アートはみんなのもの! 眠れる公共コレクションを市民に開く、Art UKの挑戦【エンパワーするアート Vol.1】

これまでとは異なる物事の見方を教えてくれるアートの力を借り、社会をより良い方向に進めようとする取り組みが生まれている。ロンドン在住の清水玲奈が伝える連載「エンパワーするアート」第一回は、イギリスがもつ膨大なコレクションを「開く」試みを続けるArt UKを紹介する。

Art UKによる彫刻撮影の様子。ジョン・フラクスマン 《The Fury of Athamus》 Photo: Julia Abel Smith/Art UK

公共コレクションの鑑賞者に偏り

イギリス全国にある国営美術館・博物館は、特別展を除きすべて入場無料だ。ロンドンのナショナル・ギャラリー大英博物館ヴィクトリア&アルバート博物館テートブリテンやテートモダンなどがもつ公共コレクションをあらゆる人に開き、観光資源としても役立てるという理念が実現されている。ワークショップも盛んに開催され、アート鑑賞のヒントとなる子ども向けのアクティビティ・シートが無料で提供されていることも多い。

しかし、実際に美術館を訪れている人たちを見ると、大人も子どもも白人と東アジア系が圧倒的に目立ち、ロンドンに多く暮らしているインド系やアフリカ系、アラブ系の人の姿はまだまだ少数派だという現実がある。また、冒頭で挙げた有名な美術館がすべてロンドンにあることからもわかるように、アート作品が所蔵・展示されるのは大都市が圧倒的に多く、地方在住者が訪れる機会はあまりない。

国営美術館や博物館に見られるそうした利用者の偏りを解消すべく運営されているのが、2016年に設立されたArt UKだ。アートと教育のチャリティー団体で、アート作品へのアクセスを民主化し、誰もが気軽にアートに親しみ、アートとの対話を楽しみ、学ぶ機会を提供することを目的に活動している。

30万点のデータベース

Art UKの核は、イギリス国内の3407軒の公共施設のコレクションからアート作品を集めたデータベースだ。イギリス国内の美術館、大学、図書館、市庁舎、病院、国家機関との協力の下、現時点で5万人を超えるアーティストによる30万点あまりの作品がアップされていて、その数は今も増え続けている(2022年には1万2890点が新たに加えられた)。

2022年には、イギリスの公共コレクションにある彫刻5万1000点を写真に収めるプロジェクトも完了。作品の写真と情報が載ったデータベースは、ホームページから誰もが自由に閲覧できる。これまでは油彩と彫刻がデジタルアーカイブの主眼だったが、水彩やドローイングについても力を入れていくという。

ウェブサイトをなんとなく検索するだけでも、思いがけないアート作品に出会えて楽しい。筆者の西ロンドンの家の郵便番号を入力し「半径5マイル以内」「ドローイング」という条件で検索したところ、フロイト美術館にあるダリがフロイトの顔を描いたスケッチがヒットした。クリックすると、ロンドンに亡命して数日後の81歳のフロイトと、ずっとフロイトに憧れていたダリとがロンドンで出会ったときの逸話が読める。

Art UKの活動については、現代アーティストからも称賛の声が寄せられている。ナイジェリア系イギリス人アーティスト、インカ・ショニバレCBEは2019年にArt UKのパトロンとなった。「作品がエリート的な機関に所蔵されて倉庫で眠っているだけではなく、デジタル化されることはとても重要。作品の背景にある情報とともに、幅広い人たちに見てもらうことができるからです」と語った。また、ロンドン・ナショナル・ギャラリーのガブリエレ・フィナルディ館長は、「Art UKのような本格的な規模の絵画のデータベースを有する国は世界に例を見ません」と評価する。

Art UKによって撮影された大型の彫刻作品 。ボブ・バッド 《Eat for England》 © the artist. Photo: Susan Dawson / Art UK

倉庫に眠る作品を開放する

Art UKのディレクターを務めるアンディ・エリスは、かつて金融業界で働いていた。美術界出身ではないアートファンだからこそ、「アートの敷居を低くして、すべての人のものにしたい」という思いは強い。「公立美術館の所蔵品は、本来すべての市民のためのものです。それにもかかわらず8割以上は倉庫に眠っていて、普段は見ることができません」

そうした閉ざされたアートコレクションを開放し、民主主義的にすべての人が『アートを楽しみ、学び、調べる』ことができるようにするべきだというのがArt UKの哲学であり、ミッションなのだとエリスは語る。「アートはみんなのものだという理解が、私たちの活動の大前提です。アートを楽しみ、学び、ひいてはアートを通して世界観を変えたり、あるいは自分についての考えを変えたりする権利を誰もが保証されるべきなのです」

無味乾燥なアーカイブからの脱却

ロックダウンにより美術館の閉館が長引いたコロナ禍にはオンラインでアートを楽しむ人が増えたが、イギリスでほぼコロナ前の日常が戻った2022年も年間470万人がArt UKを利用し、前年比19%増という伸びを見せた。またソーシャルネットワークでのフォロワーも前年比25%増の15万3,000人に達している。年代別の内訳を見ると、18-24歳が20%と最も多いが、25-34歳が19%、35-44歳が17%、45−54歳が16%、55-64歳が14%、65歳以上が14%と、幅広い年代の人に利用されていることがわかるだろう。

利用者が増えている理由のひとつは、コンテンツを一層充実させるArt UKの努力だ。「ただ無味乾燥なデジタルアーカイブを作るだけでは、幅広い人に興味をもってもらうことはできません」とエリスは語る。

だからこそArt UKは「クリエイティブな思考と実践を促すようなユーザー参加型の試み」を展開しているとエリスは話す。そのひとつが、アート好きなら誰もがキュレーターになれる「Curations」という機能だ。音楽アプリのプレイリストに似ていて、お気に入りのアート作品を年代やテーマなどで自由に並べ、バーチャルな展覧会が企画できる。キュレーションは公開・非公開どちらにも設定でき、これまでに1万5000人のユーザーが2万7000のバーチャル展覧会を企画したという。

美術館のキュレーターが定めた見方に従うのではなく、自由なやり方でアートを楽しむためのヒントを与えてくれる。これも、「アートの民主化」の取り組みのひとつだ。

市民の力を借りる取り組みも

また、クラウドソーシングで一般ユーザーに特定の作品に表現されているテーマをタグづけしてもらうプロジェクト「Tagger」もある。通常、アーカイブにある作品のほとんどは、タイトル、作家、素材、年代、所蔵施設といった情報がデータベースにあっても、何が描かれているかは書かれていない。一方、タガー機能で一般ユーザーに何が描かれているかをタグづけしてもらえれば、たとえば「猫」「19世紀の偉人」といったテーマで美術品を検索することが可能になる。これまでに1万点あまりの作品に8万3000個のタグ(うち3万5000点が2人以上のユーザーにより正確なタグとして認定されている)がつけられ、データベース上でのテーマによる検索が可能になった。

さらに、集合知で知識を深めようという試みもある。5つの美術研究グループと連携した「Art Detective(アート探偵)」は、アート作品に関する知識と理解を深め、広く共有することを目的に、美術史家、キュレーター、ディーラー、それに一般市民の知識を蓄積していく取り組みだ。各分野の専門家がリーダーとなって特定の作品にまつわるディスカッション・グループを開催し、美術史の知識と作品のテーマにまつわる専門知識を持ち寄ってもらう。確かな証拠に裏付けられた情報を確認できしだい、各作品のデータを更新している。これにより、日付の修正といった基礎的なデータから、肖像画のモデルに関する新事実まで、毎年何千もの更新情報がデータに反映され、作品を所蔵する美術館にも提供される。

「Tagger」プロジェクトより。ユーザーにより「spike(トゲ)」「conker(トチの実)」「glaze(艶)」などのタグが付けられている。Photo: Art UK

あらゆる子どもにアートの楽しさを

サイトの中で最も利用者が増えているのが、教師が自由にダウンロードして使える小学校の美術授業用の教材だ。批判的に観察し、疑問を投げかけて深く理解する力の養成に狙いを定めた「The Superpower of Looking(見ることのスーパーパワー)」と題したシリーズを始め、現在182点の教材公開している。教師に自信を持って授業に臨んでもらい、7歳から11歳の子どもたちに本格的なアート鑑賞を体験してもらうことが目的だ。

「現代は視覚情報があふれています。そこに溺れるのではなく、自分で見極められるようになるために、教育は非常に重要です。アートを通して、イメージを理解し、分析する力を育てることができます」とエリスは語る。子どもの頃から本格的な美術史に親しみ、作品を自分なりに見る練習をすれば、広くビジュアル・リテラシーを養うことにもつながるだろう。また、アートを見ることの楽しさを子どものころから実感していれば、日常的にアートを楽しむ人口が増えるはずだ。

過去には、本物のアート作品を1日だけ美術館から借り出して小学校の教室に持っていき、鑑賞教室を開くというプロジェクト「Masterpieces in Schools」も行なった。コロナ禍で実際のプロジェクトは中止となり、それ以来は教育向けのデジタルコンテンツの充実に力を入れてきたが、今後また再開する予定だという。

また、一般向けにも「Art Unlocked」と題したオンライントークを、月2回ほどのペースで行なっている(2022年は27回実施)。予約制だが無料で視聴でき、公共美術館に永久所蔵されている作品数点を、キュレーターによる解説とともに鑑賞できるセッションだ。

ロイヤル・ウエスト・オブ・イングランド・アカデミーから貸与されたピーター・サーズビーのブロンズ彫刻を鑑賞するヒルクレスト小学校の生徒たち(2019年6月)。Photo: Alice Hendy/Art UK/Royal West of England Academy

アートに投資する理由

Art UKの活動はイングランドと北アイルランドのアーツカウンシル、スコットランド自治政府などの公共予算のほか、ナショナル・ロッテリー(宝くじ)の収益金、参加している美術館などの施設からの活動資金、および寄付によってまかなわれている。寄付は個人の慈善家や民間企業、メガ・ギャラリーのハウザー&ワースなどから寄せられているそうだ。

こうして得られた資金を最大限に活用するため、Art UKは組織として人件費や設備費の無駄を究極まで省くことにもこだわっている。フルタイムのスタッフ27人はイングランドとスコットランドの各地に散らばっており、グラスゴー郊外に小規模なオフィスがあるものの基本的に在宅勤務している。作品のデジタルデータベース化の作業に当たるのはさらに150人のボランティアたちだ。

年間コスト合計157万ポンド(約2億8,561万円)のうちオフィスなどの設備の予算はわずか0.3%で、7%は資金獲得のために使われている。この結果、美術品の活用のための資金として、1コレクションあたり平均で462ポンド(約84000円)を確保できているという。

アートに公的資金を使う意義について、エリスは経済全体への効用に触れて説明する。「イギリスをはじめとする多くの国で、クリエイティブ産業は、経済のどの領域よりもめざましい成長を遂げています」

クリエイティブ産業はコロナ禍を経ても順調に回復している。イギリスのデジタル・文化・メディア・スポーツ省が2022年5月に発表した統計によると、国内のクリエイティブ産業部門のGVA(粗付加価値、GDPへの貢献額)の月次合計値は、2019年は1070億ポンド(約19.4兆円)強、2020年は約950億ポンド(約17.3兆円)に落ち込んだが、2022年には約1040億ポンド(約18.9兆円)を達成し、今後はさらなる伸びが期待されている。特に、GVAはコロナ禍の最終局面だった2021年第3四半期(7~9月)から第4四半期(10~12月)にかけて実質ベースで1.4%成長したと推定される。同時期のイギリス経済全体の成長率は0.9%にとどまっていた。

エリスは語る。「教育を通して全ての市民がアートに関わり、創造性を伸ばすようにすることで、経済を底上げする効果もあるのです。しかもアート教育は個人のレベルでは精神的な健康、ウェルビーイング、学業成績の向上をもたらし、そしてコミュニティ全体の文化的・社会的な発展を大きく向上させることがわかっています。アートへの投資効果は絶大なのです」

2022年の統計で、Art UK利用者の国別では45%がイギリス、23%がアメリカ、次いでカナダ3%、とオーストラリア2%で英語圏が大半を占める。移民が多く暮らすイギリス国内の利用者も、英語が得意な人が中心になっているとみられる。エリスには前職で日本駐在の経験もあり、「英語話者以外にも利用者を増やしたい」と今後への抱負を語った。

知らなかった作品に出合い、知っていたつもりだった作品をもっと深く知り、そしてアートにもっと気軽に自分らしく関わることができる仕組みを、Art UKは大人にも子どもにも幅広く提供している。これをきっかけに「アートはみんなのもの」と実感する人が増えれば、もっと多様な人たちが美術館を気軽に訪れるようになる日も近づくはずだ。

Text: Reina Shimizu Editor: Asuka Kawanabe

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