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  • 2022.04.04

訃報:アジア現代アートの重要コレクター、ブディ・テックが死去

アジアに2つの私立美術館を設立し、2つの国際的な美術館と画期的な提携関係を結び、世界にアジアの現代アートを紹介した大物コレクター、ブディアルジョ・"ブディ"・テックが3月18日に香港で死去した。享年65歳。

ブディ・テック Courtesy Yuz Museumブディ・テック Courtesy Yuz Museum

3月19日に遺族がネットに掲載した訃報によると、テックは6年前から闘病を続けていた膵臓がんのため亡くなったという。テックが上海に設立した余徳耀美術館(ユズ・ミュージアム)の元館長、アショク・アディシームがインスタグラムでこの訃報を投稿している。

逝去を知らせる声明には次のように書かれている。「アジアのトップコレクターの一人であるテック氏は、収集した作品を積極的に公開し、生涯をかけて多くの才能を育てた」

アジアでも並外れた現代アートコレクターだったテックは、中国やアジアのアートに重点を置きつつ欧米の主要作品も収集し、ごく短期間のうちに国際的なコレクターとして知られるようになった。収集を始めたのは2004年。07年に余徳耀財団(ユズ財団)を設立し、14年に上海にユズ・ミュージアムを開館した。12年から17年にかけては、ARTnewsのトップ200 コレクターズに毎年ランクインしている。

大手オークションハウスの一つ、フィリップスのアジア代表であるジョナサン・クロケットは、テックを偲ぶメッセージをインスタグラムに投稿している。「あなたの審美眼、あなたの残したもの、ビジネスの才覚、がんと闘った姿に、私たち皆、尊敬と親しみの念を抱いています」

現在、上海のユズ・ミュージアムでは奈良美智の個展が開催されているが(2022年9月4日まで)、奈良が所属するペース・ギャラリーの社長兼CEOのマーク・グリムシャーは、以下のように述べている。

「ブディは真のパトロンであり、アーティストたちの真の友人でした。彼は、ユズ・ミュージアムを設立し、上海を世界的な芸術の発信地とすることに貢献しています。これは個人の支援と尽力が都市全体に利益をもたらす、21世紀的なモデルと言えるでしょう」

ユズ・ミュージアムは中国だけでなく、海外でも大きな影響力を持つようになっている。2018年に香港で行われたパネルディスカッションで、テックは前例のない計画を発表した。それは、ユズ・ミュージアムがロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)とパートナーシップを結ぶというもの。それから間もなく、ドーハのカタール国立博物館が、この二つの美術館と共同で展示を企画することに合意。テックは、提携関係を結んだ三つの美術館に所蔵品を寄贈しようと計画していた。

現在ユズ・ミュージアムで開かれている奈良美智展も、LACMAとの継続的なパートナーシップの一環だ。これは、両館で行われる展覧会としては初となるもので、LACMAでは2021年4月1日から2022年1月2日に開催された。

「ブディ・テックは、私自身やLACMAに大きなインスピレーションを与えてくれました。彼は東洋と西洋、ロサンゼルスと上海を、現代アートで結ぶよう促してくれたのです」と、LACMAのマイケル・ゴーヴァン館長は声明で述べ、次のように続けている。

「ブディは1990年代の作品を中心に、中国現代アートのトップクラスのコレクションを築いただけではありません。晩年も世界中の若いアーティストの新作を収集し、制作を依頼し続けていました。財団を設立し、上海の西岸に先駆的なユズ・ミュージアムを建設して上海における美術館の発展に寄与し、上海を現代アートの世界的な中心地へと押し上げています。長年、病気と闘いながらも、芸術に対するコミットメントと多くの創造的なアイデアを持ち続けたブディは、私個人にとっても目標となるような大きな存在でした」

ブディアルジョ・テックは、1957年にインドネシアのジャカルタで生まれた。両親が中国人だった彼は、養鶏会社のPTシエラッド・プロデュースTbkを率いるようになる。そのコレクションは1500点を超え、巨大な作品も数多く所蔵。たとえば、アデル・アブデスメッドの《Like Mother, Like Son(この母にしてこの息子あり)》(2008)は、ぐにゃりとした三つの飛行機が絡み合った作品だ。2006年にジャカルタでユズ・ミュージアムをオープンしたテックは、その大規模な分館として上海のユズ・ミュージアムを2014年に開設した。

近年、中国で雨後の筍のように誕生している多くの私立美術館とは違い、テックの美術館の核となるのは世界的にも重要な作品だ。上海のユズ・ミュージアムは、ジャコメッティやウォーホルなどの画期的な展覧会を開催している。また、テックはLACMAのような環太平洋地域の他の美術館と提携することで、自分がこの世を去った後も長く続く運営体制を作ろうとしていた。私立美術館の収蔵品を公立美術館が管理するのは中国では難しいが、国境を超えたパートナーシップによって可能になる。

生前テックはこう語っていた。「ニューヨークには、フリック・コレクション、ホイットニー美術館、グッゲンハイム美術館など、かつては私立美術館だったものが多い。ユズ・ミュージアムも同じように、いつかは公立の施設にしたいと思っている」

カタール国立博物館と提携関係を結ぶ際には、中国政府がイスラム系住民を厳しく取り締まる中で、イスラム教徒が大多数を占める国の施設と協業することにはリスクもあった。テックはそれを承知のうえで、2019年のサウスチャイナ・モーニング・ポスト紙の取材に対し、次のように述べている。「ここでは権威ある文化当局が美術館のプログラムを審査する。我われは当局と良好な関係を結んでおり、公共の利益を損なうのではなく、公共の利益になる展覧会を開催することを目指している」

テックはまた、テート・ブリテン(ロンドン)のアジア・パシフィック・メンバーおよびコレクター・メンバーでもあり、2017年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章オフィシエを授与されている。

近年、病気を患ったテックは永続的なレガシーの構築に取り組んでいた。「3年前に膵臓がんになったが、今も生きている。これからも長く生きていくつもりだが——この世を去る前に、やるべきことをしなければという強い思いがある」と、2019年にアートネット・ニュースの取材に答えている。

さらにテックはこう付け加えた。「私の人生はいずれ終わりを迎える。どんな人の人生も終わりを迎えるのだから。だが、歴史の記録であるアート作品は、私たちよりずっと長く生き続ける。その歴史の番人になることは、私にとって本当に特別なことなのだ」(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月19日に掲載されました。元記事はこちら

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