あらためて知りたい、アントニ・ガウディ──グエル公園、サグラダ・ファミリアetc. 代表作とその生涯

19世紀のアーツ・アンド・クラフツ運動、イスラムやアジアの建築、カタルーニャの伝統様式などを幅広く取り入れた華やか且つ変幻自在な建築で、20世紀初頭に名を馳せたアントニ・ガウディ(1852-1926)。6月13日から東京国立近代美術館で開催される「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に合わせて、稀代の巨匠の人生と創作を振り返ろう。

バルセロナの象徴とも言えるサグラダ・ファミリア。Photo: Alejandro Rustom / VWPics via AP Images

少年時代の自然観察に培われた建築スタイル

ガウディがカタルーニャ地方の都市、レウスに生まれたのは1852年。彼の父は銅板加工業を営んでおり、それが少年時代の彼に影響を与えた。長じて建築家となったガウディは、「自分は銅細工師の息子なので、空間を把握することが得意だ。平面から立体を作り出す銅細工師は、仕事に取りかかる前にまず空間をイメージする」と話している。

幼少期に健康上の問題を抱えていたガウディは、レウス近郊のリウドムスにある別荘で療養しながら、自然観察に没頭した。こうした体験が彼の建築のスタイルを形成し、その作品が持つ生物のようなフォルムの基礎となったと考えられている。

ガウディは「狂人か、天才か」

ガウディは1878年にバルセロナ建築高等技術学校を卒業。この時、学長のアリアス・ルジェンが、「はたして我われが学位を与えたのは狂人なのか、天才なのか。時が経てば分かるだろう」と言ったエピソードは有名だ。同じ年、彼はエステベ・コメジャが経営するバルセロナの手袋店の陳列ケースをデザインした。この作品はその後、パリの万国博覧会で展示されている。1879年にはバルセロナ市から初めて依頼を受け、街灯をデザイン。この街灯は現在も同市のレイアール広場やプラ・デ・パラウ(フランサ駅の近く)で見ることができる。

カサ・ビセンス

ガウディ初期の設計、カサ・ビセンス。Photo: Lucas Vallecillos / VWPics via AP Images

独自のスタイルを確立していった1880年代

1883年から85年にかけて建設されたカサ・ビセンスは、ガウディが初めて手がけた住宅だ。金融業に携わっていたマヌエル・ビセンス・イ・モンタネールの依頼で、ビセンス家の夏の別荘として建てられた。バルセロナのグラシア地区、カルリネス通りにあるカサ・ビセンスは、鮮やかな赤のアクセントや目を引く市松模様のタイル、屋根の上に伸びる小さな塔が特徴的だ。

同じ時期にガウディは、スペイン北部の町コミージャスにもう1軒別荘を設計している。コミージャス侯爵の義兄であるマキシモ・ディアス・デ・キハーノのため建てられ「エル・カプリチョ(気まぐれ、奇想)」と呼ばれるこの別荘は、鮮やかな赤と緑の塔、華やかな装飾の玄関ポーチ、丸みを帯びた壁が印象的だ。後に重要なパトロンとなるエウセビ・グエルから初めての依頼を受けたのも1880年代のことだった。

サグラダ・ファミリア教会の内部。Photo: Europa Press via AP

サグラダ・ファミリアの建設へ

ガウディの最も有名なプロジェクト、サグラダ・ファミリアの建設は、建築家フランシスコ・デ・パウラ・デル・ビジャールの指揮の下で始まったが、1883年にガウディが引き継ぐことになった。ビジャールによるネオ・ゴシック様式の設計案は、材料の調達や建設に資金がかかりすぎるという理由からガウディの型破りなデザインへと変更されている。

1926年にガウディが死去したとき、完成していたのは使徒バルナバに捧げる鐘楼だけだった。スペインを代表する観光名所のサグラダ・ファミリアは現在も未完のままだが、2020年の発表ではガウディ没後100年にあたる2026年に完成予定とされた(その後、コロナ禍の影響で延期が発表されている)。

サグラダ・ファミリアは、凝った装飾のある尖塔とイエス・キリストの生涯を詳細に表した彫刻が施された象徴的な外観を持つ。内部にある56本の柱は、万華鏡のような模様の天井付近で枝分かれし、青、緑、赤、オレンジの色鮮やかなステンドグラスから差し込む光で彩られる。異世界のような幻想的な雰囲気は、ヨーロッパの多くの大聖堂に見られる抑制的なスタイルとは対極にあるものだ。

グエル公園

グエル公園のメインエントランス。Photo: Hal Beral / VWPics via AP Images

20世紀初頭に生み出された数々の傑作

ガウディが手がけた有名な建築物の多くは、20世紀初頭に建てられている。この時代のプロジェクトには、1900年から1914年にかけて作られ、彫刻や建物、庭園で構成される広大なグエル公園、住宅として建てられ骸骨のようなモチーフがファサードを彩るカサ・バトリョ、ガウディが最後に設計した波打つようなデザインの集合住宅カサ・ミラ(別名ラ・ペドレラ:石切場の意)などがある。なお、カサ・ミラには現在も人が住んでいる。

これらの3つの作品に共通する主な特徴は、階層ごとにさまざまな要素が散りばめられていることだ。カサ・バトリョとカサ・ミラでは、屋上に上ると建物のまったく新しい表情が見られる。また、グエル公園では、いくつもの丘や展望台から、公園とその向こうに広がる街の眺望が新たな視点で楽しめる。

1910年には、フランスの国民美術協会がパリでガウディの展覧会を開催し、写真、模型、設計図などを展示した。その1年後にマドリードで開催された「第1回全国建築サロン」でも、同じ作品が多数展示されている。

カサ・ミラ

カサ・ミラの外観。Photo: CTK via AP Images

美術史と近代建築に残した足跡

1926年に路面電車に轢かれて亡くなったガウディは、大勢の人々が参列した葬儀の後、サグラダ・ファミリアの地下に埋葬された。彼の7つの作品、グエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・ビセンス、サグラダ・ファミリアの聖誕のファサードと地下礼拝堂、カサ・バトリョ、コロニア・グエル教会地下礼拝堂が、ユネスコの世界遺産に登録されている。彼の独創的で型破りなスタイルは、20世紀における建築の常識の枠を大きく広げたと言えるだろう。(翻訳:野澤朋代)

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