ネットフリックスで人気のガラス作家、そのコンセプチュアルな制作に迫る
熟練した吹きガラス職人が、工房で溶けたガラスを長い鉄棒の先に集め、ものの数分で冷めてしまうまでに色や形、質感を素早く整えていく様子ほど見る者を魅了するものはない。
2019年にネットフリックスで配信が開始された、ガラス作家が競い合うリアリティ番組「炎のガラス・マイスター」。そこでは、一連のなめらかな動きが何度も中断される。映し出されるのは、避けることのできない失敗で砕ける散るガラス、刻々と迫るタイムリミットなどストレスフルな場面だ。
ARTnewsはこのほど、同番組のシーズン1に出場したアレックス・ローゼンバーグへのインタビューを行った。彼は過去シーズンの出場者の中でも視聴者に人気の高かった5人のうちの一人として、ホリデーシーズン用のミニシリーズに出場している。5人が戦いを繰り広げる「炎のガラス・マイスター:クリスマス編」は2021年11月19日に配信が開始。
2021年に公開されたシーズン2では、ゲスト審査員も務めたローゼンバーグ。彼は作品を通して、現代社会における工芸品の用途や価値について深く実存的な問いを投げかけている。また、番組を離れたところでの彼のアート活動には、ウィットに富んだパフォーマンスや自由奔放なインスタレーションがある。
——昔、(インテリア雑貨の)大型チェーン店の前で手作りの飲み物用グラスを販売するパフォーマンスを行ったと聞きました。とても興味をそそられる話ですが、その噂は本当ですか?
いきなり切り込んできますね! そう、確かにやりました。2007年か2008年のことで、場所はマサチューセッツ州。記録は残していなかったと思います。当時は吹きガラスの技術を習得することに夢中でした。でも、ごく最近まで全然お金になっていません。職人技を極めようと頑張っていたけれど、多くの人の興味を引く作品を作れていなかった。ただ、透明なガラス器を作るのは好きだったし、うまくなりたかった。
だから、「ピア1」や「クレート&バレル」といったインテリア雑貨の店で商品を手に入れては、それの複製を作っていたんです。そのうち、そうした店の前の路上で売るようになりました。チェルシーのギャラリーの外で、さまざまな有名絵画そっくりのミニチュア版を作って売っていたエリック・ドーリンガーに刺激されたのです。
——あなたの場合、偽造という行為が少なくとも価値に関しては逆転していますよね。道端で売られているのは職人が手作りしたもので、店内の商品は大量生産品です。作品は売れましたか?
売れた記憶は一切ありません。いま振り返ってみると、自らを美化していたように感じます。まるで自分の作品の価値は数値化できないとでも言いたげですよね。
——というより、自覚的なのではないでしょうか。今の資本主義における工芸品とは何かという実存的な問いかけのようです。悲しいことに、多くの人は無味乾燥なチェーン店で買うほうを好んだようですね。あなたが手がけた別の作品《2.6 Cents an Hour(時給2.6セント)》(2006)も関連したテーマを扱っているように思えます。
ああ、私のお気に入りの一つです! ガラス作品を売る方法をあれこれ考えるより、いっそのこと貨幣を作ったらどうだろうと思ったんです。そこで、鉛クリスタルガラスを鋳造してコインを作り、金属感を出すため化学的なコーティングをしました。コーティングは非常にデリケートなので、人がコインを扱うごとに少しずつ剥がれ、本来の素材が見えてきます。
5セント玉は公衆電話や自動販売機で実際に使えましたが、他で使うには軽すぎました。このコインが流通し、誰か知らない人が手にするかもしれないと思うとワクワクしましたね。それと同時に、熟練労働の価値の測り方についても考えていたんです。
——偽造というテーマが繰り返し出てきますね。吹きガラスの技術を習得するには、球体のような特定の形を完璧に再現する訓練から始めます。そのプロセスに対して、あなたはよりコンセプチュアルな方法でアプローチしているように思えます。そこでは、真似る行為は技術的な修練を超えた新しい意味を帯びてくる。
うまい表現ですね。美術館や歴史書で工芸の頂点とされる形を真似しながら学ぶわけですが、私は「これを真似るなら、あれも真似ていいんじゃない?」と考えるようになりました。
——《Repertoire》(2011-12)では、あなたが学生に教えるためのお手本として作ったグラスや器が使われています。それらをうまく並べ、正しい角度から照明を当てると、オーバーなほど勢いよく勃起した男性が横たわっているような影が壁に浮かび上がる。摩訶不思議な感じがしますね。
私は新しいスキルやテクニック、素材について学ぶのが大好きで、そうした好奇心から生まれた作品です。新しいメディアとして影を探求してみようと思ったんです。ただ、自分以外の人に並べる方法を伝授できなくて、なかなか発表する機会がありませんでした。
誰か一人にでも作品の組み立て方を教えられれば、別の場所にも設置する方法が見つかるのではと思い、スタジオアシスタントと試してみました。けれど、誰も成功しなかった。この作品は、2012年にヨーロッパの美術館(ベルギーのGlazenHuis)で賞を取ったのですが、本当は美術館が受賞作品を購入するはずだったんです。でも「誰も設置できないので引き取れません」と言われてしまい、代わりに小切手をもらいました。
——単に形を作るだけでなく、ガラスの透け具合や厚さを見ながら厳密に調整して光の効果を生み出しているわけですから、専門家でなければ難しいでしょうね。
その後、私はこの作品を自己解体させようと思い立ちました。ヨーロッパでもう1カ所、デンマークの小さなガラス博物館(Glasmuseet Ebeltoft)で展示したのですが、最終日に来場者にガラス作品を一つずつ持ち帰ってもらい、最後に縦長の影だけが残るようにしました。こういうテクニカルな試みは、大げさでないほうが私にはしっくりきます。ガラス工房でよく見る男っぽさの誇示を揶揄したかったのです。
——あなたが手がけたいくつかのプロジェクトは「完璧な形を作ることはできるけれど、だから何?」と言っているように思えます。表現がきつかったら申し訳ないのですが。ただ、これらのプロジェクトは「炎のガラス・マイスター」で作っていた作品とは雰囲気が違います。そこで気になったのですが、ガラスの世界では、こういう問いかけを受け入れる土壌はあるのでしょうか?
あると思いますよ。逆に言うと、テレビの中のアートが特殊なんです。時間的にも素材的にもかなりの制約がありますから。しかも、ファミリー向けの番組なので、見る人の層もかなり違います。
批評会のところは拍子抜けしましたね。私は(セーラム・コミュニティ・カレッジで)教師をしているので、作品の批評はしょっちゅうしています。でも、撮影中に「これは競争なんだ。自分を擁護しないといけないんだ」と気づきました。私は通常、批評は自分の意図と観客の認識を調整する機会だと捉えています。でも、番組内では学ぶことや成長することよりも、自分がなぜある選択をしたのかを審査員に説明することが重要です。最初はそれに戸惑いました。
とはいえ、ガラス作品の制作は、ある意味では常にパフォーミングアートだと言えます。技術を維持するためには練習が欠かせませんし、アシスタントと一緒に作業することも多く、ダンスのように息が合っていないといけない。一つひとつの作業をガラスが冷えないうちにテキパキと進める必要があります。週に何日かは必ず練習するようにしていますが、音階練習と同じような感覚ですね。また、最近はパフォーマンスの要素が増えてきています。
——最近の仕事について教えてください。
公共の場で仕事をする方法をもっと見つけたいと思っています。2018年から19年にかけて、フィラデルフィアにあるイースタン州立刑務所でプロジェクトを行いました。そこは世界初の刑務所とも言われていて、今は廃墟のようで観光名所になっています。監房で展覧会が開かれることもありますが、国定歴史建造物に指定されているので制限が多く、壁に釘を打つことも、ペンキを塗ることもできません。作品を見せるにはいささか変わった場所です。
そこで気づいたのが、刑務所を取り囲む壁の材質がフィラデルフィア近辺のロッククライマーが登っているのと同じ種類の石(ウィサヒコン片岩)だということ。おそらく受刑者たちはこれを乗り越えていくことを空想していたのではないか。そう思って、さまざまな脱走の記録が残っている日誌など、過去の資料を調べました。
驚いたことに、刑務所の職員たちは私が実際に壁を登るのを許可してくれたんです。当時の受刑者が入手できたと思われる材料で道具を作って、12回登りました。シーツでロープを作る方法など、服役経験がある人に刑務所で学んだ技を教えてもらいました。構造技術者にも協力してもらい、2週間で何度も壁を登りました。
このプロジェクトでは、ガラスは使っていません。私は特定の技術や技法を繰り返し使いますが、一方で常に新しいことを学びたいとも思っています。その後、監房の一つにインスタレーションを設置しました。ガラスケースのなかに、壁を登るための道具やドローイング、刑務所に関するアーカイブ資料などを展示し、最後にプロジェクトを通して学んだ道具の作り方や登り方を収録したアーティストブックを作りました。この場所を攻略するためのクライマーズガイドとして実際に使うことができるんですよ。
(翻訳:野澤朋代)
※本記事は、米国版ARTnewsに2021年10月22日に掲載されました。元記事はこちら。