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ムンクの《叫び》を盗んだ元プロサッカー選手が死去。「選手としては平凡だが一流の泥棒だった」

オスロ国立美術館からエドヴァルド・ムンクの《叫び》を1994年に盗んだ元プロサッカー選手のパル・エンガーが死去した。度重なる美術品の窃盗や刑務所からの脱獄などを繰り返し、世界的注目を集めた。

ムンクの《叫び》は1994年と2004年に盗み出されている。Photo: Spencer Platt/Getty Images

1994年にエドヴァルド・ムンクの《叫び》をオスロ国立美術館から盗み出したパル・エンガーが、6月29日の夜に57歳で死去した。彼が10代後半の頃に所属していたサッカークラブチーム、ヴォレレンガ・フォトバルの広報担当者がAP通信に語った。死因は明かされていないが、ノルウェーのダグブラデット紙によると、エンガーはオスロで命を引き取ったという。

マフィア映画に熱中していたエンガーが刑務所に服役したのは、ヴォレレンガの選手としてデビューを果たしてから1年後の19歳のとき。その後、1988年にオスロ国立美術館から《叫び》を盗もうとするも展示場所を勘違いして、別の作品《愛と痛み(吸血鬼)》(1985)を盗み出している。

エンガーの生涯に焦点を当てた2023年公開のドキュメンタリー映画《The Man Who Stole the Scream》で彼は、作品の場所を誤ってしまったことを「長らく後悔していた」と語っている。だが、捜査当局から作品を隠すことと、それに伴う危険に「興奮を感じるようになった」とも話しており、同年、ノルウェーで「過去最大級」と呼ばれた宝飾品の窃盗事件を起こした。これにより3年間の服役を経て、エンガーは1991年にサッカーに復帰した。

しかし1994年、リレハンメル冬季オリンピックの開幕日に、エンガーはついにオスロ国立美術館からムンクの《叫び》を盗み出すことに成功。《叫び》は当時5500万ドル(現在の為替で約89億円)の価値があるとされており、世界中のメディアが大々的に報じたが、のちにエンガーが実家の隠し部屋にしまい込んでいたことを自白したことから、作品は無傷で発見された。

こうして逮捕されたエンガーだったが、1999年に服役中だった刑務所から警備の隙を狙って脱獄。逃走中にもニュース取材に応じるなど余裕を見せたが、「夜中にサングラスを着用しており、不審だった」ことから再逮捕された。

エンガーは美術品を盗むだけでなく、自ら制作もしている。服役中だった2007年、彼は獄中で抽象画の制作を開始し、これらは2011年にノルウェーのギャラリーで展示された。

芸術活動と平行しながら彼は、犯罪行為も続けていた。2015年にはオスロのギャラリーから17点の絵画を盗み出したが、犯行現場に自身の財布と身分証明書を落としたことから、またもや逮捕・起訴された。

エンガーの弁護士を過去に勤めたニルス・クリスチャン・ノルドゥは、エンガーを「紳士」と表現しており、ダグブラデット紙に「愛すべき泥棒だった」と語っている(エンガーは生涯独身だったが、4つの異なる国に住む女性との間に4人の子どもがいると過去に話していた)。

ヴォレレンガ・フォトバルの広報担当者はエンガーのサッカー選手としてのポテンシャルを振り返り、「一流のサッカー選手ではなかったが、一流の犯罪者としての道を究めることを選んだ人物」と評している。(翻訳:編集部)

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