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【追悼】再評価高まるフランソワーズ・ジロー。ピカソという迷宮から自らを解放したフェミニスト画家の人生

6月6日に101歳で亡くなった画家、フランソワーズ・ジローパブロ・ピカソとの10年にわたる愛人関係を赤裸々に綴った回想録『ピカソとの日々』(1964年)によって注目を集めた彼女の作家人生を振り返る。

フラソワーズ・ジロー(1995年撮影)。Photo: Inge Morath/Magnum Photos/Aflo

「いつも自分に忠実だった」フランソワーズ・ジロー

ジローは長年、もっぱらピカソの「ミューズ」の1人として扱われていたが、ピカソとともに精力的な制作活動を行い、ピカソの代理人、ダニエル・アンリ・カーンヴァイラーと契約を結んでいたこともある。そして、ここ数十年はアーティストとして再評価されている。

マルクス・ミュラーの近著『Picasso: The Women in His Life: An Homage(ピカソの人生に登場した女性たちへの賛辞)』で、フランソワーズ・ジローはこう語られている。

「その長い生涯で、常に新しい自分自身へと脱皮し続けたが、いつも自分に忠実だった。1965年に娘のパロマを描いた愛情に満ちた肖像画が、オークションで100万ユーロ(現在の為替レートで約1億5000万円)の壁を破るのを、100歳まで待たなければならなかった。人々が絵画の価値よりも価格に関心を持つこの時代において、これはジローのライフワークが認められた確かな証拠だと言える」

《Paloma à la Guitare》と題されたこの作品では、羽飾りのある帽子をかぶった若い女性が、足を組んで椅子に座っている。涼しげな色彩と、抽象的な幾何学面が交錯する背景が特徴的な作品は、ピカソのモダニズムの流れを汲みつつ、独自の解釈を加えたジローを象徴する代表作だ。

この作品は2021年にサザビーズ・ロンドンで行われた女性アーティストオークションで、130万ドル(現在の為替レートで約1億8000万円)で落札され、ジロー作品の最高落札額を記録した。

サザビーズ・ロンドンで、130万ドルで落札された《Paloma à la Guitare》(1965)。Photo: John Phillips/Getty Images for Sotheby’s

ピカソとの日々』(ジローとカールトン・レイクとの共著)には、ピカソと恋愛関係にあった4人の女性が登場する。その中で唯一、ジローは自らの意思でピカソのもとを去った。ドラ・マール、マリー=テレーズ・ワルテル、オルガ・ホフロワとの関係は、いずれもピカソによって、ときに残酷な形で断ち切られた。ジローの回想によれば、ピカソは女性同士の対立を煽り、険悪な関係にさせたという。

『ピカソとの日々』の中で、ピカソには「青ひげ(*1)コンプレックス」があるとジローは書いている。「ピカソの願いは、人生が途切れることなく続き、それぞれ異なるタイミングで人生をともにした女性たちが喜びや苦痛の小さな叫び声をあげ、バラバラになった人形のような仕草をし、それによって女性たちの中にまだ自分の人生が痕跡をとどめていて、そこにつながっている糸の一端を自分が握っていると証明することだった。女性たちは、ユーモラス、あるいはドラマチック、そしてときには悲劇的な一面を見せ、ピカソはそのすべてを自分の糧にした」


*1 青ひげは、フランスの詩人シャルル・ペローの童話『青ひげ』の主人公。6人の妻を殺し、7番目の妻の兄に殺される。

ジローはまた、ピカソが女性を「女神のように、そしてドアマットのように」扱ったという有名な言葉を残している。

しかし、ジロー自身のピカソとの関係は、それとはかなり違っていた。『ピカソとの日々』の中では、ピカソが受動的なパートナーであるよう要求することに反発しつつ、ときにはその策略にはまったこともあると述べている。1953年にジローはピカソのもとを去り、ピカソの死後50年、生き続けることになる。

「青ひげ」という表現をジローは気に入っていたらしい。のちに「私は青ひげの7番目の妻だったことを思い出してください」とよく言っていた(ただしジローとピカソは正式に結婚していたわけではない。ピカソはホフロワが1955年に亡くなるまで法的にホフロワと婚姻関係にあったが、その20年ほど前から別居していた)。

賛否両論を呼んだピカソ回想録

フランソワーズ・ジローは、1921年、フランス・ヌイイ=シュル=セーヌの中流階級の家庭に生まれた。香水工場を経営する父は、ジローに法律家になってほしいと願っていたが、祖母は彼女を画家になるよう育てた。

1943年、21歳のジローはパリのレストランで40歳年上のピカソと出会う。当時ピカソはドラ・マールと一緒にいたにもかかわらず、ジローを自分のスタジオに招いた。彼女は、ピカソと関係を持てば「大惨事」になるとわかっていながら誘いに乗り、交際に発展した。

その後、ピカソが関係を深めるために一緒に暮らしたいと言い、ジローは迷った末に同棲を決めた。このことでジローと家族との関係には亀裂が生じている。『ピカソとの日々』によると、ジローの父親は、ジローがピカソとの関係を絶った後になって、ようやくピカソと仲良くなったという。

フランソワーズ・ジローとパブロ・ピカソ(1951年撮影)。Photo: Bettmann Archive

『ピカソとの日々』によると、2人の関係はバラ色とは言えないまでも、まったく愛がなかったわけではなかった。ジローは、口論中にピカソが橋から投げ落とすぞと脅し、橋の端に押し付けられたこともあったと語る。ジローはその言葉通りにすればいいと返したが、結局そうはならなかった。その一方で、ピカソが情熱的な芸術家であり、クロードとパロマを大切にする父親の一面も見せたと回想している。

南仏の家に自分のスタジオを作ったジローは、自分と子どもを描いた絵画を制作。その作品には、アンリ・マティスの豊かな色彩、ジョルジュ・ブラックの分割された幾何学的な画面構成が生かされている。そして、ピカソのアートの中で繰り返されてきた主題を扱いながら、ピカソのような暴力性は影をひそめ、より感傷的な表現になっている印象を与える。

1952年、ジローはパリの画廊、ギャルリー・ルイーズ・レリスで初めての個展を開いた。同じ年に描かれた自画像は、脚をもう一方の脚の下に折りたたんで座っている様子を描いたものだ。絵の中のジローは片ひざに腕をまわし、自信に満ちた表情をしている。ピカソが描いたジローの表情が、心理描写を一切排除していたのとは対照的だ。

翌1953年にピカソと別れたジローは、55年に画家のリュック・シモンと結婚する。その6年後、結婚は解消された。

1961年、ジローはジャーナリストのカールトン・レイクとともに『ピカソとの日々』の執筆を開始する。翌年には週に2日、ピカソと過ごした時間についてレイクと話し、レイクの原稿を必要に応じて編集する時間を取っていた。

『ピカソとの日々』は、発売と同時にベストセラーとなり、賛否両論を巻き起こした。ニューヨーク・タイムズ紙は、この本を平均点以上の「重要性のある」回顧録だと評価し、ジローが今も尊敬の念をもってピカソを「天才」と捉えていると指摘した。一方、のちにピカソの伝記を執筆した美術史家のジョン・リチャードソンは、レイクとの対立を隠さなかった。

フランスの批評家の間では意見が分かれた。ある美術雑誌は「フランソワーズ・ジローはピカソを裏切った」と書き、ピカソ作品のコレクターであるダグラス・クーパーは、あるパーティの会場で『ピカソとの日々』を燃やしたと伝えられている。

フランソワーズ・ジロー(2004年撮影)。Photo: Jean-Pierre Muller/AFP via Getty Images

自分自身を解放したフェミニストとして評価された晩年

ウイルス学者のジョナス・ソークと出会ったのは、ジローがカリフォルニア州のラ・ホーヤを訪れたときだった。1970年に交際を始めた2人はその後結婚し、1995年にソークが亡くなるまで連れ添った。のちにジローはソークのことを、「人類に対する献身的な姿勢や人間性を尊敬していましたし、立派な人だったからこそ愛していました」と振り返っている。「ただ、情熱を感じていたとは言えません。でも、パブロは違ったのです」

その後もジローは制作を続け、詩を発表し、70年代末にスタジオを構えたニューヨークでも高い評価を受けるようになった。

それでも、ジローを語るときには、ピカソの亡霊が必ずと言っていいほどつきまとう。ピカソの伝記を書いたジョン・リチャードソンは、2012年にピカソとジローの関係をテーマにした展覧会を開催し、数多くのジローの作品をピカソと並べて展示した。

キュレーターのマイカ・ポラックは、英オブザーバー紙に寄稿した展評でこう書いている。「フランスがフランソワーズ・ジローにレジオン・ドヌール勲章を授与したのは、ビジュアル・アーティストとしての仕事に対する評価というよりも、アートや本、講演、あるいは今回のような展覧会を通して、自分の立場からストーリーを語ったこと、また語る権利を懸命に主張し続けたことが、フェミニストとして評価されたのだろう」

『ピカソとの日々』が2019年に再版されたとき、ニューヨーカー誌のアレクサンドラ・シュワルツは、「圧倒的な存在の巨匠に束縛されながら自らを解放し、自由を手に入れた若い女性の物語であり、フェミニズムの古典として、今いっそう輝きを増している」と書いている

2022年、100歳を迎えたばかりのジローは、ニューヨーク・タイムズ紙の取材に応じ、こうコメントした。

「私は人生を迷宮のように捉えています。あなたは迷宮と戦う必要はありません。迷宮に誘われるままに進むと、また別の世界が見えてくるでしょう」(翻訳:清水玲奈)

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