型破りな大型インスタレーションが集結! アート・バーゼル2023の「アンリミテッド」部門ベスト9
アート・バーゼルの中でも、型破りな面白さで定評があるのが大型インスタレーションを集めた「アンリミテッド」部門。76のプロジェクトが発表された今年も例外ではなかった。
「ギャラリー」部門などのメイン展示より一足先に幕を開けた「アンリミテッド」部門は、アートフェアの小さなブースに収まりきらない体験型の作品や大規模作品などに特化している。今年の展示の中から、見応えのあった大胆な作品を紹介しよう。
1. フランツ・ウェスト《100 Stühle (100 Chairs)》(1998年)
アートフェア、特にアート・バーゼルのような大規模フェアで長時間過ごしていると、どこかの時点で座れる場所を探すことになる。椅子の見つけやすさは、フェアごとにさまざまだ。通路にベンチが用意されている場合もあるが、そうでなければカフェに入るか、家具ブランドが提供している椅子に座るくらいしか選択肢はない。
しかし、今回のアート・バーゼルでは新しい選択肢が提供されていた。1998年にフランツ・ウェストが手がけたインスタレーション《100 Stühle (100 Chairs)》だ。タイトルには100脚とあるが、実際には99脚の白い椅子が会場の中央に設置されていた。展示ホールに入ったばかりのときは、イベントが行われそうなステージに向かって並んでいるので普通の椅子だと思ってしまうが、ラベルを見るとウェストの作品だと分かる。歩き疲れたら、ここで一息つけばいい。
2. 何祥宇(ヘ・シャンユ)《Inherited Wounds》(2022-23年)
何祥宇の《Inherited Wounds》(2022-23)が展示されている部屋に足を踏み入れたとき、思わず声をあげてしまった。ここでもまた椅子のインスタレーション? 何かの悪ふざけみたいだ。だが、下を向くと部屋を斜めに横切るように3列に並んだ24脚の椅子の側に、それをそっくりそのままミニチュアサイズで再現したものが目に入ってきた。
それだけでも奇妙だが、《Inherited Wounds》と題されたこの作品には、鳥肌が立つような仕掛けがある。このアーティストがあちこちの学校から集めてきた椅子には、生徒たちが書いたり彫ったりした落書きがある。それらすべてがミニチュアの椅子にも細かく再現されているのだ。この痕跡は椅子が負ってきた傷で、おそらく世代を超えて受け継がれてきたことを示唆しているのだろう。
3. クリスチャン・マークレー《Doors》(2022年)
クリスチャン・マークレーの《Doors》を上映する暗い部屋に入ったちょうどそのとき、ネーヴ・キャンベルとコートニー・コックスがゴーストフェイス(映画『スクリーム』シリーズに登場する、お化けの仮面を被った殺人鬼)から逃げている映像が流れていた。私は心を見透かされたような偶然にハッとした。アートフェア会場の通路の遠くに鉢合わせしたくない誰かを見つけると、なんとかして避けようと道をそれたりする。そういう心理を突く、文句なしの10点満点。
4. カルロス・クルス=ディエス《Environnement Chromointerférent, Paris》(1974/2018年)
この作家の有名なオプ・アート(*1)作品を明滅する光で再現した展示室には、大きく膨らませた白い風船がいくつも置いてあり、鑑賞者はそれを空中に投げ上げることができた。まるで、風船を地面に落とさないようにする子どもの遊びのようだが、真面目な見方をするならば、これは色彩についての表現豊かな研究だと言える。そこに足を踏み入れる前に持っていた、色相や色調に関するあらゆる固定概念が揺らいでくるのだ。
*1 錯視や視覚の原理を利用したり、鑑賞者の視点によって見え方が変わったりする作品。
5. ギョーム・ベイル《Matratzentraum》(2003-23年)
アメリカのとあるマットレス・チェーン店には裏の顔があって、実際にはマットレス販売をしていないのではないか、という陰謀論がネットの片隅で流れている。どの店舗にも客がいるところを見たことがないし、店舗同士が近接し過ぎているというのが疑惑の根拠となっている。
ギョーム・ベイルのインスタレーション《Matratzentraum》を見たとき、この作品がその陰謀論の発端となったのではないかと感じられた。マットレス店を再現しているのだが、完璧まであと一歩という感じや、販売員を模したハリボテが置いてあったり、宣伝のバナーが無造作に壁に貼ってあったりという胡散臭さがその理由だ。
ベイルがこの作品を制作し始めたのが2003年で、現在はベルギーに拠点を置いていることを考えると、彼がマットレス店をめぐる陰謀論を念頭にこれを作ったとは思えない。とはいえ、この作品はもっと一般的な意味で、暴走する資本主義を表現したものだと捉えることができるだろう。アートフェアという文脈の中で見ると、なおさらだ。
6. ルバイナ・ヒミッド《A Fashionable Marriage》(1986年)
1986年に制作されたルバイナ・ヒミッドの《A Fashionable Marriage》は、アンリミテッド部門で展示されている作品の中では古い方に入るが、まるで今回のフェアのために作られたような新鮮さがあった。それは、この作家が数十年のキャリアを持ちながら、2017年にターナー賞を受賞してスターになるまで、あまり知名度がなかったことに関係があるかもしれない。あるいは、演劇のセットデザインを学んだヒミッドが手がけるミクストメディア作品の、過激な手法が寄与しているのかもしれない。美術史からの引用を多用する彼女の作品は、舞台のような存在感がある。
今回展示された作品は、ロココ時代のイギリスの画家、ウィリアム・ホガースが上流階級を風刺した連作絵画《当世風結婚:身支度(第4場面)》(1743年頃)を題材にしたもの。ヒミッドは、ホガースの絵に描かれた2人の黒人を主役に仕立て直しながら、風刺の上に風刺を重ねている。当時最も高く評価された風刺家だったホガースにも盲点があったというわけだ。
7. オーガスタス・セラピナス《Čiurlionis Gym》(2023年)
ルネサンス以来、芸術家たちはギリシャ・ローマ時代の美的伝統からインスピレーションを得てきた。鍛え上げられた腹筋、盛り上がった上腕二頭筋やふくらはぎ、丸くて立体感のある臀部などを持つ大理石の男性像は、肉体美の極致とされている。オーガスタス・セラピナスは、この考えをさらに一歩進め、パフォーマンス付きのインスタレーションとして実際に使えるジムを会場に作った。
決められた時間になると、筋骨隆々の男性たちがこのジムに登場し、懸垂、アームカール、レッグプレスを数セットずつ行う。この作品は、ギリシャ人が芸術作品として残すのにふさわしいと認める肉体を維持するために必要な反復と粘り強い継続、そしてその肉体を完璧に表現するために必要な技術と描写力についての、力強くも皮肉に満ちた考察なのだ。
8. モニカ・ボンヴィチーニ《Never Again》(2005年)
モニカ・ボンヴィチーニの《Never Again》は、遠くから眺めると、単に無害なブランコが並ぶ軽やかで楽しいインスタレーションのように見える。確かに楽しむことはできるのだが、思っていたような無邪気な楽しさとは違うかもしれない。
ハンモックほどの大きさの革でできたセックス用ブランコを使ったこの作品で、ボンヴィチーニは2005年に「Preis der Nationalgalerie」(ベルリンのハンブルガー・バーンホーフ現代美術館の若手アーティスト向けのアワード)を受賞した。この印象的な作品は、ミニマリズムで多用されるグリッドを想起させながら、ミニマリズムの持つ権力への執着を覆してみせる。ある種の構造は、望むと望まないとにかかわらず、私たちに服従を強いることを示している。
9. ロン・テラダ《TL; DR》(2019-20年)
インターネット上に長文をアップして、「tl;dr(too long; didn't read:長すぎる。未読)」という略語でコメントをつけられた経験はないだろうか? ロン・テラダのインスタレーションは、これをタイトルにしたものだ。この大規模作品は、テクノロジー・ニュースサイトのザ・ヴァージ(The Verge)から引用した50以上の見出しを、さまざまな大きさで、ニューヨーク・タイムズ紙の見出しに似せたフォントで印刷している。
面白かったものをいくつか紹介しよう。「フェイクニュースをシェアしているのは65歳以上が最多。最近の研究で判明」、「気候変動に気を配るのがティンダー(マッチングアプリ)のトレンド」、「ツイートをエフェメラルにする(すぐに消える)方法をツイッターが検討」。目が回りそうに慌ただしいアート・バーゼルのようなフェアの会場では、多くの参加者にとって身近に感じられる内容だろう。(翻訳:野澤朋代)
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