迎英里子 Eriko Mukai

《アプローチ 6.1》(2020) Photo: Yu Kusanagi《アプローチ 6.1》(2020) Photo: Yu Kusanagi

迎英里子は「アプローチ」と呼ばれるシリーズにおいて、屠畜(とちく)、石油の精製、金利政策、放射性崩壊、婚姻制度といった、実社会や自然界において見えづらい、あるいは全体を把握しづらいような「体系」に肉薄(アプローチ)する。「体系」は、それぞれ固有の人、もの、制度が絡まり合っているのだが、迎はそれらを剥身(むきみ)の唯物論として——触ることができ、重さを持ち、目に見えるものたちの集まりとして——造形化している。ここで興味深いのは、迎の実践が解剖的フェティッシュや「図解」による教育的効果に留まっていない点である。見る者が「鑑賞(アプローチ)」するのは、作品が体現している「体系」それ自体だけではなく、むしろまったく独立した別の体系たちでもあるからだ。作品に動員された素材自体が持つ物理的な性質があり、手順に基づいて行為する黒子(たち)の身体があり、迎自身による原理の解釈がある。肯定されている鑑賞(アプローチ)は思ったより広い。それは細部への注目、目移り、誤解、今起こった出来事の部分的な脳内再生だ。

迎英里子
Eriko Mukai

1990年兵庫県生まれ、秋田県在住。2015年京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。主な展覧会に、20年「ARTS&ROUTES―あわいをたどる旅―」(秋田県立近代美術館)、16年「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」(KAYOKOYUKI・駒込倉庫)、15年「捨象考」(アキバタマビ21)。
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彫刻とは「物質が物質らしくなる瞬間について考えること」だと考えています

自然界の現象から社会制度まで、さまざまな物事の仕組みや成り立ちを自作の装置で表現する迎英里子。我々の日常を構成する世界の一部を鋭く切り取り、その構造を等身大の物質に置き換えて可視化する独自の手法について、作家に話を聞いた。

まず疑問を持つ姿勢「彫刻とは何か」

──迎さんは、どのようなものから影響を受けて、いつごろから現在の制作活動のヴィジョンを持つようになったのでしょうか。京都市立芸術大学では彫刻を専攻していらっしゃいますね。

「小さい頃から絵を描くことが好きで、何かものづくりをしたいなと思っていました。ただ、はっきりと『こうなりたい』というものを持って美大に入ったわけではなかったんです。現代美術というものにきちんと触れたのも大学に入ってからでした。その時々で影響を受けたものはありますが、今の自分を決定づけるきっかけとなるような出来事や、影響を受けた特定の作家や作品は、正直無いんです。

京都市立芸大の彫刻専攻の指導教官が中原浩大さんや金氏徹平さんで、大学では概念のアップデートの話をすることが多かったです。私の場合は大学入学以前になんの知識も先入観もなかった分、『作品とは何か』『なぜこの作品に価値があるのか』といったことを素直に疑問に思えたのだと思います。


《アプローチ 0.1》(2014) Photo:Kai Maetani

彫刻であることを疑う。それを彫刻たらしめているものは何なのかを考える。そしてもし、その作品に面白さを感じなかった場合は、否定するのではなく、では自分は何に関心を寄せているのかということを考える。そうやって疑問を持ち、自ら考える習慣がいつの間にか身に付いていきました」

──では、迎さんにとって彫刻とはどのようなものですか。

「私は、彫刻とは『物質が物質らしくなる瞬間について考えること』だと考えています。そして特定の動作を与えて物質の形態が変わる瞬間に、その物質の物質らしさが最も出てくると思っています。

例えばここにグラスがあるとして、この物質が何なのか、どんなものであるかを一番認識できるのは、グラスが他のものにぶつかって音がしたり、割れたりした時ではないでしょうか。木材も、鋸で切った時に匂いがしたり木屑が出たり、折り曲げようとするとしなったりして、その性質、物質らしさが見えてきます」

──彫刻というと恒久性の高い作品が多いように思いますが、迎さんの作品の可変性はそうした思想に基づいているわけですね。しかし作品上の物質の形態が変わる瞬間に鑑賞者が立ち会おうとする場合、その機会はだいぶ限定されてくるように思います。

「そうですね。私の作品は一定の会期が設けられた展覧会という形式での展示とは相性が良くないと感じます。現在、あいち2022に出品している作品《アプローチ 13.0》も、パフォーマンス──私自身は、動作を起こす『実践』と呼んでいますが──を行うのは会期中の2日間(7月31日、10月9日)です。その日以外は記録映像を併せて展示していますが、必ずしもそれがパフォーマンスの代替になるとも考えてはいません。


《アプローチ 13.0》(2022) Photo:Takuya Matsumi

そもそも、どのような作品であっても、全ての人に対して平等に均質な鑑賞の機会を提供するのは不可能だと思っているんです。会場内の混雑状況、作家の在廊、そうした環境の違いでも鑑賞の体験は異なってくるはずです。また素材の経年変化を考慮すれば、使用する素材や展示・保管の方法がどんどん限定されてきてしまいます。私自身は、半永久的に一定の状態を維持しながら作品を見せるということには、余り興味がないんです」

物事の成り立ちや仕組みを作品によって可視化する

──迎さんの作品が扱う題材は、気象から婚姻制度まで広範囲です。どのような点に興味を持ち、作品の題材を見つけるのでしょうか。

「学部2年生の時、木彫に取り組んでみたものの、自分の制作行為にまったく価値を見いだせずに行き詰まっていた時期がありました。ある時、部屋の片隅に放置されていたカセットデッキを見つけて、暇つぶしに分解してみたんです。特定のボタンを押すとスピーカーから音が流れるデッキの仕組み、つまり原因と結果の間をつないでいる、普段目に見えていないカバーの下の構造が明らかになったことが、私にはとても面白く感じられました。現在の私の制作の原点にあるのは、このカセットデッキの分解と言って良いと思います。

現代の社会においても、新型コロナウィルスが蔓延し、ロシアがウクライナに侵攻し、日々目まぐるしく色んなことが起きていますが、私の場合、知らないことが多すぎて『なぜ今こうした状況が起きているのか』と、日常の様々な場面で疑問がわいてきます。それをきちんと理解するためには、歴史の流れや物事の仕組みを知る必要があるのですが、規模の大小にかかわらず、多くの場合それらは目に見えなかったり、隠されていたりします。

それらを物質に置き換えた時にどのような構造になるだろうか、というのを考えるのが私の作品です。文献に『AからBへ移動する』と一言で説明されていることも、実際にそれを等身大の物質で再現してみると、そこにひとつのダイナミズムがあることが分かります。作品上の演者の動作によって、その構造が機能するのに要するエネルギーや時間を、鑑賞者が感覚的にトレースできるのではないかと考えているんです。

作品名を『アプローチ』という名称で統一しているのは、作品名が内容を説明してしまうことで、作品の鑑賞が既知の情報の確認作業になってしまってはつまらないと考えているからです」

──好奇心や探究心が強くて、迎さんは学者肌ですね。

「もし作家でなければ、研究者を目指していたと思います。今からでも挑戦するのに遅いということはないのかも知れませんが。私は生真面目な性分で、作品もじっくりリサーチして、かっちり作り込むタイプです。フィンランドのレジデンスに参加した時、各国の作家やキュレーターが作品未然のアイディアやプランをパパッと見せて話し合っているのを見て、自分にはそういう器用さがないので、ちょっとうらやましく思いました。

個人的にはフィッシュリ&ヴァイスやジョン・ウッド&ポール・ハリソンなどが好きで、毒がありつつも軽やかな彼らの問題提起の仕方に憧れてもいるんです。以前より思い切りは良くなったと思いますが、それでも慎重な方ですね(笑)」

──初期の作品はご自身で装置を動かしていらっしゃいますが、近年は複数の人が作品に参加しています。

「初めはひとつの装置で表現していたのですが、それだと複数の工程を表現することが難しかったため、次第に装置を増やしていくようになりました。そして人間がそこに動力として加わり装置を操作することで、一連の工程を長いストーリーで見せることが可能になりました。それにつれて人数も次第に増えていって。人間の動作って、ずるいくらい融通が利くんです。


《アプローチ 13.0》(2022) Photo:Takuya Matsumi

ただ、自分がそこに動力として入っているうちに、段々とパフォーマンス的な動きをするようになってきたのを自覚して、自分は抜けることにしました。装置よりも人間の動きが前面に出てきてしまうと、それはもう私の表現したいものではなくなってしまいます。私の作品は、事象を物に置き換える時に要する発想力とエネルギーがあるからこそ成立していると考えています」

地方移住とコロナ禍で見えた日本のアート業界の構造

──日本では特に、迎さんのようなスタイルで作品を制作・発表している作家は余りいないように思います。先例が少ない中で作家活動を展開することについて、不安などはありませんか?

「作品の作り方は違っても、物事との距離の取り方が近いと感じる作家は結構多いです。ドキュメンタリー性を重視するというよりは、少し引いたところから対象に向き合っているという意味で。

コロナ禍で作品の制作や発表の機会が失われ、いま従来の制度の中での作家活動も継続の難しい状態です。今後どのように作家として活動をしていくかという問題は、表現の仕方にかかわらず同世代の多くの作家の共通のものになっていると思います」

──迎さんが作家活動を続けていく上で一番大事にしていることはなんですか。

「無理をしないこと。芸術家は全てを投げ打って、どんなに貧しくても芸術を追い求めるべき、といったような理想像っていまだに根強い気がしているんです。そういうものに、特に最近疑問を抱くようになりました。どれだけ苦労したかが評価され、自身の健康や家族との幸せを犠牲にすることが美徳のように語られるのは、不健全なのではないかなと。

この数年は、私にとって行動が大きく制限された期間でした。秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻の助手の職に就いて京都から秋田に移住し、どこへ行くにも時間と費用がかかるようになりました。さらにコロナ禍を迎え、自身の出産などもあり、移動そのものが制限されました。結果、日本の美術業界の中央集権的な構造を実感することにもなりました。都市部の特定のコミュニティにアクセスできないと取り残されていってしまうような感覚がありました。

それでも、それを不自由ととらえないようにしようと考えたんです。材料の調達など多少不便ではありますが、秋田は文化的に興味深い土地で、リサーチの対象の幅は広がったと思っています。秋田の夏は過ごしやすいですし、雪が積もるので冬の景色は明るくて、のんびり健やかに制作に向き合える環境は気に入っています。現職の任期を終えたら、また別の土地に移住することになると思いますが、その環境を受け容れて、自分のペースで制作を続けていきたいと思っています」

<共通質問>
好きな食べ物は?
「焼肉。2014年に制作した《アプローチ 0/食肉の流通経路》という作品は屠畜を題材にしています。当時私は京都に住んでいたのですが、九条に屠畜場がありました。牛が生きたままそこまで運ばれてきて、屠殺され食品として流通している。それを知った時、当時の私は衝撃を覚えました。牧場にいる牛と、食卓の上の牛肉との間にあるものを知りたかったんです」

影響を受けた本は?
「昔から推理小説と歴史小説が好きでした。やはり物事の構造や流れ、因果関係を解明していくことに興味があるんです。最近もkindleで読んでいます」

行ってみたい国は?
「イギリス。好きな作家に、イギリス出身が多いんです」

好きな色は?
「黄色。明るくて、しんどすぎない色」

座右の銘は?
「座右の銘ではないのですが、大学時代の先生が『食事をしたり読書をしたりするのと同じように、作品を制作するということが特別なことではなく、生活の一部としてあったら良い』というようなことをおっしゃったことがありました。その言葉に今も励まされています」

(聞き手・文:松崎未来)