ヴェネチア・ビエンナーレ日記<ジャルディーニ編> 神出鬼没のクロアチア館を目撃、展示に難ありの「魔女のゆりかご」
ARTnewsの姉妹誌Art in Americaのシニア・エディター、レイチェル・ウェツラーがヴェネチア・ビエンナーレ会場を巡り、独自の視点でリポートする。
ヴェネチア・ビエンナーレのプレビュー2日目、水曜日(4月20日)の朝にジャルディーニに到着すると、エントランスにはすでにかなりの行列ができていて、VIPたちは不満そうだった。自分たちが並ばされるはずはないと考えたのか、もっと優先的に入れる入り口を探して行列を通り過ぎていく人もいた。
周りに並んでいた裕福なコレクター、アートアドバイザー、美術館のディレクターたちは、優先者の列はどこにあるのか尋ねるために次々と列を抜け出し始めた。そんな人があまりに多く、長かった列はすぐに短くなった。
食事、トイレ、人気パビリオンなど、どこに行っても長蛇の列で、並ぶことがこの日の主なテーマとなった。おかげで見ようと思っていた展示のほんの一部しかこなせなかったが、トモ・サビッチ=ゲカンによる神出鬼没のクロアチア館はなんとか目撃することができた。
あちこちに移動するクロアチア館の展示は、日々異なる時間と場所で行われ(毎朝インスタグラムで発表)、他国のパビリオンを一時的に間借りしたりするパフォーマンスだ。水曜日(4月20日)の昼過ぎの時点では、このパビリオンは手の込んだいたずらなのでは、という思いがよぎっていた。なぜなら、私が話をした人の中には実際にこれを見たという人が1人もいなかったからだ。
そして、もしかするとクロアチア館の「パフォーマー」は、ビエンナーレのさまざまな場所で何かが起こるのを無駄に待ちながら、見えないアーティストに誘導されている鑑賞者自身なのかもしれない、という気がしてきた(クロアチアのアートには、実験的なキュレーションや、意地悪な参加型アート、制度的批評という長い伝統がある)。
それはともかく、私は発表された通り、14時56分にフィンランド館に着いた。すると、ピルヴィ・タカラのビデオインスタレーション《Close Watch(厳重な警備)》の近くで、周りにいた数人の観客がなんとなく奇妙な動きを始めた。後方でうろうろしていた男性が飛び跳ねてターンをしたり、じっと立ち止まっていた女性が急に膝を曲げたり、というふうに。何かが起きることを予期しながら周りを観察してなければ、見逃してしまうほど目立たないものだったが。ちなみに、タカラのビデオインスタレーションは、作家自身が6カ月間ショッピングモールに警備員として潜入して制作したもので、このパフォーマンスの背景にふさわしいものだった。
今回のヴェネチア・ビエンナーレのキュレーター、チェチリア・アレマーニが企画した展覧会「The Milk of Dreams(ミルク・オブ・ドリームス)」の後半部分は、ジャルディーニの中央パビリオンに展示されている。
その中央パビリオンの外側には、コジマ・フォン・ボーニンによるユーモラスな彫刻が飾られていた。屋根には漫画のようなサメが並び、柱には虹色の縞模様の斧が突き刺さっていた。中央パビリオンの無機質な外観とは異質なこれらの彫刻は、中で開かれている展覧会の方向性を予感させる。そこでは、カラフルで、多岐にわたる、シュールな作品の予想外の組み合わせや、洞察に満ちた並びを楽しむことができる。
最初の展示室に、来場者を圧倒するようにそびえ立っているのが、カタリーナ・フリッチュの巨大な彫刻《Elefant(象)》(1987)だ。ほぼ実物大の象をリアルに再現し、高い台座の上に乗せている。その近くには、アンドラ・ウルスタの最近の作品、水晶で作られたキャンディーカラーの宇宙人標本を思わせる彫刻が並んでいる。周囲の壁に掛かっているのは、1980年代半ばから今に至るまでローズマリー・トロッケルが作り続けてきたモノクロームの「編まれた絵」(機械編みのタペストリーをキャンバスに張ったもの)だ。
さらに、人間やその他の生き物をあり得ない形態でハイパーリアルに表現することで知られるヤナ・オイラーのシュールな3点の絵画の脇には、白い陶器でできた111匹のミニチュアのサメを低い台座に並べた彫刻作品《great white fear(巨大な白い恐怖)》(2021)が展示されている。
別の展示室では、シリコンやポリ塩化ビニール、金属を組み合わせて作られた、不気味な身体を思わせるハンナ・レヴィの新作彫刻群が、クリスティーナ・クォールズのワイルドな造形やカーリ・アプソンによるレリーフ作品と共に展示されている。彩色した樹脂製レリーフ10点で構成されたアプソンの作品《Portrait (Vain German)(肖像〈虚栄心の強いドイツ人〉)》(2020-21)は、厚塗りの肖像画を鋳造して作られているため、どんな顔かほとんど分からない。
この展覧会に並ぶ多くの作品は現代のものだが、要所要所で歴史上の女性アーティストをテーマ別に紹介するセクションが設けられている。「タイムカプセル」や「キャビネット」と呼ばれ、色分けされたギャラリーに展示されているこうしたセクションは、展覧会が掲げる主要テーマの背景や文脈の理解を助けてくれる。
たとえば、「Technologies of Enchantment(魅惑のテクノロジー)」では、戦後のアルテ・プログランマータやゼロなど、キネティック・アート運動に関わった女性アーティストに焦点を当てている。ここには、ラウラ・グリジによるネオンとプレキシガラスの自立タワー型作品《Sunset Light(サンセット・ライト)》(1967)や、マリーナ・アポロニオによるオプ・アートのレリーフ作品などがある。また、「Corps Orbite(体の軌道)」というセクションでは、身体化された書き言葉に根ざす活動の例として、具体詩、シュルレアリスムの自動記述、19世紀と20世紀にさまざまな形で勃興したスピリチュアリズムを取り上げている。
アレマーニが展覧会の「支点」だとする最大のセクション「The Witch’s Cradle(魔女のゆりかご)」が焦点を当てているのは、当然ながら女性のシュルレアリストたちだ。ここでは、エイミー・ニムル、レメディオス・バロ、レオノール・フィニ、そしてもちろん、レオノーラ・キャリントンの作品や関連資料が展示されている(展覧会タイトル「The Milk of Dreams」は、キャリントンの死後に発表された子ども向けの本からの引用)。
とはいえ、展示室のゴールデンイエローの壁と床のカーペット、薄暗い照明、作品の前に置かれた反射ガラスなどが、観賞の邪魔になっていると感じた。他の展示室では作品の設置に配慮が行き届いているのに、鍵となるはずの展示が恐ろしく見づらいのは残念だ。(翻訳:野澤朋代)
※本記事は、Art in Americaに2022年4月21日に掲載されました。元記事はこちら。