ル・コルビュジエの「夢」をめぐる問い:映画『わたしたちの国立西洋美術館』布施琳太郎レビュー

東アジア最大級の西洋美術コレクションを誇り、2016年にはル・コルビュジエの建築作品として世界遺産に登録された東京・上野の国立西洋美術館の整備に密着したドキュメンタリー『わたしたちの国立西洋美術館』が7月15日から公開されている。ARTnews Japanの「30 ARTISTS UNDER 35」にも選出されたアーティスト・布施琳太郎は、本作を起点として国立西洋美術館の世界遺産登録是非を問いなおした。

Photo: Wikimedia Commons

美術館をつくる人々

この映画は、改装工事期間の国立西洋美術館へとカメラが潜入するドキュメンタリー映画である。映画には美術館学芸員や研究員、保存修復の専門家、運送会社の人々などが働く姿と、彼ら、彼女らの美術への想いが肉声で収められている。スクリーンに映し出される美術館の裏側は美術を学ぶ学生にとっても、美術鑑賞を楽しむ人々にとっても、今日の美術がどのように成立しているのかを知るための手がかりとなるものだ。

なかでも学芸員たちの言葉を中心に映画が構成されていることは注目に値する。なぜなら展覧会に足を運ぶ際、そこに展示された作品の作者について想像することはあれど、展示作品や作家の選定を行った学芸員が具体的な個人であることが思い起こされることは稀有だからだ。「いつかは美術館で展示をしたい」と願う美大生やアーティストを志望する若者ですら、美術館での展示に参加する作家や作品を選ぶのが数少ない学芸員だということを意識できていないように思えるのは筆者の勘違いだろうか? 当たり前のことだが「良い作品」を上から順番に展示することなどできるわけもない。展覧会は、それぞれの学芸員の専門性と関心に基づいたキュレーション、そして経済的な制約によって作られるのだ。そうした現実を間近に感じられるのは、こうした映画ならではの体験だろう。

美術館を運営して展覧会を作る人々の顔を見て、声を聴くことは、美術館における展覧会がどのような力学で成立しているのか? という空気を知ることができるという点で、まず価値がある。同時代の作家を取り扱う現代美術であれ、既にこの世を去った作家を扱う近代以前の美術であれ、そこで働く人々なくして展覧会は存在し得ないのだ。

またどのように作品が収蔵庫に保管され、美術館の内外で移動させられるのかを垣間見ることができるのも魅力である。特にロダンの『考える人』や『カレーの市民』、ブールデルの『弓をひくヘラクレス』などの彫刻作品が布に包まれ、宙吊りにされる映像は胸の奥に鳥肌を立たせる。かつて美術史家のストイキツァは「作品にお手を触れないでください」という命令を出発点に、宗教施設から美術館への作品の移行を思考したが、青空の下で宙吊りにされた彫刻のイメージは「触れることができない」という神聖さを破壊するイコノクラスム(偶像破壊)的な驚きを視聴者にもたらすだろう。

『わたしたちの国立西洋美術館』は、2020年10月から1年半に渡って同美術館の整備工事に密着している。本作は所蔵品の保存修復作業やコレクションの調査研究など美術館の営みを明らかにするものであると同時に、日本の文化行政が抱える問題を突きつけるものでもある。

建築は誰が作るのか?

ここまでは(アーティストの視点からなされた穏当な)映画紹介である。だが僕がこの映画が公開された上で問いたいのは、国立西洋美術館を世界遺産登録することの是非だ。

上野公園の自然のなかにある国立西洋美術館は、近代を代表する建築家ル・コルビュジエによって設計された作品だ。1959年に竣工された同館は2016年に「ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー」のひとつとして世界遺産に登録されたが、その際にユネスコから「当初の前庭の設計意図が一部失われている」と指摘がなされた。そこで2020年10月19日から2022年4月8日までの約一年半にわたって行われた改装工事の様子が映画に収められている。

ここで第一の問いを立てたい。それは「当初の設計意図」とは何かである。国立西洋美術館の公式ウェブサイトには「本来の設計意図が正しく伝わるように、前庭を本館開館時の姿に可能な限り戻すことといたしました」と記されている。つまり「開館時の姿に戻すこと=当初の設計意図」ということだ。しかしその等式は成立するのだろうか?

前提として、コルビュジエによる一連の活動が近代建築に大きな影響を与えたことは疑いようもない事実である。1923年の著作『建築をめざして』でなされた「住宅は住むための機械である」という宣言はセンセーショナルであり、そうした思想に基づく機能主義/新即物主義的な考えから建築や人間を捉え直した住宅や宗教施設、絵画や彫刻などが数多く遺された。だが後世に大きな影響を与えたのは、建築や造形表現以上に、その制作理論のモデル化である。

最小限の柱で床面を支えることで自由で立体的な構成を可能にした「ドミノシステム」、ピロティ、屋上庭園、自由な平面、自由な立面、水平連続窓によって構成された「近代建築の五原則」、そして人間の身体比率を建築設計の単位として拡張する「モデュロール」、さらには数多くの建築家や批評家を巻き込みながら展開したCIAM(近代建築国際会議)の中核に関わるなど、彼の理論的仕事は今日に至るまで大きな影響力を持っている。私たちの生活する住居もまた、コルビュジエによって展開された一連の建築理論に関する議論がなければまったく異なるものになっていただろう。

そんなコルビュジエが戦前から構想しながら、なかなか実際に建設することができなかったのが美術館建築である。1929年の「ムンダネウム計画」における世界美術館の実現失敗以降、彼は生涯をかけて美術館建築のアイデアを練り続けた。国立西洋美術館は、晩年のコルビュジエがようやく手がけた美術館のひとつである(他にはインドのチャンディガールとアーメダバードに彼の美術館があり、ほぼ同時期に建設された)。

ひとつの発言に目を止めてみたい。それは2022年末に没した磯崎新による指摘である。磯崎は、現在の国立西洋美術館の著作者をコルビュジエと見做して良いのか、また建築とって保存とは何か、という二点を建築雑誌GAのインタビューで問うた。美術館を免震構造に変えるための改修計画の評議会のメンバーだった磯崎による提案は驚くべきものだが、ふたつの指摘を蝶番する重要な提案である。

せっかくやるなら、一度壊してオリジナルの図面をもう一度再現することにしたらどうかと提案したんです。(※1)

磯崎は、改修と再建のどちらを選んでも必要な予算は同じだと述べる。しかし「今日の保存の概念からするとまったく理屈に合わないこと」だったということで、彼の提案は退けられた。

もちろん、ふざけてそんなことを言ったのではない。彼は、コルビュジエが地震も想定せず、計算もせずにプロポーションだけを考えていたのではないかと考える。事実として、実際の設計は前川國男、坂倉準三、吉阪隆正という三名の弟子によってなされた。コルビュジエが現地を見たのは一度だけであり、日本滞在も短い。磯崎は、コルビュジエによるインドの美術館と比べて、国立西洋美術館は「あまりにちぢこまって見えます」と述べている。

インドのチャンディガール美術館も世界遺産に登録されている。Photo: Alamy/Aflo

ちぢこまった美術館

ちぢこまって見えるのはただの印象ではない。

まずインドの二つの美術館と国立西洋美術館は基本的に同じような構成である。実施図面を見比べると、一階がピロティになっており、建築の中央部に吹き抜けがあって、美術館の中心から二階展示室へと移動して螺旋状に鑑賞するという導線は共通している。また俯瞰して見た際に、正方形を組み合わせて美術館の全体が設計されているのも同じだ。ここで言う正方形とは、四つの頂点部を柱とする建築の基礎単位のことである。

しかしその正方形のサイズと数が違うのだ。インドの美術館は、正方形の、つまり柱同士の距離(スパン)が7メートルなのだが、国立西洋美術館のスパンは6.35メートルしかない。要するに、文字通り「ちぢこまっている」。さらにインドは7メートル四方の正方形が7×7個ずつ敷き詰められることによって美術館全体が大きな正方形を形作っているのだが、上野は6×6個しかない。そのため、中央部の吹き抜け(3×3の正方形)に対して周囲の導線=展示室が部分的に狭められているのだ(2スパンと1スパンの展示空間が共存している)。磯崎の指摘は、こうした図面上の縮小へと意識を向けることを促してくれるものである。

またインドの美術館における正方形のサイズと数は、1931年にコルビュジエが提案したパリの美術館案と同じものである(こちらは実際には建設されていない)。この美術館案は、後年の美術館構想のプロトタイプとなるものだ。プロトタイプもまた正方形の組み合わせによって作られたもので、そうであるが故に外向きに無限成長していくことができる。無限成長。それはコルビュジエの考える美術館を特徴づけるアイデアである。

まず1931年の美術館プロトタイプにおいても、インドや上野の美術館と同じく、中央に吹き抜けを作ることで美術館中央から鑑賞導線がはじまる。3スパン四方の空間を中央のホールとして階下(ピロティ)からの動線としつつ、その周囲に2スパンずつの幅の展示室を設けるということ(3+2+2=7スパン四方の美術館)を彼は構想した。

そのため導線は中央から外に向かって螺旋状に歩くかたちになる。そしてそうであるが故に、その展示室は外向きに増築していくことができるのだ。7メートル四方のモジュールを、建築の外側にひとつずつ展示室として追加することで、螺旋状の順路が無限に増えることこそ「無限成長美術館」というコルビュジエのアイデアの本質である。彼によると「絵画の寄付者は、その絵画が展示されるであろう壁(パーティション)、柱2本、まぐさ2本、それに5〜6 本の梁、そして数平米のパーティションを寄付する」。さらに「絵画を展示する部屋に寄付者の名がつけられる」のだという(※2)。無限成長美術館とは、美術館の収蔵庫と展示室の空間的制約を経済的に解決しつつ、美術館建築のあり方を更新しようとするラディカルな挑戦だった。

しかしコルビュジエが当初考えていた美術館の無限成長は、一度もなされていない。インドと東京の三つの美術館の、どれにおいても、だ。

磯崎によってなされた指摘と提案。それはまず「国立西洋美術館はコルビュジエの作品なのか」であり、そして「一度壊してオリジナルの図面から建設し直すこと」であった。以上のように、コルビュジエによる美術館構想の未達成な部分について建築的に(思想的かつ物理的に)向き合うことなしになされる改装工事の立脚点とは、果たして何なのだろうか。文化遺産の保存とは、既に作られたものにのみ準じてなされるべきなのだろうか。

もはや国立西洋美術館は、ル・コルビュジエが考えた無限成長するような、つまり終わることのない工事と共にあるような美術館とはかけ離れた施設であるようにも思えてしまう。実用性を欠いた事物が集積しているという点で「美術館とは墓場である」という決まり文句が述べられることがあるが、コルビュジエが構想した美術館とは墓場というよりも葬儀場のような終わることのない運動の場だったのだと僕は考えている。

つまり「当初の前庭の設計意図が一部失われている」という指摘に対する「本来の設計意図が正しく伝わるように、前庭を本館開館時の姿に可能な限り戻すことといたしました」という発想自体が、国立西洋美術館の歴史的価値に反する可能性をここで指摘したい。「当初の設計意図」における「当初」は、コルビュジエの夢のなかにも、建築が完成した瞬間にも見出すことができる。しかし二つの「当初」のあいだには、建築という物理的にも経済的にも具体的な制約を抱えた枠組みにおいて大きな隔たりがあるのだ。

ここで僕は、磯崎新によって指摘された建築の著作者と保存という問題を起点として、国立西洋美術館が世界遺産であるのなら、それはどの時点においてなのかを問うている。その「当初」は二つに分裂している。だからこそ、どちらの「当初」でもなく、「その後」を生きる私たちが問い続けなくてはならない。この矛盾の向こうには、未だに存在したことのないような美術館建築の可能性を夢見ることができるだろう。

ギャルリー・タイセイのウェブサイトではコルビュジエの美術館建築に関する資料も公開されている。

国立西洋美術館の光

しかし国立西洋美術館においてのみ達成されたコルビュジエの美術館建築への夢があることも事実だ。それは採光システムである。

コルビュジエは螺旋状の基本導線に対して、卍(スバスチカ)状に自然光と人工光を組み合わせて美術館内を照らすことを重視した。自然光を重要な光源とみなすのは、コルビュジエにおいては住宅でも顕著な考えであり、これまでもサヴォワ邸に見られるような水平連続窓による採光によって健康な生活を演出することを試みてきた。そして美術館においても自然光を主要な光源として用いることを彼は考えており、そんな卍状の自然光と人工光による上方からの採光システムが実現された美術館は国立西洋美術館だけである。

美術館中央の吹き抜け(19世紀ホール)では、屋上から太陽の光が注ぐのを現在も確認することができる。上方からの光と、上方からの光に照らされた空間は、ロンシャン礼拝堂などのコルビュジエの他の作品にも見られる建築的特殊性であり見逃すことのできないものだ。

コルビュジエにとって光とは、不変ではなく、太陽の運動と共に変化するものだった。そうした自然における運動性を建築へと取り入れようとする態度は、随所に見られる。例えば「螺旋状に成長する美術館」というアイデアは、彼の絵画の主題に照らしてみれば巻貝のイメージともつながるものであるし、ロンシャン礼拝堂はカニの甲羅のような有機的形態をしている。

正方形などの幾何学形態に、有機的な形態を組み合わせる試みは彼の絵画や彫刻において様々に実験されている。例えば、彼が「詩的なオブジェ(Poetic Object)」と呼ぶ、1920年代末ごろから絵画や素描で好んで描くようになった主題は、まさに有機的な成長や運動を画面に導入するものだ。詩的なオブジェとは、生きているものと死んだものの中間に位置する対象であり、骨や貝殻、石、松ぼっくりなどの自然物から、手袋やマッチ箱などの人工物までが含まれる(※3)。

2015年にコルビュジエの没後50年を記念して行われたポンピドゥー・センターの展示では、コルビュジエの絵画も多く公開された。Photo: Reuters/Aflo

1931年の『レア』という絵画において、キャンバスの四辺と平行に引かれたいくつもの直線が再帰的に空間や形態を区切っていく様からは、彼の幾何学への関心が伺える。しかし画面左の黄色いドアからは青白い内臓的な有機形態(牡蠣だと言われている)がせり出して浮遊しており、その他にも弦楽器、机、カーテンなどが散乱している(現在アーティゾン美術館の展覧会『アブストラクション』に展示されている)。

彼の絵画からは弁証法にも至らないような、だらしない唯物論が見て取れる。端的に言って彼の絵画は、建築と比べると不器用だ。彼と同時代の画家たちの造形言語をブリコラージュしたような、シュルレアリスムのようでありながらキュビズムの要素もある絵画やドローイング。ピジン語のような混交性。「生と死の中間領域」と表現すれば優雅だが、コルビュジエの筆致は曖昧である。ひとつ例を上げれば、黒い線の幅の揺らぎが絵画にとって何らかの効果(空間的な奥行き、あるいはオブジェたちの意味の切断と接続など)をもたらしているとは思えず、自由に線を引こうとして迷子になっているように見える。だがそうした混交的な造形言語は建築になると一挙に豊かな表現になるのだから不思議だ。

螺旋成長という生物的なエネルギーに満ちた想像力が、部分的にであれ破綻した国立西洋美術館は、それ自体がひとつの「詩的なオブジェ」のようである。つまり生と死の中間で、だらしなく重ねられた絵具のような美術館。もう成長することのない巨大生物の無臭の腐乱死体のような美術館。そこに差し込む太陽の光。それはたしかに国立西洋美術館の特殊性であるのだが、それがコルビュジエの建築的な特殊性なのかは深く考えられるべき問題である。

3DCGによるバーチャルギャラリーの様子は大成建設のYouTubeチャンネル上でも公開されている。VIDEO COURTESY OF TAISEI CORPORATION

美術館から海へ

美術館建築とは不思議である。それは歴史的遺物の保管庫であり、先端的思想の実験室であり、歴史研究所であり、教育施設でもある。本来は王宮だったが革命を通じて市民へと解放されたルーブル美術館のように王族や貴族の所有する施設の民主化によって成立した美術館もあれば、コルビュジエによって構想されたように美術館の根本的な意義や現実的な諸条件を折衷することで建設された美術館もある。日本でも高橋由一が明治期に構想した「螺旋展画閣」などの実現されなかった美術館構想があるが、それもまた既存施設の解放とは異なる思想で準備されたものだった。

その上で、コルビュジエにとっての美術館は二つに分類できる。それはムンダネウムにおける世界美術館や上野の国立西洋美術館などの歴史を空間化した施設としての螺旋状の美術館であり、もう一方は企画展のための、つまり同時代や未来についての美術館だ。その具体的なアイデアのひとつとして、これもまた実現しなかった構想として、アーレンバーグ美術館がある。

アーレンバーグ美術館は海上美術館の構想だった。それは既存の建築の解放でも、リノベーションでもなく「海の上」という空白地帯に芸術の空間を立ち上げようとするものである。ピカソやマティス、コルビュジエの作品を展示するための展示施設を、ストックホルムの海上に建てる計画。依頼主はスウェーデン人のコレクター、テオドール・アーレンバーグである。

大成建設のギャルリー・タイセイが主導して、3DCGでの再現と研究が行われたため、その計画の一部を視覚的に体験することができる。この美術館はこれまで述べてきたような、自然的な主題が、実際の自然の運動のなかで美術館化されようとしている点で一般的な美術館とは異なる。昇っては沈む太陽、打ち寄せる波。その狭間に美術作品が並ぶのだ。反射した海面のきらめきが天井で揺れる。

順路としては陸から橋を渡って美術館に入り、スロープで2階に上がった後で、1階に下りてくるという流れだ。無色のパネルで囲われた空間=エントランスを抜けると、光に溢れた空間へと入ることになる。その光は建築の内外で乱反射しながら運動し、変化し続ける。内部の吹き抜けによって結びつけられた1階と2階。再現CGを見ると、太陽光が美術館内へと大胆に差し込むのが確認できる。

おそらくアーレンバーグ美術館は現在の美術作品の保存の観点からは許されないものだろうが、そうであるが故にそんな美術館で歴史を体験してみたい気持ちになる。人類の生を超えて、宇宙的運動のなかで。もはやすべてが同時代になったような場所で、芸術はどのような営みとして捉えられるのだろう。

しかし建築は現実的だ。物理的かつ経済的な力学を無視することはできない。だから重要な問いは、現実的なものになる。その上で、建築における作者とは誰なのか。何を保存することが世界を未来に遺すことになるのか。そうした根本的な問題について考えることも必要である。

国立西洋美術館は、人々によって守られることで今も存在している。そんな姿が『わたしたちの国立西洋美術館』という映画には収められている。そして、そうして守られることで、この美術館は重要なリファレンスでありつづけるだろう。しかし「リファレンスでありつづけること」こそが、コルビュジエの作品としての国立西洋美術館が重要でなくなる可能性と背中合わせであることを忘れてはならない。「当初の意図」としてのコルビュジエの夢は、海の美術館は、私たちによって想像され直し続けなければ失われてしまう。

本稿で論じたような「想像をする」という役目は、美術館の外にいる「わたしたち」に託されているのだ。そこでは世界遺産登録の是非というレベルでの問いが必要である。


注釈
※1: 磯崎新「終わりであり、始まりである」『ル・コルビュジエ読本』(2014年、GA、199頁)
※2:山名善之「ル・コルビュジエの〈無限成長美術館〉」『ル・コルビュジエと西洋美術館』(2009年、国立西洋美術館、103頁)にて紹介されていた書簡より。本稿におけるコルビュジエの図面やスパンについての議論はこちらの論考に多くを負っている。
※3:林美佐『ル・コルビュジエと20世紀美術』国立西洋美術館、2013年、102-104頁

参考文献
磯崎新『ル・コルビュジエとはだれか』(2000年、王国社)
『ル・コルビュジエと西洋美術館』(2009年、国立西洋美術館)
『ル・コルビュジエ図面集 vol.6 展示空間』(2012年、建築資料研究社)
『ル・コルビュジエ読本』(2014年、GA)
『美術館の建築』(国立西洋美術館、https://www.nmwa.go.jp/jp/about/building.html
『アーレンバーグ美術館』(ギャルリー・タイセイ、https://galerie-taisei.jp/gallery/ahrenberg.html
Sendai Soichiro “Realization of Natural Order through Le Corbusier's Museum Prototype in Chandigarh”
(2017年、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaabe/16/1/16_23/_pdf/-char/ja
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