そこにある気配、時間や次元の層──原爆の記憶を語り継ぐ表現者【アーティストは語る Vol. 4 冨安由真】
いまを生きる日本のアーティストたちの声を届ける連載。その第4回で紹介するのは、現実と非現実の狭間や、目に見えない、科学で証明できない現象を見る者に疑似的に体験させる、絵画や大型インスタレーションを制作する冨安由真。今夏、被爆3世である自身のルーツと向き合った作品を発表し、アーティストとしてひとつの転換点を迎えた冨安に、現在の創作に対する思いなどを聞いた。
創作の原点は異世界への興味
──冨安さんが描かれる肖像画は、モチーフの顔が無かったり、画中にオーブが飛んでいたりと、どこか不思議な要素がありますね。創作のベースになってるものを教えてください。
小さいころから心霊や超常現象など、科学では解明できない現象や存在にすごく興味がありました。テレビのバラエティ番組をそんなに見ない家庭だったのですが、心霊番組だけは見せてほしいと親にお願いしていました。同時に、実際に心霊体験もしていて、頻繁に金縛りにあったり、家の中で人の形をしたものや人魂を見たりしていました。児童文学が好きで、小学校3・4年生の頃の愛読書は、福永令三の「クレヨン王国」(講談社文庫)シリーズ。私たち人間のいる世界とは異なる場所に心惹かれていた記憶が創作イメージの基になっていると思います。
──ロンドンの大学でアートを学んだ経験も影響を与えていますか?
イギリスに行ってみて、オカルト的なものが広く文化に浸透している印象を受けました。大学の先生に、オカルトのジャンルで作品制作をしたいと伝えたら、先生もこのジャンルに詳しくて、親身になって相談にのってくれました。日本では、オカルトと言うだけで色物扱いされることも多いですが、イギリスではそういう反応をされたことはなく、学術的な立ち位置を学べたように思います。
ロンドンの蚤の市では19世紀や20世紀初頭の個人の肖像写真が多数売られているのですが、そうした当時の写真の絵画的な雰囲気に惹かれて集めはじめたところ、次第に心霊写真にも興味が広がりました。心霊写真は、19世紀頃に欧米圏で流行して、その後日本にも入ってきましたが、基本的には捏造だったんです。でも、たまに虚構ではない可能性のあるものがあって、面白いなと思います。例えばオーブは、基本的には、ほこりにフラッシュの光が写り込んだものというのが一般的な認識ですが、友人から、オーブの一つ一つが人の顔になった写真を見せてもらったことがあります。私自身、子どもの頃に撮った友達との記念写真に、飾っているうちに最初はなかったオーブが浮き出てきたこともありました。
年月を重ねたものには強さがある
──「KAAT EXHIBITION 2020 冨安由真展|漂泊する幻影」(2021年、KAAT 神奈川芸術劇場、 神奈川)、「瀬戸内国際芸術祭 2022」(2022年、豊島、香川)などでは、廃墟を会場に選んだり、廃墟で見つけたものを展示するというインスタレーションを発表されていました。その意図は何でしょうか。
長い年月を重ねた物には、ある種の重みや強さのようなものが備わっています。私は、インスタレーションを通して時間や次元の層を作りたいんです。会場の廃墟を描いた画中画のような油彩は、絵画であれば二次元、立体は三次元といった通常の区分を超えて、多層化した次元を行き来するような体験をしてほしいという意図で制作しました。
アーティストとして向き合った、被爆3世というルーツ
──原爆の図丸木美術館で開催中の個展「影にのぞむ」では、自身が広島の被爆3世であることに向き合われたインスタレーションを展示されています。冨安さんのルーツと、作品制作の経緯を教えてください。
広島に住んでいた母方の祖父母が、爆心地から1.5キロの距離で被爆しました。その経験について祖父母は自ら語ろうとしませんでしたが、私が中学3年の時に、身近な人に戦争体験を聞くという課題があり、その時に一度だけ祖母が原爆の体験を話してくれました。8月6日の朝は外出の予定があったのですが、たまたま用事で遅れ、室内にいたので命が助かったのだそうです。救護所で、夜に暗闇の中トイレに行ったら全身やけどの女の子がいて、思わず悲鳴をあげてしまったことを生前最後まで悔やんでいたようです。
今回は、母校の中学校経由で丸木美術館の学芸員の方と繋がり、展示の機会をいただきました。中学3年の時に課外学習で訪れた丸木美術館で、丸木位里・俊夫妻が描いた「原爆の図」シリーズを初めて見て衝撃を受けて以来、私もいつか表現者として何かを伝えられるような作品を作りたいと思っていたので、光栄でした。
──今回初めてリサーチベースで制作されましたね。
実際に被爆された方がいる以上、事実を知らずに作品を制作することはできません。祖母の体験をベースにしても作品を作れたかもしれませんが、戦後78年が経過し、被爆者がご高齢になっていく中で、お話を聞けるうちに、なるべく多くの方にお会いして作品につなげたいと思いました。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の紹介で、関東在住の15人に体験談を聞くことができました。
──体験談を聞くなかで、特に印象に残ったエピソードはありますか?
爆心地近くで直接被爆され、体験談は辛すぎて話せないと言っていた方が、「原爆の図は美しすぎる」と吐露したんです。芸術家はどうしても美しく描いてしまうけれど、実際にはもっと凄惨な状況だったと。私は原爆の図は本当にすごい作品だと思っていますが、それでも当然のことながら、現実には追いつけないのだなと考えさせられました。
──会場には、手のモチーフがぶら下げられていますね。
手は象徴的なものだと思うんです。祈りを表すものでもあるし、その人の人生が刻まれているものでもある。「助けて」と縋る手を振り払ってしまったこと。やけどで腕の皮が剥け、痛みを軽減するために幽霊のように手を掲げながら歩く人々。そうした手にまつわるエピソードが強く記憶にありました。そこで、体験者の方々の両手を樹脂で型取りさせてもらったんです。展示会場には、それら30個の手を吊り下げています。
──インスタレーションは、白、オレンジ、青のライトで順番に照らされていました。それは何を意味していたのでしょうか。
原爆が落ちる前の日常と原爆が落ちた瞬間、落ちた後の時間の流れを鑑賞者に想起してもらいたくて、3色のライトを選びました。また、30個の手の断面部分に付けた鏡に光が反射し、小さな灯りが会場中を浮遊するようにしました。それは、被爆者の証言にもよく出てきた、亡くなった方たちの遺体から浮かび上がる人魂をイメージしています。
演出は音を使わず、光のみにしました。「原爆の図」シリーズをすべて見た後に、私の展示室に至るという動線になっているので、私の展示室では余計な音を排除し、静かな空間の中で今一度「原爆の図」について反芻してほしかったんです。
──今回のプロジェクトから得た新たな気づきはありますか。
体験談から、戦争は個人の人生を滅茶苦茶にするのだと改めて痛感しました。今でもその時のことを夢で見るという方や、自分だけが助かってしまったと自身を責め続けている方のお話を聞いて、78年経った今でも、心の傷となって消えていないことを知りました。実際の体験を語れる方が亡くなっていく中、どうにか語り継がなければいけないという使命感から、これまで口を閉ざしてきた方が証言し始めていると聞きます。誰かがその思いを引き継がなければいけない。私の作品を通して、そのことを伝えられれば良いと思います。
Photo: KAORI NISHIDA
冨安 由真「影にのぞむ」
会期:7月8日(土)~ 9月24日(日)
会場:原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市下唐子1401)
時間:9:00 ~ 17:00
冨安由真(とみやすゆま)
1983年東京都出身。2012年ロンドン芸術大学 Chelsea College of Arts, MA Fine Art科修了、2017年東京藝術大学大学院美術研究科 博士後期課程美術専攻(研究領域油画)修了、博士号(美術)取得。主な展覧会に「KAAT EXHIBITION 2020 冨安由真展|漂泊する幻影」(2021年、KAAT 神奈川芸術劇場、 神奈川)、「アペルト15 冨安由真 The Pale Horse」(2021-22年、金沢21世紀美術館、石川)、「The Doom」(2021-22年、ART FRONT GALLERY、東京)、「瀬戸内国際芸術祭 2022」(2022年、豊島、香川)「Paintings from かげたちのみる夢 Remains of Shadowings」(2023年、ART FRONT GALLERY、東京)ほか。