日本での開催検討を! 気候危機がテーマの巡回展リポート【エンパワーするアート Vol.2】
これまでとは異なる物事の見方を教えてくれるアートの力を借り、社会をより良い方向に進めようとする取り組みが生まれている。ロンドン在住の清水玲奈が伝える連載「エンパワーするアート」、第二回はイギリスとカナダで開催された、気候変動がテーマの巡回展を紹介する。
世界気象機関(WMO)は2023年5月の報告で、2027年までに66%の確率で年間平均気温が産業革命期以前の平均気温を1.5度超えると警告した。1.5度は、これを超えると気候システムに不可逆性を伴う大規模な変化が生じるという大きな臨界点だ。またこの数カ月は、世界各地の美術館で気候変動による危機を訴える環境活動家の抗議が相次いでいる。
全ての人が関わる気候変動問題は、市場規模9兆円にもなるアートにとっても他人事ではないことは明らかだ。気候変動を食い止めるために、アートには何ができるのだろうか?
ロンドンのバービカン・センターは2022年、サステナブルな展覧会開催のための5か年計画のガイドラインを策定した。それと同時に同センターで開催されたのが、地球環境をテーマにした「Our Time on Earth(地球上での私たちの時間)」展だ。2023年6月15日には、第2の都市としてカナダのケベック市にある文明博物館(Musée de la civilisation)で「Pour Demain(明日のために)」というタイトルで開幕した。展示は2024年1月7日まで続き、その後も世界各地を巡回する予定だ。
英仏それぞれのタイトルには、全人類と生物が属するコミュニティとしての地球、そして人類が数百万種の生物の中のたった一つの種に過ぎないという認識に基づいて、未来を全く新しい視点から考えなくてはならないという思いが込められている。
学際的なコラボレーションが生んだ展示
展覧会の内容は多岐にわたる。同展にはアート、デザイン、科学、音楽、哲学など、分野の境界を超えた没入型のインタラクティブなインスタレーションやデジタル作品を中心に、世界12カ国から12点の新作を含む18点の作品が集められた。人類が暮らす地球をさまざまな角度から体験することで、美しい地球と生物圏の驚異に対して畏敬の念を呼び起こすような構成だ。
さらには、地球上に自然と人類が共存できる未来のために、さまざまな先鋭的なビジョンを提示し、そこにテクノロジーが果たすべき役割についても考察されている。
この意欲的な企画には、アーティストや研究者、建築家、活動家、デザイナー、科学者、エンジニア、環境運動家、作家などが参加し、ときには彼らの学際的なコラボレーションによって制作されたさまざまな作品を紹介している。バービカン・センターのステートメントによると、展覧会の企画全体が、気候変動に取り組むためには分野を超えた協力が必要であるという実践であり、大きなメッセージなのだ。
展覧会の共同キュレーターを務めたキャロライン・ティルは「学際的に共同で思考することは、カテゴリーやフロンティアを超えて、新しいアイデア、新しいシステムを創造することにつながります」と強調する。「私たちが共有する地球が受けた損傷を癒せる魔法のような唯一の解決策は存在しません。でも、異なる分野の経験や専門知識を組み合わせることで、奇跡が起こせるかもしれないのです」
もうひとりの共同キュレーターのルーク・ケンプもこう続ける。「さまざまな分野にわたるユニークなコラボレーションが、希望と可能性に満ちた新たなビジョンを生み出し、見学者は地球という惑星のすばらしさに浸れるはずです。気候変動という緊急事態への対応を加速させる上で、アートは重要な役割を担っています」
自然ほどクィアなものはない
多彩なアート作品が紹介されているなかでも注目を集めるのが、「Our Time on Earth」のために委託制作された《Queer Ecology》だ。生物学者として、そしてジェンダー多様性の活動家としても世界的に知られるコロンビア人のトランスジェンダー女性ブリジット・バティストが、ロンドンのデジタルファッション研究所(Institute of Digital Fashion)とのコラボレーションで作り上げたインタラクティブな作品となっている。
バティストは、生物学者としての知識に基づいて「自然ほどクィアなものはない」と語る。それを表現した《Queer Ecology》は、鑑賞者が男か女かという社会の二元的なラベリングから自由になり、自分という唯一無二のアイデンティティが大きなスクリーンに溶け込んでいく感覚を得られる作品だ。ティルは「自然界に見られる性の流動性から人間が何を学ぶことができるかを考えさせる作品です。人間は自然であり、自然は人間であるということを、シンプルに示すねらいがあります」と解説する。
先住民やグローバルサウスの視点
気候変動は、産業革命を先に進めた先進国に責任があるが、その被害を受けるのは世界の貧困に苦しむ人々であり、そうした人々の多くはグローバルサウスの国や地域で暮らしている。展覧会はこうした問題意識を持って、先住民やグローバルサウスの視点に基づく作品も多く取り上げている。
クリエイティブエージェンシーのThe Earth Issueが手がけたビデオシリーズ《Stories of Change》は、気候変動危機を食い止めるための具体的な行動を呼びかける内容で、世界中の草の根環境保護活動の先頭に立つチェンジメーカーや活動家にインタビューした映像を、10スクリーンで上映する。南半球に焦点を当て、ポジティブな変化を生み出しつつある現場を紹介し、行動に必要な希望と勇気をかき立てる内容だ。
文明博物館の展示では、バービカンで展示された作品に加えて独自に公募を行い、委託制作した先住民モホーク族のマルチメディアアーティスト、スカウェンナティ(Skawennati)の作品《Les Trois Sœurs : nous réapproprier l'abondance(三姉妹-豊かさの再生)》を展示している。先住民が未来の世代に渡るまで常に資源を維持できるように、自然界から必要最低限の食料や木材しか取らないことなど、さまざまな習慣や価値観を学ぶきっかけとなる作品だ。
自然と人の共存
自然と人の共存をテーマにした作品も展示されている。例えば、ロンドンのデザインスタジオSuperfluxによる《Refuge for Resurgence》は、他の生物の視点になって世界を見ることのできる体験型の作品だ。2021年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展で発表された。人間、動物、鳥、植物、苔や菌類を含む14の異なる種が集う晩さん会をイメージし、全ての種が共存し、ともに繁栄できる新しいタイプの住居を提案し、自然界における人間の位置を再考するよう誘う。
一方、フィンランドとノルウェーのアーティスト・デュオ、リッタ・イコネンとカロリン・ヒョルトのコラボレーションによる《Eyes as Big as Plates》は、現在も制作プロジェクトが続いているシリーズの一部だ。北欧の民話に登場するキャラクターをヒントに世界各地にさまざまな経歴をもつ高齢者を訪ね、自然環境と一体化するかのような仮装をしてもらったポートレートを撮影することで、現代人の自然への帰属を探求している。
テクノロジーのレンズを通して見る自然
展覧会では、テクノロジーが中心的な役割を担っている。「テクノロジーをレンズとして活用することで、私たちだけではできない方法で自然界を深く探求し、明らかにし、新しい展望を切り開くことができるのです」と、ティルは語る。
たとえば、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)所属のグローバル・プロスペリティ研究所(The Institute for Global Prosperity、IGP)がアート・スタジオDVTKとのコラボレーションで制作したデジタルのゲーム《Sharing Prosperity》は、山や氷河、木を選び、その視点で2040年の世界がどのように見え、感じられるかを探求した作品だ。人類が他の生物と革新的に協力し、種を超えて平等に富を共有し、地球の真の繁栄につなげる道を考えさせる。
また、生態学者で作家のジョージ・モンビオットとデジタルエージェンシーのホリション(Holition)が共同で制作した《The World Beneath our Feet》では、来場者が地下に潜って土の中の生命を体験し、6つの没入型スクリーンを通して生物界の豊かさを実感できる。
文明博物館ではさらに、見学者が自分のアバターを選び、見学順路に沿って配置されたステーションで、展示作品に関連したさまざまな質問質問に答えるコーナーがある。見学の最後には、自分の考え方や生活習慣について改めて見直し、環境保護への取り組みについてパーソナルな提案を受られる仕組みだ。
運営面での配慮も
運営面でもエコ・レスポンシブル(環境への負荷を減らす責任を果たすこと)であることにこだわった。バービカン・センターや文明博物館で過去の展覧会に使った什器や、使用済み自動販売機の再利用など、新しい素材の購入を抑えるために極限まで配慮した。またサステナブルな菌糸材、環境負荷の少ない松脂や松皮、ヘンプ(麻)の織物、天然ウールフェルトなどの天然素材を活用することも意識した。
ティルによると、これは「根本的な豊かさ」を生み出す再生と循環を探求する試みだったという。「展覧会のテーマを考えると、おなじみのリサイクルという方法だけで満足するのではなく、本質的にエコロジカルな素材とデザインを活用することが不可欠でした。この展覧会を訪れた人々が、社会が責任を持って素材を使用する未来の可能性に触発され、努力と工夫によって環境に実質的な変化をもたらせるという希望を感じてもらうことが重要だったのです」
また、巡回にあたっても空輸によるカーボン・フットプリントを抑えるため、すべての作品がロンドンからケベックまで陸上・海上輸送されたという。会場のデザインそのものも、巡回展になることを前提としたものとなっている。「シンプルで美しく、軽量で汎用性が高い展示デザインです。長い期間使用できる耐久性がありながら、運搬が簡単で、さまざまな会場のニーズに柔軟に対応できるモジュールで構成されています」と、ティルは説明する。
自己中心的な視点から生物中心的な視点へ
今日、気候変動の緊急事態の大きさを示す科学的証拠が、かつてないほど多く示されている。そうした危機におけるアートの役割を、ティルはこう強調した。
「アートや文化には私たちを動かす力があります。耳を澄ませ、体と心で感じ、まっすぐ物事を見るように誘うのです。だから、特定の問題をアートという形に具体化することは、その問題に命を吹き込み、人々がより深く経験する機会を与えてくれます。そして、新しい考え方を形成し、新しい行動を促す不思議な力があるのです」。そしてその力こそが、この展示の出発点にもなっている。「気候変動という緊急事態を、日常生活や感情に結びつける上でアートは重要な役割を担っています。アートにしかできない形で自然界の驚異とその大切さを訴えることが、この展覧会の柱です」
ティルはさらに、《Eyes as Big as Plates》の共同制作者であるリッタ・イコネンの「もっと知り、もっと理解すれば、もっと気にかけられる可能性がある」という言葉を引用する。展覧会の作品を通して、地球の多層的な豊かさを改めて認識し、「危機から救わなくてはならない」と1人でも多くの人に思ってもらうことが、究極の願いだ。
「人間が自然の階層モデルの頂点に立つという自己中心的な視点から、多様で循環的な生態圏モデルの中の多くの種のひとつと考える環境中心的な視点、つまり生物中心的な視点への意識の転換を促したいのです」
未来のためのクリエイティブな提案
気候変動が緊急事態に達していることを示す科学的証拠は、誰にも無視できない。アート界も責任を逃れることなく、気候変動対策に取り組むべきときが来ているのだ。「Our Time on Earth」「Pour Demain」には、地球の未来のためのクリエイティブな提案がぎっしりと詰まっている。行動を起こすのは、今からでも決して遅くはない。
なおこの展覧会は、ケベック文明博物館の後、アメリカのマサチューセッツ州セーラムにあるピーボディ・エセックス博物館で2024年2月17日から6月17日まで開催予定だ。その後の巡回予定はまだ会場が確定していないという。これをお読みの美術館・博物館関係者の方々は、ぜひ開催をご検討いただきたい。