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ブルックリン美術館元館長が今、1999年に大激論を呼んだ「センセーション」展を語る

「この絵の何が問題なのか?」1999年9月24日、ニューヨークのデイリー・ニューズ紙は読者にそう問いかけた。問題になったのは、アーモンド形の目と黒い肌を持つマリア像を描いたクリス・オフィリの《The Holy Virgin Mary》(1996)。この絵は、タブロイド紙の一面を飾った数少ない芸術作品の一つかもしれない。

クリス・オフィリの《The Holy Virgin Mary》(1996)は、1999年にブルックリン美術館で開催された展覧会「Sensation」で物議を醸した 写真:AP/アフロ
クリス・オフィリの《The Holy Virgin Mary》(1996)は、1999年にブルックリン美術館で開催された展覧会「Sensation」で物議を醸した 写真:AP/アフロ

聖母の周りを飛ぶ蝶(ちょう)のようなものは、よく見るとポルノ雑誌から切り取った女性の臀部の写真コラージュ。露わになった聖母マリアの乳首は象のフンだ(さらに2つの不格好なフンの塊が作品を支える台座として使われているが、デイリーニュース紙の一面に掲載された画像からはカットされている)。

この絵は問題なのか? そんなことはない、と言わざるを得ない。ニューヨーク近代美術館(MoMA)が2018年にこの絵を購入したとき、キュレーターのアン・テムキンは「同世代の画家のなかでも最高の絵を描くアーティストによる、特に重要な作品」と評している。

だが、1999年にブルックリン美術館で開催された展覧会「Sensation(センセーション)」でこの作品が展示されたとき、保守派の政治家やカトリック団体は、展覧会に参加していた数少ない黒人アーティストの一人であるオフィリと、この絵を展示していた美術館に対して次々と激しい攻撃を加えた。

当時のニューヨーク市長、ルディ・ジュリアーニが《The Holy Virgin Mary》を「病的な代物」と呼んだことはよく知られている。ジョン・オコナー枢機卿は、「宗教そのものへの攻撃」と断じ、宗教と人権のためのカトリック連盟(Catholic League for Religious and Civil Rights)のスポークスパーソンであるウィリアム・ドナヒューは、「下品の域を超えている」と発言した。

ジュリアーニはすぐにブルックリン美術館の助成金を打ち切ろうとし、表現の自由をめぐる全米規模の議論が巻き起こった。ブルックリン美術館はジュリアーニを訴え、後に勝訴している。

それから20年以上が経ち、当時ブルックリン美術館の館長を務めていたアーノルド・リーマンは、当時の記録を正そうと回顧録を執筆した。『Sensation: The Madonna, the Mayor, the Media, and the First Amendment(センセーション:聖母、市長、メディア、そして合衆国憲法修正第1条)』(メレル社)は、この展覧会をめぐる混乱を今の読者に伝えることを目的としている。

「Sensation」は、ニューヨークの前にヨーロッパで二つの美術館を巡回していたが、どちらの展示もそれほど騒動にはならなかった。巡回展の皮切りは1997年で、会場はロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ。その頃ロンドンでは、過激な表現方法で知られる「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)」が旋風を巻き起こしていた。

ダミアン・ハーストは動物をホルマリン漬けにしたものをアートと呼び、トレイシー・エミンはフェミニスト的な自己物語の一部として性的関係の瞬間を記録。マーク・クインは凍らせた自分の血で自画像を制作していた。

コレクターのチャールズ・サーチの所蔵作品で構成された「Sensation」には、YBAsの作品が多く展示された。ロンドンで最も物議を醸したのはマーカス・ハーヴェイの作品で、60年代に5人の子どもを殺害したマイラ・ヒンドリーを描いたものだった。しかし、全般的にロイヤル・アカデミーでの展覧会は大きな反感を買うことはなく、次に巡回したベルリンのハンブルガー・バーンホフ現代美術館での反応はさらに穏やかなものだった。

リーマンは回顧録の中で「1997年9月中旬にロンドンを訪れた際、入場を待つ長蛇の列が会場からあふれているのを見て驚いた」と書いているが、彼は実際にはロンドンでの展覧会を見ていない。その代わり、図録に魅了されたという。

リーマンは、「Sensation」の展示が頭痛の種になると考えていたが、それには十分な理由があった。展示作品には、世話が必要な生き物、補充しないといけない目玉焼き、機械で冷却し続けなければならない人間の血液などが使われているからだ。さらに、これら全てが一見の価値のある芸術だと一般の人々に納得してもらう必要もあった。

こうした苦労話は「ニューヨーク・タイムズ紙の一面やニューズデイ紙の中面に載ることはなかった」とリーマンは書いている。ニューヨーカー誌からニューヨーク・ポスト紙まで、ありとあらゆるメディアの表紙を飾ったのは、文化をめぐって起きた戦争だった。

リーマンの著書の大部分は、誰が自分の味方で誰がそうでなかったかを事細かに示すことに費やされている。リーマン側についた人々には、彼の妻のパム、ブルックリン美術館の前理事長ロバート・S・ルービン、アーティストのチャック・クロース、女優のスーザン・サランドン、美術館長協会など業界団体の著名メンバー(ただし全員ではない)がいる。敵はジュリアーニ、カトリックの権利擁護団体、メトロポリタン美術館の元館長フィリップ・デ・モンテベロ、そしてメディアだ。

アーノルド・リーマン Courtesy Arnold Lehman
アーノルド・リーマン Courtesy Arnold Lehman

なかでもリーマンが最も軽蔑しているのはメディアだが、それも当然と言える面もある。「Sensation」が引き起こした騒動の初期に、タブロイド紙はオフィリの絵について「フンを塗りつけている」などのデマを流した。やがてニューヨーク・タイムズ紙の地域版の記者までがこの誤情報を拡散。噂を信じたカトリック教徒が展覧会場に現れ、オフィリの絵に付いた架空のフンを白い絵の具で塗り込めるという事態に発展した(絵はブルックリン美術館の優秀な保存チームによって修復されたが、リーマンによれば今でも小さな白い斑点が見えるという)。

一方で、リーマンのメディアに対する敵愾心(てきがいしん)は、この回顧録を見当違いなものにしている。ニューヨーク・タイムズ紙の記者、デビッド・バーストウの報道に対する反論にはかなりの紙幅が割かれており、250ページ足らずの間に200回近くも彼の名前が出てくる。

バーストウは、「Sensation」の資金調達方法に疑問を呈する記事をいくつか書いている。サーチからの16万ドルの寄付を、美術館はなぜ匿名扱いにしたのか。また、オークション会社のクリスティーズが、この展覧会に出資しているのはなぜなのか。

こう指摘したバーストウに激怒したリーマンは、ニューヨーク・タイムズ紙の発行人であるアーサー・サルツバーガー・ジュニアを自分の側に取り込もうとした。しかし、彼とその妻を「Sensation」に招いてギャラリーツアーを行い、理解を得ようとしたものの、「ツアーが編集方針に影響を与えることはなかった!」とリーマンは書いている。

このように感嘆符で締めくくられる文章が頻出するリーマンの本は、時として自らが反論しようとしている低俗なゴシップコラムのような印象を与える。ただし、何度もピュリツァー賞を受賞しているバーストウの評判を落とそうと無意味な努力をしながらも、いくつか興味深い見方を示していることはリーマンの名誉のために記しておかねばならない。

バーストウの報道は保守派に利用され、展覧会はブルックリン美術館の腐敗を象徴するものとされたが、アート界の人々はそうした意見には与(くみ)しなかった。ホイットニー美術館の前館長マクスウェル・L・アンダーソンは、ニューヨーク・タイムズ紙の編集部に手紙を書き、「美術館運営に対する皮肉な見方」を非難。「美術館の資金調達があらゆる方面から攻撃されている時期に」それを煽るべきでないとしている。

一方、リーマンは次のように述べている。「私自身の見方はこうだ。教育的使命や存在意義に関して、大多数の美術館や芸術関連施設は設立当初の理念に忠実であり続けているが、相互に関連し合うフィランソロピーや文化の世界は変化している」

ダミアン・ハースト《生者の心における死の物理的不可能性》(1991)。1999年ブルックリン美術館での展示風景 写真:AP/アフロ
ダミアン・ハースト《生者の心における死の物理的不可能性》(1991)。1999年ブルックリン美術館での展示風景 写真:AP/アフロ

米国で大規模な美術展に企業スポンサーがつくことは今もよくあることだ。たとえば、2022年2月13日までホイットニー美術館で開催されているジャスパー・ジョーンズの回顧展は、ラルフ・ローレンとデルタ航空が一部を出資している。

また、個人コレクションの大型企画展も珍しいことではない。ただ、コレクションが美術館に寄贈された時のように議論の余地のない場合もあれば、2009年にNew Museum(ニューミュージアム、ニューヨーク)がダキス・ジョアノー理事のコレクションで展覧会を開いた時のような騒ぎになる場合もある(ニューミュージアムは自らの収蔵品を持たない)。

しかし、「Sensation」の資金調達は、アートマーケットとのつながりが誰の目にも明らかだという点で違和感があった。リーマンは、展示された「重要な」作品が会期後すぐに「販売されることは一度もなかった」と主張しているが、事実はそうではない。

ハーストがサメをホルマリン漬けにした有名な作品、《生者の心における死の物理的不可能性》(1991)は、90年代初頭にサーチが8万4000ドルで手に入れたもの。2009年のフォーブス誌の報道によると、サーチは2005年にこの作品をコレクターのスティーブン・A・コーエンに1300万ドルで売却している。

ここで起きているのは、アメリカの美術館では当たり前になってしまっている公私混同の典型例だ。業界団体はこうしたことを禁止する基準を設けているが、アーティストのアンドレア・フレイザーが2001年に「Sensation」に関する随筆で指摘しているように、「例外はすぐに積み重なる」。フレイザーはまた、「規則や倫理規定が議論されているにも関わらず、実際にはそうした基準は存在しないに等しい」と述べている。

リーマンの回顧録を読む限り、フレイザーの意見に反論することは難しい。現在はオークション会社のフィリップスでシニアアドバイザーを務めるリーマンが、かつて公私を分けて考えていたのだとしても、著書からそれは読みとれない。

明らかなのは、展示作品そのものは、ほとんど問題にされていないということだ。保守派がYBAsの作品が持つ複雑さとまともに向き合わなかったように、リーマンも展覧会の内容について説明する気はないようだ(モナ・ハトゥム、レイチェル・ホワイトリード、サラ・ルーカスなどの、衝撃度は低いが美術史的に重要な作品が展示されていたことは、この本を読んだだけでは分からない)。

リーマンは投げやりな釈明とともに「YBAs全体を紹介するものから、個々のアーティストに焦点を当てたものまで、数多あるレビュー、記事、書籍」を読むよう読者を促している。ここでオフィリの話に戻ろう。あの絵のどこが問題だったのか? ダメなことは一つもなかった。展示されていた状況以外には。(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、米国版ARTnewsに2021年10月28日に掲載されました。元記事はこちら

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