シャネルを率いた天才デザイナー、カール・ラガーフェルド展から考える、美術館の倫理規範
2019年に亡くなったカール・ラガーフェルドの業績を振り返るメトロポリタン美術館の展覧会「Karl Lagerfeld: A Line of Beauty」は、開催の発表直後から賛否が分かれた。その背景には、ラガーフェルドの様々な問題発言をなかったことにする企画側のアプローチがある。
負の側面に触れない展示は片手落ち?
ここぞとばかりに着飾ったセレブたちが大集合する煌びやかなメットガラで幕開けした「Karl Lagerfeld: A Line of Beauty」では、カール・ラガーフェルのデザイナーとしての才能、特にシャネルでの仕事など、彼がファッション界に残した否定しようのない足跡が賞賛されている。その一方で、物議を醸す発言が度々取り沙汰された伝説のデザイナーに、美術館での回顧展という究極の栄誉を与える判断をしたメトロポリタン美術館(以下、MET)への批判の声も聞かれた。イギリスの俳優で活動家のジャミーラ・ジャミルは、400万人ものフォロワーがいる自身のインスタグラムで、ラガーフェルドは「偏見の持ち主として有名」だと非難している。
ラガーフェルドの人生最後の10年に当たる2010年代は、社会的・政治的な意識がファッション界に浸透していった時期だが、彼はそうした潮流に乗ることができなかった。挑発的な言動で知られる彼は、さまざまな場面でボディポジティブ(あらゆる体型を肯定するムーブメント)や移民、難民、そして#MeToo運動を否定するような発言──例えば、「ふくよかな女性など誰も見たくない」や、「パンツを引っ張られるのが嫌ならモデルになるな」という──を繰り返した。
7月16日まで開催されたMETの展覧会では、ラガーフェルドの独創的なプロセスと革新的なテクニック、そして彼のデザインの発想源となった数々の歴史的、芸術的引用や彼の個人コレクションに焦点を当てている。ラガーフェルドの戯画的なキャラクターとユーモアは展示作品や解説文に表れているが、その軽率な態度の影響については展覧会の図録で控えめに触れられているだけだ。この展覧会では、天才デザイナーとしてのラガーフェルドの一側面を、大きな欠点を持つ人間という別の側面から切り離すという明確な選択がなされている。
しかし、この選択は問題を孕んでいると指摘する人々もいる。ニューヨークのミュージアム・オブ・アーツ&デザイン(MAD)で近現代アート、工芸、デザインのキュレーターを務めるアレクサンドラ・シュワルツもその1人だ。
「ラガーフェルドのような巨人を、その業績ごと拒絶してしまえば、非常に大事なものを捨て去ることになります。そこには多くの革新性と創造性がありますから。とはいえ、問題が存在しないかのように装っても誰も得をしません。それは確かに存在し、しかもラガーフェルドだけの問題ではないからです」
アルドリッチ現代美術館(コネチカット州)での「52 Artists: A Feminist Milestone」(2022-23)や、MoMA PS1(ニューヨーク)での「Modern Women: Single Channel」(2011)など、フェミニズムやジェンダーの視点、そして女性のパワーをテーマにした展覧会を企画してきたシュワルツは、こう指摘する。
「このような人物を取り上げるのであれば、美術館はそのアーティストの仕事のポジティブな面だけでなく、ネガティブな面にも目配りをする責任があります。それもストーリーを構成する一部なのですから」
ブルックリン美術館でファッションとマテリアルカルチャーを担当するシニアキュレーター、マシュー・ヨコボスキーは、「アート作品をアーティスト抜きで、単なるオブジェとして」見せる方法は、「20世紀半ばのアプローチ」であり、更新が必要だと述べている。「デザインにはデザイナーの人となりが反映されていることが多く、その2つを切り分けて考えるのは非常に難しい」とヨコボスキーは言う。「だからといって、作品だけを見るのがいけないというわけではありません。ただ、そのアーティストに関する情報がほかにもあるのなら、それを取り上げるほうがより面白い展示になるはずです」
今日の社会で求められるキュレーションの方向性
21世紀的なアプローチでファッションの展覧会を企画するには、クリエイターの生い立ちや経験、行動など、その人物像に迫るための情報をより多く取り入れることに加え、日々進化する社会潮流に合致するよう気を配る必要がある。それと同時に、「なぜ、そうした問題に関心を持たなければならないのか?」という問いへの答えを提示することが望ましい。
「もちろん、作品だけを見せることも可能です。ただ、人々はそれ以上のものを求めていると感じることが少なくありません」と、ニューヨークのファッション工科大学(FIT)が併設するFITミュージアムのディレクター、ヴァレリー・スティールは語る。
彼女はさらに、FITの若手キュレーターたちが、持続可能性やレプリゼンテーション(*1)といったテーマに取り組んでいることを強調した。たとえば、アソシエイトキュレーターのエリザベス・ウェイは「Black Fashion Designers」という展覧会を企画。2016-17年に開催され、賞を受賞したこの展覧会では、これまで過小評価されていた60人の才能あるデザイナーの仕事を、「黒人のスタイル」という十把一絡げの枠にはめることなく紹介している。
*1 ここでの「レプリゼンテーション(representation)」とは、メディアなどに登場する人々の偏りをなくし、属性ごとのステレオタイプな描き方をなくそうという問題意識。
スティールはこう続ける。「どうしても個人崇拝になってしまう傾向があるので、私たちは単独のデザイナーに焦点を当てた展覧会を企画することはあまりありません」。FITミュージアムでは例外として、イザベル・トレドやラルフ・ルッチなど、さほど知名度が高くないデザイナーの展覧会を開催しているが、スティールによると、これらのデザイナーが展覧会のスポンサーになることはなかったという。
一方、シャネル、フェンディ、カール・ラガーフェルドなどのブランドが後援する「Karl Lagerfeld: A Line of Beauty」のように、大規模展の場合は関係企業がスポンサーに付くことがめずらしくない。しかし、こうした商業的な関係性は、ブランドを美化することを優先し、客観的なストーリーテリングを歪めかねないとして疑問視されることが多い。
「私たちは、ファッションについての知識を深められる展示を心がけています。あるテーマを立て、それに沿って構成したほうがその目的を達成しやすいのは、展覧会全体の文脈の中で個々のデザイナーを捉えられるからです」
アンドリュー・ボルトン率いるコスチューム・インスティテュート
METは、2011年に行われたアレキサンダー・マックイーンの回顧展「Alexander McQueen: Savage Beauty」や、2014年のチャールズ・ジェームス回顧展「Charles James: Beyond Fashion」のような、単独のデザイナーに焦点を当てた展覧会で高く評価されているだけでなく、特定のテーマに基づく前衛的な企画でも抜きん出た存在だ。そうした展覧会の多くは、同美術館のコスチューム・インスティチュートのキュレーター、アンドリュー・ボルトンが手がけている(ボルトンはラガーフェルド展に関するコメントは控えるとした)。
2016年にMETの首席キュレーターに就任して以来、ボルトンは抽象的でコンセプチュアルなテーマや形式を選び、ファッション関連の展覧会に知的なエッジを与えてきた。その代表例が、2部構成の展覧会「In America: A Lexicon of Fashion」(2021-22)と「In America: An Anthology of Fashion」(2022)だ。ノスタルジア、力強さ、帰属意識など、アメリカの感情的特性を反映した数々のスタイルをパッチワークのように構成した「Lexicon」展は、この国の服飾文化における多様なアイデンティティを伝えるため、最先端を走る現代のデザイナーに重点を置いた。ここでは、ラルフ・ローレン、マイケル・コース、マーク・ジェイコブスといったアメリカを代表する有名デザイナーの仕事が、ネイティブアメリカンのジェイミー・オクマ、メキシコ系アメリカ人のウィリー・チャバリア、韓国生まれのジ・ウォン・チョイのデザインと共に展示されている。
一方「Anthology」展では、アメリカ特有のスタイルがどのように生まれてきたのかを振り返りながら、ファッション産業の発展を見せるため、METのアメリカン・ウィングの展示室を舞台装置にして物語性のある展示が披露された。アメリカン・ウィングには、奴隷を所有していた大農園主の屋敷の内部など、時代ごとの生活空間を再現した展示室が複数ある。この展覧会は、そうした生活様式の背後にある複雑な歴史に触れながら、ファッションの歴史をより重層的に紹介することを目指した。たとえば、ジャッキー・ケネディの有名なウェディングドレスをデザインしたアフリカ系アメリカ人女性のデザイナー、アン・ロウにもスポットが当てられている。その当時、彼女の存在は、「社交界で最も固く守られた秘密」だったという。
ラガーフェルド展に欠けていた視点
METのラガーフェルド展が開かれたのは、この説得力ある2部構成の展覧会のわずか1年後で、しかも、同美術館が包摂性や倫理的な責任を考慮してコレクションを大幅に見直す中でのことだった。こうした事実が、時代に逆行するこのデザイナーの態度への問題意識の欠如をより際立たせている。
ラガーフェルド展の構成は確かに独創的だ。2019年にMETが開いた「Camp: Notes on Fashion」展がスーザン・ソンタグのエッセイからヒントを得ていたように、ラガーフェルド展の構成と内容は、ウィリアム・ホガースの1753年の著作『美の解析』から着想されている。だが近年のMETの展覧会とは異なり、今回は美とエンタテインメント性を優先するあまり、真実を重視したストーリーはないがしろにされたようだ。
展覧会の最後のセクションでは、ラガーフェルドの皮肉屋な一面が紹介されている。そこに並ぶラガーフェルドブランドの服や小物には、彼の似顔絵が描かれており、その近くには、この展覧会で最も奇妙な展示がある。METのウェブサイト上で見られる動画でボルトンが「エコーチェンバー(*2)」と説明していた小部屋には、ラガーフェルドが撮影現場で大笑いしている映像や、彼にしては比較的おとなしめの放言を編集した動画を表示する数十台のiPhoneが並んでいる。
*2 ソーシャルメディア上で自分と似た考え方の人々の意見に触れ続けることで、ますます自分が正しいと考えるようになる状況。もともとは音響実験に使われる残響室のことを指す。
「してはいけないことをしなければならない」、「私には人間的な感情がない」、「政治的に正しくないことをするのが好きだ……ポリコレは我慢ならない」といった、いわゆるカール語録を盛り込んだのは、このデザイナーの放言癖にそれとなく触れるためなのだろう。同様に、展覧会の図録ではラガーフェルドの「時に恐ろしい言葉」に言及してはいるものの、それ以上詳しい説明はない。ラガーフェルドの放言は、次第に多様な属性の人々への偏見に満ちた暴言へとエスカレートしていった。それに触れようとしないこの展覧会は、ラガーフェルドの言葉が及ぼす深刻な影響を軽視していると言わざるを得ない。
ジョン・ガリアーノやドルチェ&ガッバーナの問題
ブルックリン美術館のヨコボスキーはこう語る。
「キュレーターとして、デザイナーのクリエイティブな才能を支持するか、彼らの褒められない言動について躊躇なく説明するか、決断を迫られることがあります」
ディオール設立70周年を記念し、世界各地を巡回する「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展を2021年から22年にかけてブルックリン美術館で開催したときにキュレーションを担当した彼も、似たような課題に直面したという。「ブルックリン美術館では、賛否が分かれる話題を避けないようにしています」とヨコボスキーは言い、現在同美術館で開催中のパブロ・ピカソ展でピカソのネガティブな面を取り上げていることを例に挙げた。「ディオール展を開催すると決めたとき、私たちがまず話し合ったのは、ジョン・ガリアーノについてどう語るべきかでした」
この展覧会では、クリスチャン・ディオールと彼の後を継いだ6人のクリエイティブディレクターの仕事が紹介された。その中には、1997年から2011年までこのメゾンを率いたイギリスのファッションデザイナー、ジブラルタル生まれのガリアーノもいる。ガリアーノの差別的な振る舞いについては、彼のセクションの冒頭に掲げられた解説文で簡潔かつ直接的に語られていた。ただし、彼の辛辣な言葉をただ引用するのではなく、それを巡る文脈とともに提示している。
解説文にはこう書かれていた。
「1999年と2000年、ガリアーノは『マトリックス』と『レ・クロシャール』と呼ばれるコレクションを発表し、さらに豪華なスタイルへと向かいました。ホームレス状態にある人々の服を美化したような後者のコレクションに疑問を呈した人々に、彼はチャーリー・チャップリンが演じた役柄の中で最も有名な放浪者にインスパイアされたと主張。やり過ぎではないかとの質問には、『無趣味より悪趣味の方がマシだ』と答えています。そして、2011年には反ユダヤ主義的な発言に端を発したスキャンダルで、ディオールの職を追われました。とはいえ、彼がディオールのアーティスティックディレクターを務めていた時期に、たぐいまれな創造性が発揮されていたことも事実です」
かつての問題行動が現在のガリアーノの地位にどれほど影を落とし続けているかについて、ヨコボスキーは次のように語った。「ガリアーノは物議を醸した自分の行動について、これまで機会があるごとに率直に答えてきました。彼はキャンセルされていませんし、作品を発表できています。とはいえ、もしあのようなひどい事件を起こしていなかったら、おそらく既に彼の回顧展が開かれていたでしょう」。
ドルチェ&ガッバーナについても同じことが言えるかもしれない。人種差別的な広告(最も悪名高いのは、中国人モデルが箸を使って不器用にスパゲッティを食べているもの)をはじめ、創業者の2人は体外受精や代理出産、同性カップルによる養子縁組を否定するような発言で度々問題を起こしている。ヨコボスキーはこれまでドルチェ&ガッバーナをブルックリン美術館で展示したことはない。そして、今後企画する展覧会の文脈の中でそれを見せるべきだと思われるときは、その都度慎重に判断するだろうと話す。
「たとえば、マドンナの展覧会をやるとして『ザ・ガーリー・ショー』ツアーのドルチェ&ガッバーナの衣装を入れるべきか? あるいは、俳優のスーザン・サランドンについての展覧会で、彼女がアカデミー賞を受賞したときに着ていたドルチェ&ガッバーナのドレスを入れるべきか?」
FITミュージアムのスティールは、真実味のある、事実に基づいたストーリーテリングを支持していると語った。
「ファッションに関して人々の意見は極端に走りがちです。ネットで『ココ・シャネル』を検索して出てくるのは、『女性の解放者、天才、これとこれを発明した』という文脈か、『ナチスのスパイ』という文脈のどちらかです。白か黒かではなく、機微を押さえた視点で語られているものはほとんどありません」
負の側面をどう伝えるべきか
シャネルが協賛する巡回展「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de Mode」に関しては、世界有数の2つのファッション関連の美術館がそれぞれ異なるアプローチを取った。2021年にパリ市立モード美術館(ガリエラ宮)で始まったこの展覧会は、ラガーフェルドの展覧会と同様、デザイナーの創作活動だけに焦点を当てたことで批判を浴びている。
「彼らが見せたかったのはデザイナーとしてのシャネルです。そして、デザインは服飾についての展覧会で見せることのできる数少ないものの1つです」
そう語った上でスティールは、図録の文章や会期中のシンポジウムなど、デザイナーについての追加情報を提示できる方法はあると付け加えた。「デザイナーの人生についての深い解釈を、作品を通して見せるのは、なかなか難しいことです」。ちなみに、パリの展覧会では、シャネルがドイツ軍将校と愛人関係にあったことで1944年に逮捕されたという事実は、図録巻末の年表で触れられている。
今年9月、より総合的なアプローチでシャネル展を開催するロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の広報担当者は、US版ARTnewsにこう語った。
「私たちは、第2次世界大戦中の彼女の行動を含め、シャネルの歴史の中で物議を醸した出来事も避けずに取り上げる予定です。展覧会では、1939年に勃発した戦争が彼女の私生活と仕事に与えた影響について解説する『Closing the House』と呼ばれるセクションを設けました」
美術館は今後、ファッションデザイナーに関連する企画において明確な倫理規範や方針を定めていくのだろうか。
「美術館が単独のデザイナーの展覧会を開くと、往々にして美術館がそのデザイナーを賛美しているように受け止められます」
スティールはそう語りつつ、白か黒かではなく微妙なニュアンスが伝わるような方法でアーティストを見せる例がアート界にはあると指摘する。彼女が挙げたのは、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーで8月27日まで開催中のフィリップ・ガストン展だ。この巡回展は、ガストンが人種差別を糾弾する意図でクー・クラックス・クランの仮面とローブをまとった人物を描いた絵が、逆に問題視されるのではないかという懸念から、いったん延期されている。それは、2020年に黒人男性のジョージ・フロイドが警察官に殺害され、BLM運動が広がる中での決断だった。
スティールは「この展覧会はアーティストを賛美するものでも、糾弾するものでもありませんでした」と説明し、一筋縄ではいかないテーマに公平なアプローチを取ったこの展覧会を、ファッションキュレーターたちも参考にできるのではないかと考えている。そして、「デザイナーをキャンセルすることと、高らかに賞賛すること」の間にある広大な中間領域を探求することを提言している。(翻訳:野澤朋代)
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