「人間という存在の矛盾をまるごと“再演”することを目指した」──原田裕規【TERRADA ART AWARDファイナリスト・インタビュー】

現在、寺田倉庫G3-6Fで開催中の「TERRADA ART AWARD 2023」ファイナリスト展では、5人のファイナリストが新作を発表している。アワード受賞は彼らにとってどんな意味を持つのか。それぞれに、そこから得た気づきや新たな挑戦について話を聞いた。

Artwork: Yuki Harada, Photo: Katsura Muramatsu

──日本には様々なアートアワードがあると思いますが、「前例は、あなたが創る」というテーマを掲げるTERRADA ART AWARDに応募された理由を教えていただけますか?

現代の日本では、アーティストがデビューする道は多様化していますが、逆にある一箇所に注目が集まる機会は減ってきています。そんななかでTERRADA ART AWARDは、日本の現代アート界では例外的に高い関心が集まるアートアワードとして「登竜門」のような位置づけになっています。

だからこそ本アワードには多くのアーティストが挑戦していて、7カ月間にも及ぶ厳しい審査を経て、忖度なしに力のあるアーティストが選ばれたなと感じています。

また、審査システムが特徴的で、すでに完成した過去作が審査されるのではなく、まだ実物のない新作のプランが審査対象となるので、ファイナリストに選ばれたあとには賞金を使って実際に新作を展開できることが魅力的で、本アワードに応募した最大の理由でもありました。

──今回発表されている作品のテーマやコンセプトについて教えてください。

今回の新作《シャドーイング(3つの自画像)》は、ハワイの日系社会に息づくピジン英語をモチーフにした作品です。ピジン英語とは、英語をベースにしながらも、日本語、ポルトガル語、フィリピン語といった各国移民の母語とハワイ語が混ざり合って出来た混成語のこと。19世紀以降、ぼくの出身地である山陽地方を中心に、日本から多くの人々がハワイに移り住みました。しかし真珠湾攻撃が起きたことで、ハワイの日系人は「お前はアメリカ人か?」「日本人か?」と迫られる状況が生まれました。そして日系人の多くが「私は日本人の顔をしているが、心はアメリカ人である」として、アメリカ社会に同化することを選びました。

そうやって日本語や日本文化が手放されていく過程で、日系人にとって「標準的な英語で流暢に話せること」がアメリカ人としてのプライドにもなりました。それと同時に、家庭や友人間のプライベートな空間では母語混じりのピジン英語が話され続けるというダブルスタンダードが生まれたんです(教育現場でピジン英語が話されると減点されるなど、社会的にピジン英語を「不完全な言語」として抑圧する動きもありました)。本作で登場する「デジタルヒューマン」が操るのは、こうした歴史的経緯をもつ言葉です。

そしてこの作品では、公的に抑圧されながらも私的な記憶や文化的アイデンティティに紐づくピジン英語に敬意を示すために、言語学習のシャドーイング(=復唱)という手法を用いて、日系アメリカ人がピジン英語で語るストーリーをぼくが復唱するという手法を採りました。そして、シャドーイング時のぼくの顔の動きをiPhoneでフェイストラッキングしてデジタルヒューマンに同期させることで、二重の声と二重の表情による多義的な「シャドーイング」が実現しています。

Artwork: Yuki Harada, Photo: Katsura Muramatsu

──今回のアワードへの応募を通じて、挑戦したかったことを教えてください。またその挑戦は、ご自身のアーティストとしての成長・ブレイクスルー・キャリアパスにおいて、なぜ重要だったのでしょうか? 

今回ぼくが展示している作品は、8台のスピーカー、3台のプロジェクター、3基のスクリーンによる大型インスタレーションです。作品制作の協力者や展示制作チームなど、総勢70名以上の人々の力を借りて制作した本作は、これまで数年にわたりあたためていたドリームプランでした。このプランを実現するためには、多数の人々の人的・技術的・資金的な協力が必要不可欠でしたが、多数の人々の協力を得るためには、チーム全体で共有できる「声」をつくらなければなりません。

これまで個人、あるいは小規模な体制で制作していた作品では、必ずしも他者と共有できる言葉を発明する必要はありませんでした。しかし、今回のように多数の人々の声を集約しながら、多数の人々に届く声をつくるためには、どのような「声」であれば他者と共有できるのか、という課題に正面から向き合わざるをえなかったことが、アーティストとしてのブレイクスルーになりました。

今回の作品で、ぼくは「ピジン英語」「シャドーイング」「日系アメリカ人」といった固有名詞に基づいて制作しています。しかし、実のところ目指していたのは「人間の人間らしさ」や「人間の本性 (ほんせい)」に向き合うことでした。まっすぐ歩こうとしても歩くことができない人間の不完全さ。戦争から環境破壊、あるいは個人間の暴力や加害行為まで、さまざまな問題をはらみながらも生き続けるしかできない人間という存在の矛盾をまるごと「再演」することを、今回の制作では目指しています。それは、さまざまな問題や加害性をはらむ「自分自身」に改めて向き合う作業でもありました。

──作品を発表する上で空間は非常に重要な要素であると思いますが、その意味で、寺田倉庫のこの空間は、今回の挑戦においてどんなふうに作用しましたか?

広大な寺田倉庫の空間は、ずっとあたためていた「ドリームプラン」を実現するのに十分なキャパシティを備えた空間でした。しかも、この規模の空間に対しては、恐らく平均よりもずっと潤沢な予算をもとに展示空間をつくれたので、空間の隅々にまで妥協なく目を凝らすことができました(例えば、建築コレクティブGROUPとの協働によって壁と床の境界をぼかすフィレット加工をしたり、音響設計チームのWHITELIGHTとサウンドシステムを設計したりするなど)。それによって「このスケールの空間であれば、こうすればこうなる」という実感をつかめたなと感じています。

──今回発表される作品を実現していくにあたり、ご自身がもっとも達成感を得られたこと、成功したと思われることを教えてください。逆に、困難や今後の課題であると感じた点でも結構です。 

今回の制作は過去最多人数(総勢70名以上)のチームプロダクションとなりました。この規模のチームをマネジメントし、ひとつの展示空間に昇華できたことが、今回得られた最大の達成感でした。特に制作チームには日本国内在住者のみならず、ハワイを中心とする海外在住者も多く含まれています。コロナ禍によって世界的に遠隔でのコミュニケーションが浸透しましたが、その経験を活かして、海外在住者(その中には多くのお年寄りも含まれていました)とのコミュニケーショ ンを円滑に行い、作品として昇華できたことは、今回の制作において成功した点のひとつであると感じています。

──「前例のないことをやる」という行為/態度は、アーティストであり続ける上で、どれくらい重要で しょうか? 「前例のないことをやる」ために、日々、どんなことを訓練したり実践したりしていますか?

「前例のないこと」を目指して作品を制作したことはありません。でも、「現代とは何か」という問いに向き合った結果「前例のないこと」に近づくことならある気がしています。例えば、今回のぼくの作品は映像インスタレーションの形式をとっていますが、作者本人としては、これは一種の「自画像」になったなと感じています。

視覚情報が氾濫する社会で、現代人の実感に即した「絵画空間」をつくるためには、今作で取り組んだように立体的なアプローチが必要になると感じました。この作品がすぐに「絵画」とみなされることはないかもしれませんが、100年後、200年後の社会でこの作品が「2020年代の自画像」として振り返られることになれば、それは結果的に「前例のないこと」になるのかもしれません。

──今回の受賞を機に、さらに挑戦してみたいことや展望があれば教えてください。

「人間とは何か」というテーマには答えがなく、もっと違ったアプローチができるはずなので、今はとにかく次の作品をつくりたいです。今回の新作でつかめた「普遍的な問い」と「現代性」のバランスは保ちながらも、技術的に新しいことにチャレンジし続けていきたいですね。

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