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ウェス・アンダーソン監督の新作「フレンチ・ディスパッチ」、モデルになった実在の画商

20世紀前半において、ジョセフ・デュビーンほど美術市場に大きな貢献をした画商はいない。デュビーンは超富裕層へオールドマスター(18世紀以前のヨーロッパの巨匠の作品)を売って財を成したことで知られている。

ウェス・アンダーソン監督「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(2021)。1月28日から全国で公開予定 Courtesy Fox Searchlight Pictures
ウェス・アンダーソン監督「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(2021)。1月28日から全国で公開予定 Courtesy Fox Searchlight Pictures

「1939年に69歳で亡くなる前にミルバンクのデュビーン男爵となった彼は、ヨーロッパには大量の美術作品があり、アメリカには大量のお金があることに注目しました。デュビーンの驚くべきキャリアの全ては、この単純な観察の賜物だったのです」。1951年のニューヨーカー誌の記事、「The Days of Duveen(デュビーンの時代)」で、S. N. バーマンはこう書いている。

バーマンの記事は、ウェス・アンダーソン監督の最新作「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(以下、「フレンチ・ディスパッチ」)にインスピレーションを与えた。この映画では、4人のジャーナリストと彼らのエピソードが描かれている。

ニューヨーカー誌へのオマージュである「フレンチ・ディスパッチ」はオムニバス構成になっており、それぞれのエピソードで映画のシーンがある。一つ目のエピソードは「確固たる名作(The Concrete Masterpiece)」で、フレンチ・ディスパッチ誌の記者であるJ. K. L. ベレンセン(ティルダ・スウィントン)によって、画商のジュリアン・カダジオ(エイドリアン・ブロディ)が紹介される。

デュビーンとカダジオは、自分こそが価値を決定する権威者であると考えていたこと以外は、ほとんど類似点がない。デュビーンは、アンドリュー・メロン、J. P. モルガン、ヘンリー・クレイ・フリック、ベンジャミン・アルトマンなどに美術品を売り、当時のアメリカの伝説的な大富豪たちの好みを作り上げた。

彼が考え出したトリックは、天文学的な価格で購入することで、それらの作品が非常に価値のあるものだと顧客に納得させるというものだ。ニューヨーカー誌によると、デュビーンはある貴族の肖像画をイギリス貴族の女性から購入する際、彼女が当初要求した1万8000ポンドではなく、2万5000ポンドで売るように説得したことがあるという。

彼は、それが法外な金額で売れるとわかっていたので、道義として彼女から不当に奪うようなことはできなかった。また、自分の購入提示額を上げることで、後でより高い金額を請求できることを知っていた。つまり、彼は自分の商品の価値を巧妙な策略でつり上げたのだ。

デュビーンはヨーロッパで王冠にはめられていた宝石を手に入れ、大西洋を越えてアメリカに持ち込んで先祖伝来の家宝がない新興裕福層に売り込み、巨額の利益を得た。デュビーンの話がやや古臭く感じられるのは、彼がいかに物議を醸した人物であったかを私たちがあまりにも簡単に忘れてしまったからではないだろうか。

彼は、騒動を呼ぶ天性の資質と激しい競争心のために、あらゆるトラブルに巻き込まれた。たとえば1921年、ある顧客が別の画商から買おうとしていた16世紀のイタリア絵画をデュビーンにうっかり見せたところ、その絵画を一目見た彼は、鼻の穴を膨らませて哀れむように首を振り、「新しい絵具の匂いがする」と言ったという。

作品が偽物であるかのようなこの発言のために何年にもわたって訴訟が行われ、デュビーンは57万5000ドル(現在の1400万ドルに相当)の和解金を支払うことになった。

カダジオも、デュビーンのように市場を独占して自分の考えを押し通すためにはどんな犠牲もいとわない。ただ、アンダーソン監督は、必ずしも歴史的な正確さに関心を払ってはいない。デュビーンが魅力的な人物だったのに対し、カダジオは攻撃的で、エッジが効いた問題児だ。カダジオのような人物が、メロンやフリックといった石油ブーム初期の富裕層の周囲にいたとは想像できない。

「フレンチ・ディスパッチ」では、カダジオが脱税の罪で刑務所に服役する。刑務所のアートセラピーの授業で彼は、架空の人物であるモーゼス・ローゼンターラー(ベニチオ・デル・トロ)が描いた絵に出合う。

光り輝く中心部から伸びるピンク、紫、そして赤の大胆なストロークが黒い色の中に消えていくその絵は「Simon Naked Cell Block J Hobby Room(裸のシモーヌ、独房J棟、趣味室)」と名付けられ、現代美術史上初の真の傑作として描かれている。

ローゼンターラーは、恋人でもある看守のシモーヌ(レア・セドゥ)にヌードモデルをしてもらい、抽象絵画を描き上げる(この画家は、二人の男を殺した罪で刑務所に入っている。一人は事故で、もう一人は正当防衛だった)。カダジオは、デュビーンの逸話にあるように、ローゼンターラーの希望額よりもはるかに高い金額でこの絵を購入し、彼の叔父に、ある計画を持ちかける。

カダジオは、オールドマスターを売るのをやめて、現代美術を推していかないかと提案。そして、ローゼンターラーの才能を確信させるために、彼が45秒で描いたスズメの絵を見せる。「パーフェクト」というカタジオのお墨付きで。ローゼンターラーの方は、具象画も描けるけれども抽象画のほうがいいと思っている。カタジオは、それに「まぁ同意している」という態度だ。

カダジオはこの絵を各地に巡回させ、ローゼンターラーの作品をもっと見たいという人々の関心を喚起する。3年後、カダジオは顧客のためにローゼンターラーの新作を鑑賞する機会を設けた。それはギャラリーではなく、ローゼンターラーが収監されている刑務所内での展示だ。ここで、監督アンダーソン流のドタバタ劇が繰り広げられる。

デュビーンやカダジオのような人物の本質に関して、「画商は口で言うほどアートを愛しているのか、それとも本当は金儲けに夢中なだけなのか」という古くからの疑問がある。デュビーンの場合、それがまったくわからない。ニューヨーカー誌でデュビーンのことを取り上げたバーマンは、「彼が扱った絵画、タペストリー、彫刻は、どれもこれも最高のものだった」と書いている。

カダジオに関しては、この疑問への答えは明確だ。刑務所を訪れたカダジオは、ローゼンターラーの新作を見て、これは売れると即座に判断する。しかし、ちょっとした問題があった。ローゼンターラーは刑務所の壁に直接絵を描いたのだ。カダジオは褒め言葉を撤回し、この画家を侮辱し始める。刑務所の壁なんてどうやって売るのだ? 何という大失敗なんだ!

しかし、アンダーソン監督はカダジオに救いを与えた。彼は、この売れない作品を愛するようになるのだ。そして、この心の変化がおとぎ話のような恵みをもたらす。アメリカの有名なコレクター、アップシャー・“モー”・クランペット(ロイス・スミス)が、刑務所から作品を空輸する費用を負担し、カンザスの彼女のコレクションに加えるというのだ。

現実の世界では、たとえデュビーンでも、すばらしい芸術作品のためとはいえ、J. P. モルガンのような人物にそこまでしてもらえることはありえないだろう。(翻訳:平林まき)

※本記事は、米国版ARTnewsに2021年10月25日に掲載されました。元記事はこちら

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