器は現代アート
17年4月からの中期経営計画で、「大手証券、ネット証券とは異なる『第三の極』として独自モデルを目指す」ことを掲げていた同社。第三の極として何を武器にするか。当時の石田建昭会長(現東海東京フィナンシャル・ホールディングス会長)の肝煎りで、現代アートの導入が決まった。
東京の顧客ターゲットを「企業を成長させたいという若手経営者」に設定していたが、期せずしてそこに会員が集中。サロンTOKYOは「現代アートが好きな人が多い」と言われる若手起業家の心をとらえた。
「このゴージャスな広い空間にアートがあるだけで会話のネタになります。また、アートが持つ物語を通して、たまたまここで知り合った顧客同士の話が弾み、親しくなるきっかけになりやすい」と山内さん。
想定上回る顧客・預け入れ資産
会員が知り合いをサロンにあるこだわりのレストランに招き、アート作品を案内すると大抵、新たなメンバーになるという。なにしろ会費は無料。5大シャトーのワインをそろえたこだわりのレストランは、ランチ、ディナーともにリーズナブルな価格帯で利用できる。美術館のようなサロンや会議室、個室の使用料も一切かからない。現在、東京の会員は約1000名。IT長者など若い起業家の間では、今や「上場したらオルクドール会員を目指す」人もいるとか。「会員募集の宣伝はほとんどしていない」にもかかわらず、客が客を連れてくる。さらに言えば、アートが客を連れてくる、というわけだ。
「会員の方そのものがオルクドールの価値を高めてくれます。経営者は経営者の友人が多いですし、経営者同士のコミュニティはいくつも存在していて、アートが好きな方はアートがお好きな方とつながっています」(山内さん)
今や東京は「想定を上回るペースで顧客数、預け入れ資産ともに拡大している」という。現代アートは現実的に、顧客獲得の武器になっているのだ。実際、会員からも、「各部屋にそれぞれ異なるアートを置いてあるところに、感銘を受けました。打ち合わせをする際に、気分が上がります」(50代男性・会社経営者)、「新進気鋭の現代アート作家の方の作品と空間の調和がとれていると思う」(40代男性・会社経営者)など、好意的な意見が寄せられている。
気になるオルクドールの会員資格だが、ある程度の預け入れ資産は必要だ。だが、資産があっても必ずしも会員になれるとは限らない。会社の承認が必要という。そんなところも成功を目指す起業家の心をくすぐるのかもしれない。
長坂真護展に400人、トークショーも
サロンで行われるイベント企画は、オルクドールのコンシェルジュが企画する。現代アートは常設展示のみならず、展覧会も人気だ。例えば、21年9月16~29日に開いた新進作家の長坂真護展。先進国の投棄した廃材を材料にアートを作っている長坂さんの展覧会には約400人が来場した。長坂さんとつながっていた顧客からの提案だった。
展覧会の初日に長坂さんを招き、サロンでトークショーを開催。作家本人が活動の背景や自身の生い立ちなどを語った。絵を購入すれば、そのお金が、ガーナのスラム街で生きる人々のガスマスクや、学校建設の費用になる。この話に共感し、実際に絵を購入した会員も何人かいたという。もっとも、オルクドールは営利目的ではなくサービスのため、会社は販売にかかわらない。あくまで場を提供するのが仕事だが、このイベントは顧客にも長坂さんにも喜ばれたという。
美術展は他に、19年5月にコレクターから作品を借り受けて「フランス近代絵画展」を開催。6日間で400人が来場した。人気の高い「若冲展」を21年1月に開いた際には4日間で約100人を集め、2回目も約240人、9月の3回目も2週間で約400人が訪れた。
コロナ次第ではあるが、今年もさまざまな企画を検討中という。
優良顧客対応に「ちょうどいい」規模感
「オルクドールのコンセプトは『人・空間・おもてなし』です。この空間を利用して、お客様にいろんな意味で満足していただきたい。お客様同士のつながりを重視し、『オルクドールソサエティ』という取り組みも始めました。理想は、我々にご相談していただければ、いろんなことが実現できる、解決できるという組織です。例えば、お子様の学校を探してほしいとか、こういう会社を紹介してほしいとか。それを実現するためには、良質な会員様を増やしていく必要があります。こうしたご相談は本当に信頼されているからこそ、していただけると思っています」(山内さん)
ところで、業界内での「差別化」のために始めたオルクドールだが、他社にまねされる心配はないのだろうか。この点について山内さんは、あまり危惧していないようだ。そもそも、オーナー企業ででもなければ、現代アートへの傾斜といった「とんがった」戦略を選ぶことは難しいだろう。さらに大手ではなく中小だったことが、むしろ有利に働いたという。
「ここまでの(アートに特化した)ものはどこもできないと思います。なぜなら、我々の規模感がちょうどいいからです。お客さまの数が多過ぎると、くつろげる空間をつくるのは難しくなります」
だからこそ、そうした空間を守り続けることは、今後の課題でもある。会員数が増え過ぎてサービスの質が下がることは避けなければならない。
「アートに強い」は営業ツール
オルクドールの営業担当者やコンシェルジュの育成も課題だ。前例がない中、試行錯誤しながら進めていると話す。所有する作品に関する知識はもちろんだが、顧客との対話のために現代アートの勉強会をしたり、アート講座を受けたり。見識を高めるために美術展に行くように勧めた上司もいたと言い、山内さん自身、担当になってから現代アートを購入したそうだ。
「営業担当はお客様の自宅に伺うことも多いので、アートがわかれば話が弾む。たとえ作品や画家がわからなくても、『どなたの絵ですか』と聞くだけでもお客さまが饒舌(じょうぜつ)になってくださる。次に伺う時までに調べて世間話ができればお客様が喜んでくださる。そうやって信頼を築くことで、お客様が本当に困った時に頼りにしていただける。営業ツールとしてアートに強い、ということはすごく大事だと思っています」(山内さん)
かつて証券会社の接待といえば、真っ先にゴルフが浮かんだ。だが、今や現代アートは間違いなく、ビジネスシーンでは欠かせない知識となっている。
(取材・文:坂口さゆり)
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