遺跡ファン必見! 世界的遺跡・建造物の穴場スポット13選
世界には、ストーンヘンジ、ポンペイ、マチュピチュなど、人気観光スポットとなっている素晴らしい史跡が数多くある。しかし中には、その重要性や魅力が劣るわけではないがさほど知名度が高くないものも。ここでは、そうした13の「穴場的」遺跡や歴史的建造物を厳選して紹介する。
1. ドムス・アウレア(イタリア)
ドムス・アウレアは、ラテン語で「黄金の家」を意味する古代ローマの大宮殿。紀元64年の大火でローマの大部分が焼失した後、皇帝ネロが彼の最初の宮殿ドムス・トランジトリアに代わるものとして建設した。古代ローマ史上最も豪奢な建造物の1つである3階建ての宮殿は300以上の部屋を有し、敷地面積はコロッセオの25倍もあったという。
巨大な黄金のドーム、半貴石や象牙がはめ込まれた天井、モザイク画、フレスコ画、白い大理石が敷き詰められた部屋など、ドムス・アウレアには数々の贅沢な装飾が施されていた。また、ネロが好んで開いていた享楽的な宴のための設備も充実しており、敷地内にはプールや噴水、人工池、ブドウ畑、トウモロコシ畑、林などがあった。しかし、ネロの豪勢な暮らしぶりは、ローマ市民の犠牲の上に成り立つものだった。ドムス・アウレアは後代の皇帝たちから反道徳的で恥ずべきものだと見なされ、徐々に建て替えられていった。現代になり、休止を挟みながら長期にわたって修復作業が続けられ、今は宮殿の一部が公開されている。
2. ナスカの地上絵(ペルー)
ペルー南部にある世界遺産、ナスカの地上絵は、自然の素材を使って地面に刻まれた大規模な絵だ。これらの地上絵には、1000以上の直線や幾何学図形、動植物があり、先史時代のナスカの人々によって紀元前200年から紀元600年の間に描かれたと考えられている。ここでは飛行機に乗って上空からサルやハチドリ、トカゲ、シャチなどの絵を見ることができる。地上絵が何のために描かれたのかについては、いくつかの説(神々を描いたもの、灌漑の一種、天体の動きを記した暦など)があるが、本来の目的が何だったのかは分かっていない。
3. 東大寺(日本)
聖武天皇が740年代前半に発した国分寺建立と大仏造立の詔によって建設が始まった東大寺は、当時の日本で最も大きな建造物だった。インドに発祥した仏教が日本に伝来したことを示し、天皇の権力と威信を誇示するこの寺を建てるため、国中から高い技術力を持った職人たちが集められた。しかし、建設のために重税や労役などを課された民衆は、その負担に辛苦したという。東大寺は12世紀と18世紀に再建され、現在は「古都奈良の文化財」として、ユネスコの世界遺産に登録されている。本堂には17世紀に修復された大仏が鎮座しているが、約15メートルの高さがあるこの青銅の仏像は、同種のものでは世界一の大きさを誇る。
4. ティカル(グアテマラ)
「ティカル国立公園」として世界遺産に登録されている古代マヤ文明の都市ティカルは、南北アメリカ大陸で発掘された中で最大級の遺跡。グアテマラの熱帯雨林に点在する建造物からなるこの古代都市は少なくとも120平方キロメートルの広さがあり、紀元300年代から800年代にかけて栄えた頃には6万人から10万人が住んでいたとされる。
ティカルで発掘された建造物のほとんどは8世紀に建設されたもので、主なものには儀式が執り行われていた階段ピラミッド型の神殿、宮殿、公共の広場や球技場用の広場などがある。スペイン人征服者エルナン・コルテスが1525年にこの付近を通過していたが、密林に隠されていた都市遺跡は1848年にグアテマラ政府が探検隊を派遣するまで再発見されることはなかった。ティカルがなぜ衰退したのか、はっきりした理由は解明されていない。
5. レプティス・マグナ(リビア)
現在のリビアに位置するレプティス・マグナは、カルタゴ帝国からローマ帝国の時代にかけて栄えた都市。紀元前7世紀にフェニキア人によって建設され、紀元前650年頃にカルタゴ帝国に吸収された。3回にわたるポエニ戦争(紀元前264〜146年)でローマがカルタゴを征服してからは、ローマ帝国の植民地となった。
紀元2世紀から3世紀にかけて、この都市出身のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスが街を拡張。巨費を投じて「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」や「セウェルス朝のバシリカ」などの巨大建造物を新設した。現在のチュニジアにあるカルタゴや、エジプトのアレクサンドリアに匹敵する規模だったレプティス・マグナは、北アフリカで最も大きな都市の1つとなったが、津波や数度の侵略を経て衰退し、紀元1000年までにはフムスの一部となった。なお、「レプティス・マグナの考古遺跡」を含むリビアの5つの世界遺産は、2016年に危機遺産に指定された。
6. ジュガンティーヤの神殿群(マルタ)
マルタ語で「女性の巨人」を意味するジュガンティーヤは、現在のマルタ共和国のゴゾ島にある巨石神殿群。石灰岩でできたこれらの自立型の建造物(中には高さ6メートルを超えるものもある)は、巨人によって建てられたという伝説がある。およそ5500年前にさかのぼると推定されるこの神殿群は、新石器時代のごく初歩的な技術と石器のみを用いて建設され、古代の豊穣神を崇めるために使われていたのではないかと考古学者たちは考えている。ストーンヘンジやエジプトのピラミッドよりも古い、世界最古の自立型遺跡の1つであるジュガンティーヤは、「マルタの巨石神殿群」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された。
7. テル・バナト(シリア)
シリア北部で部分的に発掘されたこの墳墓は、世界最古の戦争記念碑と言えるかもしれない。紀元前3000年紀に作られたテル・バナトの高さは約22メートル。石膏でできた墳墓が太陽の光でキラキラと輝くことから、「白いモニュメント」として知られている。当初、ここに住んでいたメソポタミアの人々が敵を埋葬した墓だと考えられていたが、その後の調査によって、一部分は戦死した仲間を祀るために作られた可能性があることが分かってきた。戦死者の遺体は直接土の中に埋葬され、階級別に並んでいる。
8. ヘルクラネウム(イタリア)
紀元79年のヴェスヴィオ山大噴火の火山灰に埋もれた古代ローマの都市ポンペイに興味がある人なら、そこから北西に18キロメートル弱のところにある、ヘルクラネウムまで足を延ばすことをおすすめする。現在のナポリとソレントの間に位置し、ヴェスヴィオ火山のふもとにあるヘルクラネウムは、ポンペイより小さいが裕福な邸宅地で、ローマやナポリから来た4000〜5000人のエリート市民が住んでいた。
同じ運命をたどったポンペイよりも保存状態が良く、豪華なフレスコ画や家具が残っているほか、建物の多くは上層階が潰れておらず、木製バルコニーなども出土している。この遺跡は、1997年に「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」としてユネスコの世界遺産に登録された。
9. チムニーロック(アメリカ)
1000年以上前にこの地に住んでいた先住民、プエブロ族の遺跡があるチムニーロック(煙突岩)は、コロラド州の平地を数十メートルの高さから見下ろすように立っている。眺望が素晴らしいこの場所には、かつて200を超える住居や儀式用の建物が並び、数千人のチャコの人々が暮らしていた。
ランドマークとなっているチムニーロックと、ひと回り小さなコンパニオンロックのふもとに、太陽や月の位置に合わせて配置されていた主要な建物の中には、大きなキバ(儀式や集会用の建物)や竪穴式住居、多世帯住居、チャコ様式の大規模集合住宅などがあった。これらは全て、2012年にオバマ大統領によって指定されたチムニー岩国立記念地の中にある。
10. トロイ(トルコ)
トロイア戦争を描いたホメロスの叙事詩『イーリアス』で、不朽の名声を得たトロイ。現在のトルコにあるこの遺跡からは、4000年以上にわたる歴史を垣間見ることができる。エーゲ海沿岸に位置し、ダーダネルス海峡に近いこの遺跡からは、アナトリア文明と地中海文明の初期の接触についての証拠が多数発見されている。
トロイでは、過去140年間にわたる24の発掘調査によって、青銅器時代までさかのぼるさまざまな時代の注目すべき遺構が発見された。たとえば、城塞を囲む23の防御壁や11の門、舗装された石造りのスロープ、5つの砦の基礎部分などだ。そのほかの見どころとしては、先史時代の集落や墓地、アテナ神殿、ローマ時代の広場やコンサートホール、ヘレニズム時代の墳墓、ローマ時代とオスマン帝国時代の橋、第1次世界大戦のガリポリの戦いの記念碑などがある。トロイの考古遺跡は、1998年にユネスコの世界遺産に登録された。
11. ゲラサ(ヨルダン)
現在のヨルダンの首都アンマンから約80キロメートルの場所にある古代ギリシャ・ローマ時代の都市ゲラサ(現ジャラシュ)は、中東で最大級かつ保存状態の良い都市遺跡だ。古代ギリシャのデカポリス(ヨルダン川沿いの10の植民地の総称)の1つで、ヘレニズム文化がセム語系やペルシャの文化と混ざり合う街だった。
紀元前63年にローマ帝国の支配下に置かれたのち、実質的には自治が認められていたゲラサは急拡大し、その重要性と富も一気に増大した。紀元614年にササン朝ペルシャが侵入して権力を握った後も街は繁栄を続けたが、749年の大地震で一部の住民が去ったことが一因で衰退の道を辿った。主な見どころには、ハドリアヌス凱旋門やアルテミス神殿、広場などがある。
12. モチェ(ペルー)
現在のペルー北部の沿岸地域で主要都市として栄えたモチェは、それを建設した文明にちなんで名づけられた。この都市があった場所には今、日干し煉瓦でできた2つの神殿の遺跡がある。月に捧げられたワカ・デ・ラ・ルナと太陽に捧げられたワカ・デル・ソルだ。神殿の壁は、印象的な人物や色とりどりの帯状の模様などで装飾されている。
謎の古代文明とも言われるモチェの文化は、トルヒーヨ近郊のセロ・ブランコ(白い丘)のふもとで、紀元100年から700年にかけて繁栄した。スペインから来たコンキスタドール(征服者)や、地元の墓荒らしによって損傷を受けたが、今でも精巧なフレスコ画や建築物を見ることができる。残念ながら、モチェの人々は紀元500から700年頃に衰退、滅亡した。その原因は、地震や干ばつ、洪水などの異常気象だと考えられている。
13. アクロティリ(ギリシャ)
ギリシャのサントリーニ島にあるアクロティリは、青銅器時代後期に築かれた古代ミノア文明の遺跡で、その面積は20ヘクタールほど。ポンペイやヘルクラネウムと同様、この場所は紀元前1628年に起きた火山の噴火で消滅し、灰に覆われたことで当時のまま保存された。しかし、この地の人々はポンペイやヘルクラネウムの住人より幸運で、噴火に先立って避難することができたという。
アクロティリの遺跡には、高度な排水システム、壁画や家具、陶器で飾られた多層階建築など、多くの見どころがある。スエズ運河の建設がきっかけで1867年に初めて発掘が行われ、1967年に本格的な発掘調査が始まった。現在、発掘現場は空調管理された建物で覆われている。(翻訳:野澤朋代)
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