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認めたくない真実:助成金のためなら、若くなくても「新進アーティスト」と名乗っていいのか?

読者から寄せられたアートに関する質問に、ニューヨークを拠点とするアート事業のコンサルティング会社「Chen & Lampert(チェン&ランパート)」の設立者2人が答える連載です。

Illustration by Barbara Kelley
Illustration by Barbara Kelley

質問:私は20年以上、メディアアーティストとして活動してきたが、作品は芸術祭のグループ上映で発表することがほとんどだ。名の知れた学校に通い、アートや映画関連施設では何度か単独上映されたことがあるが、ギャラリーや美術館で個展を開いたことはない。卒業後まもなくいくつかの助成金の申請が却下されたので、助成金のためにエネルギーを費やすのはやめようと決めた。今、借り手のつかない店舗で新しいビデオインスタレーションの企画をやりたいと思っているのだが、先週、友人のアーティストが、その企画に資金提供してくれそうだという助成金の情報を送ってくれた。その助成金の「よくある質問」には、「新進アーティスト」を対象にしているとあり、それを見た私は即座に自分には資格がないと思った。なのに友人と妻の2人は、私も当てはまると言って聞かない。これだけ長いこと作品を発表してきているのに、どうして「新進アーティスト」と言えるんだ?

なんと命知らずな人だ、正気を取り戻してほしい。あなたは、金はかかるが売れない作品を権力者からの経済的支援も受けずに作り続け、孤独な道を20年も歩み続けてきたのだ。よく我慢してきた。大半のアーティストはあなたのような粘り強さはないし、金を追いかけるヤツは軟弱になるものだ。だが、そうやって守り抜いてきた独立心が、逆にチャンスをつかめない原因かもしれない。

「新進アーティスト」という言葉は、若手アーティストを指すように聞こえる厄介な言葉だ。だが、この言葉は年齢に関係なく、ブレイクし損ねてきた全てのアーティストに当てはまる。あなたのプライドがそう捉えることを許さないのだろう。けれども、20年以上もの間、8人程度の観客のためだけに作品を見せてきたのであれば、基本的にはノーマークのアーティストなのだ。

グループ展は刺激になるだろうし、経歴書を印象的なものにできるかもしれない。だが、美術館での展覧会とか、ケヒンデ・ワイリーやジュリー・メレツがデザインしたアメリカン・エクスプレスの限定盤プラチナカードのような馬鹿げた企画ほどの注目は集まらない。助成金の審査委員たちに自分の名前が知られていないということをちゃんと認識すれば、しょっちゅうクラッシュする助成金申請サイトの向こう側であなたを待つお金の存在に気がつくだろう。

助成金を獲得するためには、人脈を活用することが大事であることを忘れずに。だが、どうでもいいような知り合いは無視していい。関係書類には必ず、審査員の目にとまるような照会先や名前、会場をふんだんに盛り込むように。少なくとも、交友関係はパスワードで保護されたVimeoのリンクと同じくらい強固なものでなければならない。それと、作品を支持してくれる人たちに助成金を申請していることを必ず知らせること。もしかすると、誰かが助成金を出す財団の人と熱愛中で、あなたの申請を一番上に押し上げてくれるかもしれないから。

質問:本当のところ、美術批評は死んだのか?

この質問は、美術批評家のジェリー・サルツと、デジタルアーティストのビープル(Beeple)がインスタグラムにアップした写真を見たのがきっかけだったのだろうか? アートとその批評は切っても切れないものだと思えるかもしれないが、ほとんどのアートは批評されることがまったく無いのが現実だ。世の中の多くの記事は、同じアーティストや展覧会、美術館を繰り返し取り上げている。

もしあなたが、まともなメディアで原稿料をもらえる美術批評家としてキャリアを積めるかどうかを聞いているなら、そのとおり。美術批評はほぼ死んでいるといっていいだろう。だが、昔よりも自費出版が増え、潜在的な読者が多くなっていると考えるのなら、ある意味、美術批評は生きていると言える。

美術批評家のピーター・シェルダールの記事なら、半年後もトイレで読むことになるかもしれない。ネットの記事はそこまで息は長くないが、大学生が深夜にググった検索結果の5ページ目の上位くらいには表示される可能性はある。運がよければ、学生たちが翌日の午前中締め切りのレポートに、あなたの文章をコピペしてくれるかもしれない。(翻訳:岩本恵美)

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※本記事は、米国版ARTnewsに2022年4月11 日に掲載されました。元記事はこちら

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