マティスが「切り絵」を誕生させた伝説の物件が3億6000万円で販売中
現在東京都美術館で、約20年ぶりとなる回顧展(8月20日まで)が開催されている、アンリ・マティス。彼が人生の後半に住み、創作にも大きな影響を与えたフランス・ニースのアパルトマンが、269万ドル(約3億6000万円)で売りに出されている。
マティスは、1938年から約10年間、シミエ地区のアイコン的存在である豪華なホテル、オテル・レジーナで暮らし、制作を続けた。現在はアパルトマンとして使われる部屋は高い天井と繊細な彫刻が施された暖炉が特徴的で、大きな窓からは、地中海沿岸の美しい景色、フレンチ・リヴィエラを望む。コートダジュール・サザビーズ・インターナショナル・リアルティが提供する物件紹介の写真を眺めていると、ブルックリンのコンパクトなアパートが、解放感のないネズミ捕り器のように思えてくるほどだ。
1952年、マティスはニースについて、こう書いている。
「ほとんどの人は、明るい光と絵のような美しい景色に惹かれてここに来ます。私も同じで、1月の色とりどりの光の反射や、風景の明るさは、故郷の北フランスにはないものです」
第1次世界大戦の終わりに差し掛かった1917年頃、マティスはシミエ地区に移住し、様々な部屋を借りた後にオテル・レジーナに定住。新古典主義絵画を追求した。
その後、1922年にモロッコを訪れてからは、オダリスクの伝統に魅了され、ハーレムや風俗嬢(と思われる人々)をエロティックに描いたオリエンタリズム美術に傾倒していった。このシリーズの中でも特に有名なのが、北アフリカから帰国した翌年に描かれた《Odalisque Couchée aux Magnolias》だ。この作品はかつてペギー&デイヴィッド・ロックフェラーが所有しており、2018年にクリスティーズ・ニューヨークで8080万ドル(現在の為替で約112億円)で落札されている。
この部屋は、マティスの最も革新的なアートフォームである「切り絵」誕生の地でもある。彼は晩年に腸の病気を患い、体力が落ちたことで新たな創作法を模索していた。マティスはこの部屋で、グアッシュで色を付けた紙を有機的、幾何学的な形に切り抜き、ダイナミックな構図で支持体に貼り付けていった。時にはアパルトマンの部屋を横断するほどの大作にも挑んだ。
マティスは1954年に亡くなったが、ニースは彼にとって終の地にして最愛の場所だった。最晩年、数ある自宅のひとつであるオテル・ドゥ・ラ・メディテラネについて彼はこう書いている。
「シャッターから差し込む光を覚えているだろうか。それは劇場の照明のように下からやってくる。すべてが偽物で、不条理で、素晴らしくて、美味なるものだった」(翻訳:編集部)
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